2010 年「孫と縁側」
 昔、各家々の縁側は開放的な社交場だった。
隣近所から何となく人が集まり、お茶を飲み漬物をほおばり、おしゃべりし、子供達もその楽しい雰囲気に
何となく吸い寄せられて、犬や猫まで寄って来た。
時には、たまたま通りかかった人迄「お茶をどうぞ」ということになり「さっきのあの人は誰だったのかな」と
言っても誰も知らない人だったということもある。
年寄りおばあちゃんがまだ元気だったころは、お茶うけに良く白砂糖と梅干がでた。
掌にのせられた白砂糖と赤い梅干・・・・何かに似ている。日本の国旗だ。
日ノ丸弁当と言って、白米に梅干し、良く父が話していた弁当だ。
その父は特攻隊の生き残りで今はその仲間たちと、しょっちゅう会っては酒を酌み交わしている。
時が移り場所は変わっても人は共に何かを飲みおしゃべりするが不可欠の生き物のようだ。
今、縁側のある家は減る一方である。
ポカポカあったかかった縁側のおしゃべりがとてもなつかしい・・・・・・・・
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