2010年「おっぱい曼陀羅」
 長女を産んで間もなく、おっぱいのトラブルを抱えた私は母乳で育てたくて、
桶谷式母乳育児相談所という所へ通っていた。
もともと、乳首が出ていないおっぱいだったが、ミルクなしで2人目も育てられるようになった。
主人の母は「今は、ミルクと言ういいものがあるのに、何でそんなにおっぱいに拘るの・・・・・」と言った。
自分では、拘っているとは思わなかった。
おっぱいをあげるのが当たり前のことと思っていたのである。
当たり前のことが出来るようになりたかっただけだった。何の抵抗もなく当たり前のことと思えたのは、
私が田舎で生まれ田舎で育ったからだろう・・・・・。母ばかりじゃなかったと思う、
昔は若いお嫁さんでも家族の前で美しい胸をはだけて赤ちゃんにおっぱいを上げていた。
胸を見ても見せても誰も恥ずかしこととは思わなかったのだろう。
ただ赤ちゃんがおっぱいを飲んでいる姿だった。
母のおっぱいは美しかった。今でも綺麗だ。
1700gの未熟児だった私が、
今現在あるのは小豆の粒のような乳首と、
美味しいおっぱいがあったからと
言っても言い過ぎではないかもしれない。
母のおっぱいに感謝である。
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