魏志倭人伝に記された玄界灘に浮かぶ歴史ロマンの小島
玄界灘の壱岐島
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壱岐広域地図
大陸と日本本土の間、福岡からフェリーで2時間ほどの沖合い、玄界灘に浮かぶ壱岐の島がある。島の歴史は古く、弥生時代の3世紀頃の日本を記した中国の歴史書三国志の魏志倭人伝に一支国と書かれているのは、この壱岐のことである。
奈良時代には日本の国の中で、最も小さいながら一つの国として認められ、当時、国ごとに一つだけ設置される国分寺や安国寺があった。
遣隋使・遣唐使などは、この島を寄港地として往来し、大陸文化は対馬と壱岐を経由して伝り、古来から大陸との架け橋となった島である。
鎌倉時代には元寇(文永・弘安の役)で蒙古軍により二度わたり壊滅的な打撃をうけ、島にはその時の戦跡も数多く残る。古代から中世までの歴史ロマンの島である。
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洋上からの壱岐島
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壱岐の玄関
郷の浦港 |
壱岐を代表する
奇岩の猿岩 |
日露戦争に備えた東洋一の砲台跡 |
日露戦争に備えた東洋一の砲台跡 |
日露戦争に備えた東洋一の砲台跡 |
猿の石像群がある 男岳神社
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男岳神社への 長い石段
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男岳神社の
猿の石像の群れ |
男岳神社からの 壱岐の展望
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壱岐を代表する
景勝 左京鼻 |
壱岐を代表する
景勝 左京鼻 |
壱岐を代表する
景勝 左京鼻 |
魏志倭人伝
一支国遺跡の発掘
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