「JUNKO」(1980)
原型は蜜蝋で手びねりで作った。
何枚かの彼女のスケッチをもとにパリのアパートで制作した。
三角形の顔におかっぱ頭・・・・意欲をそそられるかたちだった。
彼女はもともと日本で病院勤務の看護士さんだったが美術が好きでパリにやってきた言う。
エコール・デ・ボザールというところは思えば不思議な所だ。
到底日本では考えられないが、あらゆる人を受け入れていた。
正式な学生もいれば彼女のように突然外国からやってきた人も正式な学生同様受け入れる。
しかし間口はとてつもなく広いが出口は狭い。
きちんと卒業するのはわずからしい。
私は一応入学試験をうけて入ったがとにかく3年間勉強する目的でやってきた。
よく石の上にも3年と言うからだ。
授業料はタダで、払ったのは保険料だけだった。さすが美術の都、芸術を志す者には寛大だと驚いた。
外国人までタダなのである。日本では考えられないことだった。かくして、ボザールの各教室には
色んな国の色んな事情を抱えた学生がやってきていた。
なかにはベビーカーを押して通学してくる男性もいた。大学の最上階には保育室があったらしい。
子供を預けて勉強していた。当時30年近くも前になるのに大学に保育室があったのである。
これ又、日本では考えられない。私は3年の留学で帰国したが彼女も程なく帰国し、
今も病院勤務をしている。
この像はローマで彫刻の勉強をしていた予備校時代の同級生、板東 優君のおかげでブロンズ像になった。
「GORO」と「MIKA」も同様である。彼がいなかったら、ブロンズにして持ち帰ることは
出来なかった。
感謝である。
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