大 日 如 来 像
2015年7月1日〜8月12日制作「縄文の母」長野県茅野市
五味 保 記念館に設置
縄文の里で縄文の母を彫る

7月の1か月間では  終わらなかった、、、、
2メートルの大木を そんな短期間に彫ったことは無かったが出来るかも知れない
と思ってた、、、
甘かった、、!!
制作途中の写真は 1か月経って 迎えに来てくれた主人が写したもの、
制作中の写真なんて・・・大学時代以来だ! 
大作の注文主は長野県茅野市の堀田彩子さん(画家だったお父さんが彩子と名付けたそうな)
ガレージで彫っていると
通りすがりの人が声をかけていく、
ある時 男性だったが 「ここは 縄文の里だから これは 縄文の母 だね〜」
と話して行った。

で、堀田さんも「縄文の母」が気に入って 題名採用〜!!

(当初のデッサンには「幸せモフモフ」というタイトルが付いてたが
 堀田さんが言うと何故か「幸せフワフワ」・・・)

この辺り一帯は 大昔 縄文人が住んでいたところで、 近くには「縄文考古館」があり、
2つの国宝「縄文のヴィーナス」と「仮面のヴィーナス」がある。
まさに縄文の地で縄文の母を彫らせていただいた!!
途中一度帰宅したが また、すぐ戻ってお盆前には仕上げねば、、、と、奮起した。
ラストスパートは
3時起き5時から彫ったお陰で8/12日には完成!、
今年は妹の初盆だったからだ。
大作を39日間で彫れたのは 缶詰で「仕事三昧」のお陰!初めて「仕事三昧」を味わった。
大変だったけれど しあわせだった、
現場は外で 長野でも暑かったけれどさほど感じず集中出来た。

それに堀田さんの上げ膳据え膳のお陰・・・!!
堀田さんは朝4時起きでみんなの弁当作ってから仕事に行く、
多い時は10人分位になるそうだが その中に私の弁当も加わった、
しかも昼と夜の分、時々夕方早目に「はい!夜の弁当」と言って渡してくれると
「パソコン教室行ってくるね〜」と言って出掛けた。
年齢70うん歳、超元気で従業員さんの一人が「堀田さんは人の4倍働いてる」と言っていた
確かにじーっとしていない、食べるのも早い、何か決めるのも早い、、、が運転は意外に慎重!
従業員さん7人の会社経営のほかに お父さんの油絵を展示した「五味保記念館」を運営し
母屋からも眺められるそこの庭がいい!緑豊かで 空まで見える!この庭に、私の木彫が置かれる、
、木漏れ日の中に・・・
設置されたら 完成写真を撮りに行くつもりだ。
記念館は常時開館してないが 連絡して訪ねると見せてくれて コーヒーやお菓子まで付いてくる、、、
もしも 「縄文考古館」に行くことなどあったら 「五味記念館」と「縄文の母」 訪ねてみてくださいませ〜
それから 泊ってたのは堀田さんのマンション
その最上階には露天風呂!!!
夜は勿論 朝 暗い内の露天風呂が身体に効いた!!!
制作現場までの 朝焼けには 何度も涙した夕焼けにも泣いた  
山々も雲も 今まで見たこともないような色調が現れて変化した
あんまり美しいから号泣した
あぁ〜地球はうつくしいなぁ〜〜〜
思わず声に出た。
うつくしい縄文の地で 縄文の母 が彫れたこと・・・もう夢のよう・・・。。。
今回の長野では多くを学んだ
仕事三昧の味
・早寝早起きのお陰で 水色の山や空のドラマを見れた
・堀田さんの1時間は 2時間3時間にもなった
そして 今回彫ってて思ったこと!
木を彫るのは人生と同じだってこと、、、
例えば より良い形目指して  ココが駄目だから彫り直そうと思って 、
でも こっちは良く出来たから、もったいないから 良いところはそのまま残して
ダメなココだけ彫り直そうとしても

それは出来ないってこと。
すべて繋がってるから ココだけっていうのはありえない、、
良くしたかったら  一番ダメなところに 焦点当てて取り組まないと 変えられない、、、
いいところは残して ダメな所だけ変えようなんてのは通用しなかった、、、
ひとつ変えたら すべてそれに呼応してバランスするから
せっかくここは良く出来て気に入ってるからとっておきたいなんて思ってもムダ!
すべてはバランス。
だから やはり 前回のブログにも書いたが 「創造は破壊」なんですね〜
彫ることは壊すこと 壊して壊して もう壊せなくなった時が その時の自分にとっての完成、、
だから 99,999パーセントまで まだなんだけど 最後一瞬にして ひっくり返るようなもの、、、
ひっくり返って 完成!そうすると いいとこは取っておきたかった  というところも 壊したお陰で
 更によくなってるんですよね、

ダメなところをなんとかしようと彫り直したお陰で、、、
一人で こんなことを 面白がっておりました。

設置されました2015年8月25日
月光菩薩  17cm×7cm×7cm(2015年9月)