第七回羯諦ソンコ・マージュ・コンサート2008.03.08 但馬国 出石  羯諦の間
プログラム
第一部
カルチャキー族のビダーラ VIDALA CALCHAQUI 演奏
陽コ当ダネ村 LAMENTACION DE LOS POBRES 演唱
悲痛のビダーラ VIDALA DOLOROSA 演奏
ギターよ教えておくれ GUITARRA DIMELO TU 演唱
アルト・ベルデのサンバ ZAMBITA ALTO BERDE 演奏
おやすみ、ネグリート DUERUME NEGRITO 演唱
第二部
風のサンバ ZAMBA DEL VIENTO 演奏
夜の祈り PARA REZAR EN LA NOCHE 演唱
バルガスのサンバ ZAMBA DE VARGAS 演奏
マランボ MALAMBO 演奏
おじいさんの歌 No.1 CANCION DEL ABUELO No.1 演奏
エル・アラサン EL ALAZAN 演唱
熟れたトウモロコシの踊り DANZA DEL MAIZ MADURO 演奏
アンコール
鳥の歌 EL CANTO DEL PAJARO 演奏
                鳥の歌をヌーニェスとT.YAMAZAKIで演奏
眠れぬ夜 LA NOCHE INSOMNE 演唱
第一部
○ カルチャキー族のビダーラ
今日はじめてここで演奏するのですが、ケチュア族というのがいまして、そのケチュア族のなかのある部族なんですがカルチヤキー族というのが北アルゼンチンとボリビアをはさんだ国境あたりにいるんですね。むかしはボーダーラインはほとんどありませんからね。スペインが侵入しまして勇猛に戦ったのがカルチャキー族らしかったですね。それからもう一ついまからやりますインディオの道の中でコージャといいますかコージャ族とが最後まで戦って今其の末裔は180人ぐらいしかいないそうですが其の一人が私の先生のアタウアルパ・ユパンキの息子でありますが。其の息子にあなたはどこの人かというと彼は胸を張ってコージャであるといいましたですね。非常に勇気のあるほとんど武器がなくコージャ族はスペインに石でたちむかったというんですね。スペインは槍をもって馬を持ってきていました。ですから簡単に負けてしまったんですが、そのコージャ族が作った音楽らしいですね。だからこの曲名はわかりません。僕はかねがね音楽というのは 哲学と音楽という相対概念ですかね。これはむずかしい。相対概念というのは簡単に言うと昼間と夜の関係性、また天と地とかの関係性ね、これ非常に重要なことだと思います。私は音楽と哲学という関係性を重要視しています。今日はこのコンサートが第7回目になりますけれども7年間も一堂に会することができたというジョイント役をやってくれたのが篠田暢之はくしでありますが彼は音楽が好きでガリアーノという大変なバイオリンをもっておるんですがみずから室内楽団を作ってやっておった。そういう関係があって今は皇帝になられましたけれど、インペリアルですね。濟先生とお会いできたわけですね。先生はこうやってみるとインペリアルの風貌がありますね。本当は私が皇帝だったんですがユパンキにいらんことを言いまして最初にトゥパクマージュというのをくれたんですがソンコ・マージュにかえてもらいました。最初は僕がトゥパク・マージュだったんですね。それが今濟昭道先生にいっています。わたしは夕べいろいろと考えたんですが、彼が上手くなって私と演奏旅行をしようと言い出したらおことわりしようとおもっています。皇帝と其の平民の名前ではファンがサインなんか先生のほうへいっちゃう。そう言う危惧を懸念しています。インカ皇帝というのはワンマンではなかったそうです。食べ物なんかはみんな庶民と一緒に食べたそうですから、だからあれだけ続いたんでしょうね。人間の平等性ということを考えなくちゃいけないですね。音楽と哲学という相対概念を皆様どうか持ちつづけて聞いていただきたいと思います。私の師のアタウアルパ・ユパンキは、第4代はひだりききだったんですね。13代はスペインに負けたアタウアルパでありますが二つの皇帝の名前を冠しています。わたしは全然平民であります。二番目に偉いのが濟昭道先生トゥパク・マージュということになりますね。インカ帝国というのはそれほど富の分配も公平にやった。そういうところが大体長く続くんですね。先生いま結婚の晩をやったの。結婚の禿げといわなかった。私は高木恭三さんの詩集の「まるめろ」でもう一つ曲をつけたものがあります。それが陽コ当タネ村です。 これは日が当たらない村というんですが、ほろ月村一度だって日が当たらない、津軽の西海岸というのは365日のうち250日は全然曇っているんですよそれぐらい寒村です。そういうところを歌った。
○陽コ当タネ村○悲痛のビダーラ○ギターよ教えておくれ
僕は長い間ギターというものをやっていまして、つくづくギターというものは、極めて一対一の個人的なものだと思うんですが、ギターが私に語りかけまた私がギターに語りかける。こうやって弾いて今日はどうですかというと、かえってくるわけですが、其のやり取りがありますので私はこの音楽があるうちは一人になっても孤独ではないという思いがしますが ですから極めて個人的なものであってしたがって第三者が入り込む余地がない、とおもいますね。いろんな音楽の形態がありますが僕はソリストというのが好きなのです、ひとりでやって自らの伴奏で相手の心に訴えかける、またギターに訴えかける 間接的に訴えかける。ということは私は皆さんに訴えてそれを生業にしているわけですが、まあアマチュアイズムであってもこれはお金を取るか取らないかだけで同じであります。これは非常にポータブルであります。ピアノなんか持って歩けません。こんなちっちゃなものですがピアノくらいの表現力は持っています。ただし、ピアノより難しい楽器であります。音が出るのに20年ぐらい要しますね。いまだに私は満足の演奏をしたことはありません。この演奏が満足だというときは死ぬる時でしょう。それぐらいなかなかむずかしい楽器であります。哲学と音楽の相関関係ですね。相対概念といいますけどこれは私は非常に重要なことでこれを失うと人心が滅びるとぼくは思っています。音楽を哲学にリンクさせるということは 哲学は愛と知ということだと思います、愛を知ることであります。哲学は難しいものではなくて、愛を知るという本来の意味に徹して貰いたいと思うんですね。それを失った今日僕はつくづく世界を回って愛を失っているんではないかとおもうんですね。それはやはり物質欲ばかり、金儲けばっかり考えてきたんですね。ですからこうなってしまうと金がないと生きられないんですね。・・・・・・・まだまだお話が続きます。携帯電話、インターネットのはなしなど・・・
こういう小さなコンサートであってもフェイストウフェイス、マインドトウマインドが必要であってこういうものを大事にしたいですね。○アルトベルデのサンバ
カリブ海にいきますね。ここには赤貧洗うが如し国があるんですね。ドミニカですね。あとキューバ。私はキューバは二度ほど行きましたけどカストロが元気だったですね日曜日になると1時間という約束で演説をはじめるんですが夕方までやっています。キューバのアマデオ・ロルダンという立派なホールで私のコンサートをキューバ政府がやってくれまして、弟のラウロ・カストロが来てくれましてそのものものしさに僕はふるえました。自動小銃を持ったのが4人彼の後ろにいるんですね。1週間連続で演奏会をやりました。門の前に浅沼稲滋郎の銅像がありましたね。豊田織機の古い器械をキューバに送った浅沼はキューバでは英雄です。カストロも英雄ですがチェゲバラも英雄です。チェゲバラというのはユパンキの資料館にいきましたら等身大でユパンキとチェパラの写真が並んでおりましてそこに僕の写真もありますけどゲバラはアルゼンチンでは英雄ですね。アルゼンチンで英雄は誰だときいてまりますと、だれもチェゲバラといいます、ユパンキは二番目ですね、わたしはユパンキの一番でしだというと嘘だというんですね。ギターをひくと本物だといいます。
○おやすみネグリート ネグリートというのは黒人の赤ちゃん、男の子ですね。ネグリータといったら女の赤ちゃん、お母さんはせっせと野良仕事、給金もらえず野良仕事、だってお母さんは奴隷のお母さんだから 咳をしながら野良仕事、はやくお前が休まないと白い鬼がやってきてお前の足を食べちゃうぞ
第二部
○風のサンバ ○夜の祈り ○バルガスのサンバ ○マランボ○おじいさんの歌No.1
○エル・アラサン
余り長いと飽きられますのでこの辺で終わりにしたいと思います。
○熟れたトウモロコシの踊り
篠田暢之「名器が2本ありますので、同じ曲を弾いていただけませんか。」
ソンコ・マージュ「ヌーニェスを何故ユパンキが持ったか。アルゼンチンとチリをよく行き来したんですよ。気候が違って木の楽器は割れてしまうんですね。だからこのアルミのギターをつかったんです。ユパンキは700曲作っていますが、プテスタントソングはつくっていません。やはり後ろめたい人は反体制と感じるんでしょうが。」
鳥の歌をヌーニェスとT.YAMAZAKIで弾き比べ。
○鳥の歌
篠田暢之「ヌーニェスはバイオリンで言えばガルネリですよ、あちらはストラディバリウスかアマティーですよ。」
ソンコ・マージュ「ああ、そう言う違いがあるかね。」
篠田暢之「はっきりいうとヌーニエスは心の中にきますね。前の楽器は耳に心地よいです。」
ソンコ・マージュ「いや、それは木とアルミの違いですよ。やはり楽器は二つあったほうがいいですよ。」
トゥパク・マージュ「要は返してくれということですか。」
僕が作った作詞作曲の歌をはやらせようとおもっているのでちょっとやります。
○眠れる夜。
眠れぬ夜は長い。なぜか思いは昔にはせる、過ぎ去った想いでは走馬灯のごとく脳裏をよぎる。早く朝はこないものか。