荻窪百点 大地と共に生きる歌、フォルクローレ
ギタリスト ソンコ・マージュ
世界的なフォルクローレの奏者としてご活躍ですが、フォルクローレって何?って聞かれるかもね。
ソンコ そうですね。南米中央アンデスに住むインディオの音楽ですね。アルゼンチン生まれのギター奏者アタウアルパ・ユパンキが広く世界に紹介して、ジャンルとして確立させたんです。
NHKの審査をうけたんですね。
合格するまでは、バッハとかクラシックばかりやってたけど、堀内敬三と野村光一という有名な人が審査員のときに思い切ってユパンキの曲をやったんですよ。審査員がなんという曲かといってましたね。これはアルゼンチンの曲でフォルクローレですと言ったら堀内敬三さんはアタウアルパ・ユパンキを知っていて「これは野村君凄い方です」なんていっていました。それで受かった人だけが二階に上がって批評をしてくれるんですよ。野村さんは知らなくて、それはフランスのパンかなんていってるぐらいだったね。僕は合格して放送となりました。NHKの第四スタジオ、ディレクターがこの曲をやるのは君が日本で最初だっていってくれました。だからフォルクローレは僕がNHKで最初に演奏したんです。
パイオニアですね。
その自負はあります。それでその分野でLPレコードを出したのも僕が最初です。
フォルクローレとの出会いは
1964年アタウアルパ・ユパンキが来日したとき最初に会いました。二年後に来日したときも音楽団体の好意であいました。アタウアルパ・ユパンキが何か弾いてみてくれというので、レコードから覚えたバルガスのサンバを弾きました。その頃は曲の由来も知らずに弾いたけど、バルガス地方のサンバはアルゼンチンでは国歌的存在なんですね。
認められてよかったですね
次に来日したときホテルニュージャパンの4階でまた弾きました。今度はかなり感動してくれました。それでこのヌーニャスのギターをあげるといわれました。びっくりしました。
大地に生きる民族の音楽
民族的なティピカルなものだと、その土地に行かなくてはだめですね。楽譜はほとんどないですから体で覚えるというか。日本にはないリズムですからね。
リズム
三拍子の歌なんて我々にはちょっと馴染みがないから面食らったですね。最近だからあるけどね。フォルクローレはラテン語でフォルクロワっていうんです。ドイツ語でもいいますけど民俗学というアカデミックな意味なんですよ。それを定着させたのがアタウアルパ・ユパンキなんですよ。フォルクローレを、単なる民族音楽をより高く芸術的にしたんですよ。
アーチストですね。
クラシックが芸術で民族音楽は芸術じゃないってのは、ちょっとまずいじゃないですか。ボリビアから来た人たちがボンボとギターとケーナとチャランゴなどでやっているのがフォルクローレだって一般的な概念だけど、ユパンキのは特殊で、ユパンキはフォルクローレを芸術的な音楽にしたんですね。
クラシックとそういう音楽は別ですか
接点は非常にありますね。というのは、まずギターで伴奏すること、ソロであること、それでスペインの音楽とアルゼンチンの音楽、北アルゼンチンのボリビアに寄った方で、フフィ州、サルタ州、次はボリビアですか、フォルクローレはスペインの音楽とインディオの音楽の混交音楽です。古いものは五音音階多くて、これを専門語でペンタトニックというんです。日本の音階と似ています。ユパンキが二つのルーツを一つにまとめて芸術的にしたんです。
ソンコ・マージュさんがフォルクローレを知ったのは
僕はクラシックだから、ユパンキを知ってからです。それまではドンチャカドンチャカの様式しか日本には知られてなかったんですよ。なぜかユパンキのレコードが日本になかったですね。子供心にじーんときてね、これもすごいなと思った記憶があるんです。何の音楽のジャンルかと思った。そのうち歌を唄ってるんですよ。ギターのソロもあるけど素晴らしいと思ったね。
南米の民族音楽フォルクローレの芸術性を高めて世界的な音楽とした偉大なアタウアルパ・ユパンキが弟子と認めたのはソンコ・マージュさん一人だそうですね。
あの人は弟子もとらないし、とる暇もない忙しい人でしたから、僕を弟子と認めてくれたことは大変うれしいことです。
弟子としては
アタウアルパ・ユパンキの精神を世界に広めるということですね。大きな責任を感じています。
ソンコ・マージュさんの音楽が多くの文学者に受け入れられているのはどういうところでしょう。
おそらく音楽と文学とは共通のファクターがあるんでしょう。
接点ですね。
人が本を読むとき、ある種の音楽的なリズム感や間を無意識のうちに感じて快感を得ているような気がするんです。特に日本語は表意文字さらには平仮名を持っていますから音楽的なもの絵画的なものをお互いに感じるからだと思います。
いろいろ難しいですね。
僕は自分の音楽を芸術的に処理しているつもりです。フォルクローレとバッハの曲を一緒にやってもみんな違和感がないといってくれますね。
わかりますけどむずかしい。
僕の場合はフォルクロリスタって民族音楽奏者になってしまっているんですが、それをいちいち否定できないから違いますなんていわない。民族的であっても大丈夫ですよ頂点は一緒ですから。僕の音楽を聴いて文章を読んでそれを察知してもらわなきゃ困るんだ。
アタウアルパ・ユパンキはソンコ・マージュさんに弟子としてどういう接し方をされましたか。
弟子といってもアタウアルパ・ユパンキには僕のほうからギターの教えを願ったことではないのです。師のほうから「お前に教えたいことがある」と言ってくれたんです。
すごいこと。
アンドレス・セゴビアにはクラシックギターの弾き方、音楽の解釈とかを教わりました。セゴビアは自分と全く同じでないと気に入らなくて、ユパンキとは違いましたね。ユパンキは音楽に楽譜はあまり必要でない。重要なのは奏者の心なのだといっていましたね。
詩人ですね。
そんなことでユパンキからは特殊な奏法はもちろん教わりましたけど、それよりも、音を通しての人間のあり方を学びました。だから僕はユパンキのウマニスム(ヒューマニズム)の弟子だと思っているんです。
カッコいいですね。
ユパンキから音楽を通じて教えてもらったことは自然への畏敬とトレランス、寛容ですね。それを態度で教えてもらった気がする。寛容の精神は重要で、要するに宗教とか文化に対して寛容でないと戦争になるのと同じでね。そういうものを理解しろってことですね。それから自然への畏敬。アニミズムですね。これを知らないとダメです。
わかりますね。
これからこのアニミズムを台頭させないと人間の心は滅び、ひいては世界が滅びますね。
要は、ソンコ・マージュさんの音楽を聴いて理解しなさいということですね。
ギターは奏者の胸(心)の前において弾かねばならない唯一の楽器なのだ、だから奏者はギターに語りかけギターは奏者に語りかけるものだとユパンキはいいました。
抜粋です。