奇数月刊 とちぎ 2006年 1月 No.405 シリーズ●とちぎのひと |
時間と民族を超え愛を謳う ギタリスト ソンコ・マージュ |
◆チェロからクラシックギターヘ |
フォルクローレ・ギターの巨匠、アタウアルパ・ユパンキ(1908〜1992)の精神を受け継ぐ唯一の弟子、ソンコ・マージュさん。 本名荒川義男さんは栃木市に生まれ、少年時代まで同市で過ごした。 初めての楽器は、父が趣味でやっていたバイオリン。宇都宮市に通い始めたのが小学生のとき。次第に中音、低音がきれいな楽器に興味を持ち、チェロとクラシックギターを同時に勉強していた。 「そのときの先生が面白いことを言うんですよ。うまいけれども、手が小さい。ポジションに無理がある。プロになったときに悩むかも知れないと。ほんとうは、あと1センチ指が長くなくてはいけないんです。もっと早く言ってくれたらよかったのに」 なくなくチェロをやめた。だが、今でもチェロが好き。弾くギターよりも擦るチェロの方が好きという。 「チェロには限りない憧れと嫉妬感を持っています。やりたかったからねあの音色は素晴らしい」 65年、スペイン政府の給費留学制度を利用し、アンドレス・セゴビアからギターの基本を学んだ。帰国後、プロとして活動するためNHKのオーディオションを受けた。クラシックでなく、ユパンキの曲で挑戦。合格し、ラジオで放送された。 「そのときのディレクターが、この曲を演奏するのは君が日本で最初だって言っていました」 |
◆巨匠ユパンキの前で演奏 |
64年、ユパンキが初来日した。音楽関係者が、ユパンキとの会見に同席させてくれるという。 「ユパンキに、あなたの曲を弾く人だと紹介されました。じゃあ、何か弾いてみてくれというんです。レコードで覚えたバルガスのサンバという曲を演奏しました。夏だというのに手足がガタガタと震えたのを鮮烈に記憶しています。演奏を終えると、うまいって言うんです。いやぁ、もう感激でしたね。でも、次の言葉が良くなかった。1小節足りないと。踊りの曲なので足りないのはだめだって・(笑)」 この曲は、大切なレパートリーのひとつにしている。 67年、2度目の来日。ユパンキが突然、荒川さんの自宅を訪れた。 「教えたいことがあるというんです。びっくりしました。何曲か教えてもらいました。そして、日本での演奏がすべて終わったたら、このギターをさしあげるというんです」 数日後、宿泊先のホテルに呼び出された。再びユパンキの前で演奏した。 「ユパンキは、愛用の名器『ヌーニュス』 の頭に口づけをして、思い切るように僕に渡してくれました。そして僕を抱きしめました。そのときは、死ぬかと思ったね。体が大きくて、100`もあるんだから」 ユパンキは、「アルゼンチンから日本へ」という著書の冒頭に次のように書いている。 「日本を去るとき、ギターは無かった。日本の有能なギタリストにあげてしまった。私は2人の息子以外に、他人に名前をあげたことはない」 ソンコ・マージュはケチユア語で「心の川」という意味。 |
◆音楽は愛。愛は寛容と平等。 |
「僕にとって音楽とは愛です。愛は、寛容性と平等性が根本の原理。音楽との関係性よりも、人間との関係性のほうがより重要なのです」 音楽を通してユパンキから学んだ哲学だ。だから、哲学のない音楽は好まない。 「芸術家は常に社会の現象に敏感に反応して表現しなければならないのです。現代はカオスの時代。残忍な犯罪が増え続けています。こんな時こそ全人類的な表現の音楽が必要な のです。人間の心を取り戻すのには、音楽が一番いい。僕は、そのために音楽をやっているのですから」 |
果てもなくさまよう 人の世の砂漠を 果てもなくさまよう 安らぎを求めて わが深い胸の底には 失った多くのものがわれをよぶ 帰れ帰れふるさとへ 帰れ心のふるさとヘ |
ソンコ・マージュさん作詞作曲の『心のふるさと』。故郷・栃木に帰り、会う山や川、捨て置き去った思い出の品、追いたる父母、なつかしい友とふれあい、この歌ができたという |