歴史を歩く、歴史街道・古道を行く

織田信長の足跡を辿り、安土城址から比叡山まで琵琶湖周辺をてくてく歩く

織田信長ゆかりの琵琶湖周辺を行く

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歴史街道目次


信長の足跡を辿るプロローグ

画像をクリックするてくてく歩き詳細地図になります

 京の都に隣接した近江の国(滋賀県)の大部分を占める琵琶湖、その琵琶湖周辺は歴史を彩った有名人の足跡が数多く残る地である。
 湖東(琵琶湖の東)には戦国時代最大の英雄、天下布武を唱え時代を疾風のように駆け抜けた織田信長が、天下統一の拠点として築いた安土城がある。
 対岸の湖西(琵琶湖の西)には、信長に謀反を起こして殺害した明智光秀の城下町であり、また全国3800の「山王さん」の総本山、日吉大社への門前町として知られる大津市坂本の町がある。さらには坂本の街を玄関口とし、信長の焼き討ちに遭い全山が灰燼に帰した、日本仏教界に君臨し巨大な力をもった比叡山「延暦寺」がある。
 春の一日、天下布武の野望に燃えた戦国の英雄「織田信長」の足跡を辿り、幻の名城と呼ばれる安土城跡から比叡山まで琵琶湖周辺を歩いてみた。

             歴史街道てくてく歩きコース

        黒字ー交通機関利用コース 赤字ーてくてく歩きコース

「JR京都駅」乗車→「安土駅」下車徒歩スタート→安土町城郭資料館(徒歩)→
信長の館(徒歩)→安土城跡(徒歩)→「安土駅」
乗車→「近江八幡駅」乗り換え→「坂本駅」下車(徒歩)→坂本の街並(徒歩)→日吉大社(徒歩)→比叡山ケーブル乗車→延暦寺駅降車(徒歩)→延暦寺(徒歩)→ケーブル乗車→「坂本駅」降車
(徒歩)→「京阪坂本駅」乗車→「皇子山駅」下車(徒歩)→三井寺(徒歩)→京阪「浜大津駅」
乗車→京都駅終点

          歩行距離 約20キロ  歩いた歩数29100歩                                  

 京都から安土町へ

JR安土駅前広場、織田信長像が出迎えてくれる

小学生の頃は時代劇漫画、中学生になってからは歴史小説をむさぼり読んだ。なかでも戦国武将の信長・秀吉・家康の3人については、漫画、小説、テレビで数え切れないくらい、よく読んだりしたものである。4月に入ったばかりの日、戦国時代を疾風のように駆け抜け、天下取りを目前にして非業の死を遂げた信長の足跡が数多く残る琵琶湖周辺を歩くつもりで京都のビジネスホテルを出た!
 
 先ずは、信長が築いた幻の名城がある安土町に行くべく、京都駅よりJRに乗車した。50分ほどで安土駅に着く。 駅裏の城郭資料館に精密に再現された安土城
駅の案内所で安土町の観光案内地図をもらい駅舎を出ると、小さな駅前広場には織田信長像が出迎えてくれた。(上画像)
案内地図を片手にアンダーパスを抜け、駅裏に出ると「安土町城郭資料館」があるので200円を払い館内に入ると安土城の20分の一の模型が陳列されていた。


歴史公園「近江風土記の丘」


 城郭資料館を出て湖東に広がる近江平野の田園地帯を東に向ってしばらく歩くと、田園風景をさえぎるように建つ巨大な建築物群に突き当たった。 ここは「近江風土記の丘」と呼ばれる歴史公園で、「安土城考古博物館」や「信長の館」など5つほどの贅を尽くした巨大な公共施設が建っている。
 税金を使えばここまで贅沢な建物を造る事が出来るという見本のような施設だ!きっと受注した土建業者も涙を流して喜んだことだろう!
原寸大に完全復元された安土城の天主閣


 
 拝観料も結構高い、信長の館500円、博物館350円である。ここまで来た以上、見ないわけにも行かない!釈然としない気持ちで、まず信長の館に入場した。館内には原寸大に完全復元され、赤い漆と金箔張りの華麗な安土城の天守閣5・6階部分が展示されていた。
 なぜか館内には私以外の入場者は一人もおらず、切符のもぎ取り嬢と売店の売り子が、退屈そうに椅子に座っている。よほど退屈なのだろう!じぃ〜と私の行動を目で追っているではないか!視線を背中に浴び年甲斐も無く緊張する。
 
 次に壮大な西洋風な建築の考古博物館に入った。近江の考古品や信長に関する資料が広い館内に展示されており、要所々に警備員と説明員がいるのだが、ここも私以外に見学者は誰一人いないではないか!お役人商売の典型的な見本で、これだけの巨大な豪華な公共施設である、間違いなく大赤字の運営だろう!
田んぼ越しに安土城が築かれた安土山が見える

 博物館からは田植え前の田んぼの彼方に標高200mの安土山が見える、この山の山頂に安土城が築城さてれいるのだ。 (右画像)


兵どもが夢の跡「安土城址」

 一人の見学者もいない、がら〜んとした博物館を出て安土城跡に行くべく、田んぼの中の畦道を安土山にむけ歩きだした。
 安土城は天正7年(1579)年に築城され、信長の天下統一の根城となったところ。城の三方を琵琶湖の内海が囲む要塞で、5層7階の天守閣は、金箔瓦が使われ、黄金に光り輝く優美な城だった。しかし、天正10(1582)年本能寺の変で明智光秀により占拠され、混乱の中で放火され消失し、歴史の舞台から消えてしまった「幻の名城」である。
安土城大手門跡天主台に向って長い石段が続く


 田んぼの畦道を抜けると目の前に安土山が迫ってくる。山裾を巡り安土城大手門跡より城内に入っていくと、天主台に延びる長い急峻な石段の両側には、前田利家、羽柴秀吉、徳川家康など聞きなれた武将の有力家臣の屋敷跡の礎石や石垣があった。

 巨大な穴太積みの芸術的な石垣を見ながら、天主台にむけ休みながら30分ほど登って行くと、石段脇の木立の中に、信長の小姓で本能寺の変で信長と共に非業の死を遂げた「森蘭丸邸跡」の石柱が見える。NHKの大河ドラマの本能寺の森蘭丸の戦闘場面を思い浮かべながら、さらに登っていくと、やがて二の丸跡に到着する。すると何と!そこには信長のお墓があるではないか!このようなさびしい場所に日本の歴史上最も有名な人物が眠っていたのだ!(右下画像)
二の丸跡にある織田信長のお墓


 しばし、信長の墓を前に手を合わせ、さらに進むと安土城の天守閣が聳えていた天主台跡に出た。広場には五層七階の天守閣をささえた大きな礎石が整然と並んでいる。
 天主台跡の石垣の上に上り、樹間を通して眺めると眼下には琵琶湖につながる西の湖が広がっている。
 復路は登ってきた道を通らず、城跡の西側の登り口に出るべく石段を下って行くのだが、巨大な城跡の中の道は全てが石畳と石段で出来ており道の両脇は石垣である。

石垣と石段の巨大な安土城址

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手門近くの羽柴秀吉邸跡 鍵の手に曲がった石垣 安土山頂上、天守閣の天主台跡
二の丸へつづく石段 天守台跡からの琵琶湖西の海 全山このような石段が

全山よくこれだけの石を集めたものだと感心することばかりだ。やがて信長の菩提寺だった総見寺の本堂跡を通り過ぎ10分ほど長い石段を下ると、安土城址と彫られた石碑がある百々橋口の出口(入り口)に着いた。(右下画像)
百々橋口側の安土城跡入り口
 歩みを止めず、そのまま安土町の住宅街をぬけてJR安土駅へ向い、次の目的地である明智光秀の城下町でもあった大津市、坂本町に行くべく電車に乗り込んだ。


明智光秀の城下町、近江坂本

 湖東のJR安土駅から湖西の坂本の町へは「近江八幡駅」で乗り換え「大津市石山駅」まで行き、石山駅で再度、京阪坂本線に乗り換えると約1時間ほどで「京阪坂本駅」に着いた。
明智光秀の城下町だった石垣が美しい坂本

 坂本の町は明智光秀の城下町として、また比叡山延暦寺への東からの玄関口として、さらには全国3800の末社を持つ山王神社の総本山である日吉大社の門前町として知られている町だ。
 この坂本の町では、市街地を散策しながら日吉大社にむかい境内を参観後、叡山ケーブルで比叡山、山頂に登り延暦寺を参観して降って来る予定のつもりである。
 駅前に降り立つと、ガイドマップに従い市街地を歩きだした。
市街地のどこを歩いても石積みの景観が


 坂本の中心を貫く日吉大社への幅広い参道を横断し住宅街に入ると、道の両脇は石垣が通行人を拒むかのように隙間なく続き城跡のような雰囲気が漂っている。
 街並に人影はなく閑散としており、立派な石垣がどこを歩いても整然と続く特異な景観である。
 これら石垣で囲まれた建物は、延暦寺で修行をつんだ老僧の隠居坊で「里坊」と呼ばれており、坂本には50あまりの里坊が建ち並び、いづれもどっしりした石積みの垣根を構えている。
延暦寺で修行を終えた老僧が暮らす里坊



全国3800もある山王神社   の総本山「日吉大社」

 石垣が続く住宅を西に向ってさらに歩いていくと、赤い鳥居と鬱蒼とした森が見えてきた!日吉大社である。
 この神社は知る人ぞ知る文化財の宝庫である。400円の参観料を払って日本最古といわれる石橋を渡り、108の神を祀る広大な境内に入って行く。
 何しろこの神社は境内にある21の社殿がいづれも国宝と国の重要文化財に指定されているすごい神社なのである。
全国3800の日吉神社の総本宮、国宝東楼門


 国宝の本宮の建物は天正14年(1586年)に豊臣秀吉が寄進したもので、境内の杉林の中の小径を歩いていると、次から次えと風格のある社殿が目の前に現われてくる。
ぐるり境内を一巡し数々の国宝や重文の建物の見学を終えると、次ぎは比叡山延暦寺に行くことになっている。
 参道から鳥居をくぐり右に折れ5分ほど歩いたと所に日本一長いケーブルと言われる比叡山ケーブル「坂本駅」がある。

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豊臣秀吉寄進の国宝の本殿
日本最古といわれる石橋 日吉大社国宝の本殿

ケーブルカーで比叡山へ

ケーブルカーの車内からの比叡山

 日吉大社のすぐそばにあるケーブル坂本駅から「比叡山駅」まで往復1570円の乗車賃と入山料550円を払い、ケーブルカーに乗り込んだ。
乗車定員100名ほどの広い車内には私以外に2名がいるだけである。
 一人旅は自由気ままな旅が楽しめるが、拝観料金や乗車賃がメチャ高くつく!今日ここまでくるまでに拝観料、乗車賃の合計が、すでに5300円もになってしまっている。このあともいくらかかるやら気が少々重くなる。カタカタ音を立てながら叡山頂上へ登っていくケーブルの車内からは、杉林の隙間をぬって琵琶湖が見えてきた。
比叡山山頂からは琵琶湖が一望できる

 
ケーブル延暦寺駅を降りると春霞の彼方に琵琶湖が遠望できる。杉林の山道を約20分ほど歩くと延暦寺東塔に着いた。
 日本の仏教界に君臨し巨大な力を持った延暦寺は、延暦7年(788年)に伝教太師最澄が開いた天台宗の総本山である。比叡山には延暦寺という名の建物はなく、比叡山そのものが延暦寺を表わしている。その寺域は広大で、標高848mの比叡山の山中に200以上の堂塔伽藍が点在しており、東塔・西塔・横川(よかわ)の三地域に分かれているのである。

巨大な伽藍「根本中堂」

杉林に囲まれ不滅の法灯が灯る根本中堂

 いま私が登ってきたここ東塔には杉林に囲まれ最澄が自刻の薬師如来像を安置して仏教隆盛を祈願した、全山の本堂に当たる巨大な伽藍の「根本中堂」がある。
 ここ根本中堂には伝教大師最澄が京の都の鬼門を守り、万民の豊楽を祈って「不滅の法灯」が掲げられ、 1200年もの間一度も絶やすことなく守られ今も灯り続けているのだ。

 こんな比叡山も仏教界の力を背景にして織田信長の天下布武に対抗したため、信長の焼き討ちに遭い比叡山全山が灰塵に帰したが、現在の本堂は1640年に3代将軍徳川家光により再建されたもので、高野山と一緒に比叡山一帯は世界遺産にも登録されたのである。


延暦寺阿弥陀堂
大日如来を安置した延暦寺大講堂

大津の三井寺(円城寺)


  延暦寺にお参りして京阪電鉄「坂本駅」から京都まで戻る車内、まだ時刻は15時である、少し早いので大津市「皇子山駅」で途中下車することにした。 
 琵琶湖の最南部に位置し東海道の宿場町として栄えたこの大津の町は、古くは大化の改新の立役者中大兄皇子が667年大和の飛鳥を離れ、ここ大津の地で天智天皇として即位して大津京を開いたところだ。 歴史の古い町で市内のいたる所に歴史ファンにはたまらない史跡がある。
三井の晩鐘で知られた三井寺仁王門



 この大津の町は数多くの国宝と重要文化財があることで有名な三井寺(円城寺)があるので、立ち寄るべく線路脇の道を歩いて行くと、壬申の乱で敗死した大友皇子の陵墓がある、そのまま通り過ぎると大津市歴史博物館が見えて来たので、400円払い入館し近江の歴史と文化を学習して、すぐ隣の三井寺の境内に入る。

 この三井寺は円城寺の別名を持つ天台寺門宗の総本山で、7世紀後半に創建されたと伝わる古刹である。


 広大な境内を案内板にしたがって歩みを進めていくと、次々に国宝や重文の建物が現われてくる、初めて来たがすごい寺だ。 桃山時代に創建された国宝の金堂
さらには近江八景の「三井の晩鐘」で名高い鐘楼などもある。あちこちに年輪を経た桜があり、本来なら満開の時期なのだが、春先の異常気象で開花が10日も遅れてしまい、残念なことに花見ができない。境内奥の小高い観音堂に上がっていくと眼下には大津の町と琵琶湖が見えた。
 身に着けた万歩計を見ると、すでに2500歩を越えている、まだ見ていない箇所もあったが、疲れもピークに近づいてきたので、境内を抜け「浜大津駅」にむかい京都行きの電車に乗り込んだ。


 日本の歴史上、これ以上の有名人はいないであろう戦国時代の英雄「織田信長」。信長の本拠地岐阜と京の都の間に横たわるのが近江の国(滋賀県)である。
 この近江の国の中心をなすのが琵琶湖である。古来より戦略上の拠点として争奪の地であった。周辺には天下布武を目指し戦国時代を駆け抜けた英雄信長の足跡が数多く残る地でもある。
 幻の名城と呼ばれる巨大な安土城跡をスタート点として、その足跡を辿って歩いてみたが、 安土城跡には、今でも当時の巨大な城郭を思わせる石垣が残り、ロマンを感じながらのウォーキングであった。その信長を殺した明智光秀の城下町であった坂本の町の日吉大社は、国宝や重文など文化財の宝庫で見ごたえのある神社で、私の知識の想定外であった。
春の一日、城跡と古社、古刹、名刹を訪ねてのてくてく歩きだったが、さすがに歩数が2万5000歩を越えたあたりから、足が上がらなくなり、やっとのことで京都のビジネスホテルまで帰り着いた。


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