「MIKA」(1981年)
「母子まんだら」が私の版画の原点なら「MIKA」は私の彫刻の原点と言える作品。
パリ留学3年間の最後の最後に生まれてくれた。
ボザールに入学して以来ずっと教授から言われた続けた言葉「洋子を作りなさい・・・・・・」
その言葉を3年かかって実現できたのがこの「MIKA」である。
ボザールの教室ではじめて彫刻を作った時

私の隣では「マリークロード」という女性が幼稚園児の粘土細工のような
丸三角四角のおでんの串刺しのような形を作っていた。
私はモデルさんのヌードを見ながら芸大での授業の時のように作っていたと思う。
先生が1人々に意見を言って回る。
隣のマリーの番が来た。先生が誉めている。
何であの幼稚園児が作ったようなものが誉められるのだろう?
私の番が来た。
「ヨーコ、マリークロードの作品を見てごらん、
彼女は彼女を作っているけどヨーコはヨーコを作っていない」。
「ヨーコはヨーコを作りなさい」以来、私の頭の中は「ヨーコを作る・・・・・・・」
それが目標となった。
10 数体の粘土像を作ったが一度も「ヨーコを作ったね」と言われぬまま3年の
留学期間が終わろうとしていた。
 一度も誉められなかったが、それまで作った人体は全部石膏取りをしていた。
日本に持って帰るつもりだった。もうすぐ留学の期間が切れると言うとき
「MIKA」にモデルを頼んだ。
 彼女が芸術学科の1年生で私が彫刻科の1年生東大寮と言う女子寮、
畳12畳6人部屋で一緒になった時からの親友である。
彼女は大学2年でフランス人と一緒になり以来パリに在住。
芸大在学中から彫刻科の同級生達から是非頭部のモデルになってくれと言われていた。
日本に帰る前に是非彼女を作りたかった。
授業の後モデルになってもらった。そして7〜8割り出来たろうか、
それを見て教授が言った「ヨーコ、やっとヨーコが出来たね」
そうか、ヨーコを作るとはこうゆうことだったのか、その一言でやっと「ヨーコを作る」の意味が
わかった気がした。
ローマで彫刻の勉強をしていた板東君がこれを見て、ブロンズにした方がいいよと言ってくれた。
そして、彼の知っているローマの鋳造所で「MIKA」のブロンズが出来上がった。
「MIKA」は私の彫刻の原点である。
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