第五回  羯諦ソンコ・マージュ・コンサート 2006.03.18   但馬国 出石 羯諦の間 
イヴァーネスもきちゃった。猫の皿もきちゃった。

 T.YAMAZAKIを譲っていただいて間もないのですが、ギターを弾いたり聞いたりしていると、どうしてももう一本欲しくなるものです。なかなか田舎にいると都会に出るのも一仕事、またどんなのがいいギターかもわからず、通販ではおもしろくなくということで、再び篠田先生にお願いしてもう一本イヴァーネスを譲り受けました。これでテレビ取材のときにアルゼンチンから買ってきていただいたTangoというギターとあわせて三台になりました。一台も満足にコントロールできないのにと家内にいわれましたが、ある程度練習が進むと欲しくなるものなんですね。ソンコ・マージュ先生もいっておられました、ある程度すると欲しくなるものだと。
 今年はあまり話題がありませんが、ソンコ・マージュ先生を缶詰にしました。お迎えに行って姫路から出石まで車の中でいつもしゃべりっぱなし(ソンコ節)、それを防ぐ一計を企てました。私は年に二回ソンコ・マージュ先生に指導を受けていますが、とてもそれでは時間が足りません、そこで私ができるユパンキのカントを二十二曲CDにいれて、姫路から出石までの間車の中でそれをずっとかけてCDレッスンをしていただきました。おそらく下手な歌と伴奏を聴かされて面白くなかったと思いますが、それでも処々注意をいただき私にとっては有意義な一時間半でしたが、おそらくソンコ・マージュ先生にとっては苦痛の1時間半ではなかったかと思われます。というのも車の中ですから逃げようがありません。もうへただから二、三曲でやめようよとも言い出せず。これから毎年この調子で姫路までお迎えにいこうかと考えていますが、巨匠は大苦戦でしょう。
ソンコ・マージュ先生は、獣医の資格を持っておられます。猫に首輪をつけて散歩に行くなどとても動物好きです。我が家に十匹の猫がいて先生の演奏中に先生の足元にいて、わかるのかわからないのか不明ですが静かに聞いています。私が練習するときもよくそばにきて聞いてくれていますが、果たして何かわかってくれているのでしょうか。童話になるような一場面です。不思議なことに我が家の猫はギターでどんなに大きい音を出しても逃げることもなく、猫はギターの音が好きなんでしょうか。先生のところは猫が好きだからと染付けの猫の皿を先生からいただきました。
第一部
雪景色 PAISAJE CON NIEVE 演唱
トリステNo.4 TRISTE No.4 演奏
バルガスのサンバ ZAMBA DE VARGAS 演奏
やるせない寂寞 LE TENGO RABIA AL SILENCIO 演唱
ロマンス ROMANCE 演奏
第二部
どこの生まれと訊かれても PREGUNTAN DE DONDE SOY 演唱
悲しきミロンガ MILONGA TRISTE 演奏
インディオの道 CAMINO DEL INDIO 演唱
ラジオ深夜便 VIENTO DEL SONKO MAYU 演奏
トゥクマンの月 LUNA TUCUMANA 演唱
アンコール
マランボ MALANBO 演奏
第一部
 私は私の運命の欲するところによって、齢71年という馬齢を重ねてまいりました。そして今思うのは、世界を歩いた私は果たしてどんな影響を与えたのか、どんな存在であったのかということを、なぜか自問自答する今日であります。そして今日お伝えする音楽のその総てはわずか数分間という短いドラマであります。ですから、言い足りない部分があると思いますが、どうか皆様の感性をもって、これを敷衍なさってお聞きいただければ、私としてはこの上ない喜びであります。本日はどうもありがとうございました。
 ○雪景色 ○トリステ No,4 ○バルガスのサンバ   ○やるせない寂寞
 これは北アルゼンチンの農民を歌っていますから、押しなべてソンコ・マージュのように寡黙なんですね。今、笑った人は僕のこと解らないんですかね。まあ、モノカルチャーですからね。農民は農民。そうするとあまり言葉はいらないんですね。僕はラテン諸国というから、一番最初行ったとき、かなりおしゃべりかと思いましたが、イタリア人とかスペイン人とかは違いますね、かなり寡黙であります。でもこのアーバンな世界になってきて、都会に人が集まりますと、悪い人間が一杯増えてきますから、黙ったままでは騙されっぱなしですね。こちら出石の方といったって、山の中の町といっても黙ったままではすまされないことが一杯あるでしょう。特に不正に対しては。先送りするのを止めましょうね。とにかくこの世の中は不正と犯罪だらけであります。僕はそういうものにささやかだと思うんですが、音楽で、音楽という一つのバイオレンス。まあいいかえれば、箴言をもって、箴言、諫言ですね、それで立ち向かっていきたいと思います。もうだいぶ歳になりましたけれども、親が馬鹿な奴は元気だといって死にましたけれども、まだまだ元気であります。昨年は111回コンサートをやりました。ほとんど3日に1回ですね。銀座のヤマハホールにいたっては連続21回やりました。ヤマハホールでも驚いたんでしょうね。こういう小さなコンサート、僕は本当はこっちが好きなんです。大きいのはもうやりましたから。今年からはこういうフェイス・トゥ・フェイスこれはマインド・トゥ・マインドでもあります。最近の医学界、脳の学会の、つい三日前に発表がありましたですね。1メートルぐらいで向き合って同じ会話をしたものと、一方、モバイル、電話とかですねバーチャルなもので会話をしたその結果は、私の光り輝く前頭葉、ここから心の反応があるらしいですね。特に左脳が真っ赤になったのを私はみました。電話で会話したのは全くといっていいほどないですね。赤いのがチョロチョロといったぐあい、これは確かに心を持っているんですね。ですから全部の哺乳動物だけでなくて、特に人間が多く持っているらしいですね。その心も使い方によっては良くても悪くてもコミニュケーションとれますから、皆様一人一人が大切なんで、僕はこんな小さな、小さなというと失礼ですけれども、こういうコンサートをやっていきたいと思いますので、どうかソンコ・マージュが飢え死にしない程度によろしくお願いいたします。 ○ 愛のロマンス
第二部
○ どこの生まれと訊かれても
 皆さん不思議に思うかもしれないけれど、この大きな南米大陸にあっても、一坪も持てない絶対的弱者がいるんですね。世界には絶対的弱者、他方には絶対的強者がいますね。絶対的強者は絶対的弱者をつくってはいけないんですがね。世界を歩くと本当に戦争ばかり、戦争ではなくてテロリズムなんですね。戦争は宣戦布告をしてやりますけれども。しかし、このテロリズム、僕はますます増えると思いますね。これはやはり過度の情報化社会が悪いと思うのですね。だから僕はインターネットはしません。ソンコ・マージュさん、インターネットにいっぱい載っていますねといわれても、僕は使いませんからぜんぜん知りません。あれどんなことでもやれるんですね。ソンコ・マージュ前科八犯強姦未遂とうたれりゃそれでおしまいですね。僕はこれあんまりよくない道具だと思うんですね。非常に便利であります。ですから昔からあれができたときから僕は言っているんですよ。法規制をしてこういうことをやったら懲役5年とか8年とか死刑ぐらいまでね。僕は作らないとあれはとんでもないと思いますよ。世界がカオス状態になってますます混乱しますよ。これだけ加入者が増えてくるとインターネット犯罪者は捕まりません。7年前から日本の少年犯罪は世界一なんですよ。それはねアメリカのニューヨークあたりはすこし多いですけど、2倍ありますからね日本の人口のアメリカは。ですから人口比では日本のほうが多い。しかも尊属殺人が多い。僕はもうギターなんか弾かなくていいんで、これをいいたくて来ました。昔は尊属殺人といって親なんか殺すのは10年に1回しかなかったですよ。ぼくらの時代には。とんでもないですよ。面白がって愉快犯で殺すんですね。この前も11階の屋上から土嚢にコンクリートを詰めて落とすと誰かが死ぬから面白いと大学生がいってましたが。うまく逃れてタクシーの前に落っこちたから助かりましたが、そんなことを面白がってやっているんですね。お茶がまずいから親父を殺し、お母さんを殺すんですね。それが面白かったからとまた2人の女性を殺すんですね。それを自分のブログに書いて面白がっている。こんなのはね、世界中歩いてもおりませんよ。日本だけの現象ですよ。これは恥ずかしい。だから僕は外国行ってこういう話はしないんです。ばかにされちゃう。お客さんこなくなる。いくらいい演奏をしたってソンコ・マージュはなんて野蛮人かと思われたら困りますからね。犯罪が多いのは皆さん薄々感ずいていますよね。二百数十カ国で、日本だけですよこんな国は。発展途上国第三世界にあったってありません。このカオス状態をなんとかしたいですね。それで僕は音楽という形で訴えております。けれども余命いくばくもないのでがんばっておりますがよろしくお願いします。
 先月栃木県の広報の新年号に私のグラビアが載ったんですが、県の取材者が何かコメントをといいますから、「音楽は愛だ」といったんですね。「愛は平等性と寛容性だ」と、これにつきると思うんですね。私も長い雌伏の時がありました。それを支えてくださったのがあそこにおられる髭をたくわえた篠田暢之博士であります。私が無名に近い存在のときに私の音楽をこれはすごいといってくれたんだそうです。今から40年前になりますが、ほんとに有難い。この雌伏の時からやっと食えるようになりましたのでありがとうございます。篠田先生の専門は哲学なんですよ。先生は何十年も前から一番重要なことをやっておられます。先生のお兄さんはおしくも他界されましたが。東京の朝日講堂でお兄さんの追悼コンサートを僕にやらせていただきました。
 ミロンガ・トリステ。非常に貧しい恋人同士。その男の人が出稼ぎにいっちゃうんですね、ブエノスかどっかへでるんでしょう。それで久しぶりに会いたくて彼女の元へ駆けつけたときには彼女は他界してしまっていた。という悲しい実話からつくられたタンゴの名曲です。今日はギターのソロでお伝えします。 
 ○ 悲しきミロンガ
このタンゴというのはブエノスアイレスで流行っていました。昔、日本でもタンゴの流行っていた時期がありました。今は流行っていませんが。ブエノスアイレスに独立記念のオベリスクがある大きな通りがあります。その裏のほうにタンゴを演奏する人が一杯いたんですよね。僕はその一角のカサ・マルガリータ・パラシオというところで毎晩演奏していました。この間行きましたらいくら訪ねてもないんですね。パラシオさんとっくに死んでしまったからなくなったのかと思ったら、タンゴそのものが本場で食えないんですね。正確にはわずか一軒ですタンゴだけやっているのが。それがボカという港町の観光目的のところでやってますね。ちょっとかわいそうになりましたけど、ところが日本人はこれ好きなんですね。でも私はタンゴより団子のほうが好きなんですね。 ○インディオの道 
 これはこの四月からNHKのラジオ深夜便で五木寛之さんが出演する時にかかるテーマソングです。三日前に出来上がったばかりです。ゆくゆくは歌にしようと思っています。奥ゆかしい人が作ると奥ゆかしくなるんですね。僕は落差が激しいもので、顰蹙を買うことがあるんですね。そしたらね、ある高名な芸術家が言いました。これは私の百倍も大物ですが、落差が激しいからお前は大芸術家だ。これで安心しました。芸術家は皆落差が激しいそうですよ。ピカソなんかも激しいですね。 ○ ラジオ深夜便
 この曲はモチーフがたった8小節なんですよ。牛車に揺られてというあの世界的名曲ね、あれも8小節です。僕は短いほどいいと思います。音楽は。あと女性のスカートも(笑い)。あんまりでれでれと長いとね、あっちから寄せ集めた、こっちから寄せ集めたコラージュみたいな絵のようになっちゃって僕はコラージュといのはあまり好きじゃあないんですけど、そういう音楽になっちゃうおそれがあるんですね。だから名曲というのは、案外短いですよ。滝廉太郎が荒城の月をフランスに持っていって披露したら、こんなのは日本人に作れるはずがないといわれて、彼はものすごく怒って帰ってきたんですね。全然相手にされなかったんですね。これも短いです。8小節。でもこれ何回か繰り返すと音楽にも歌にもなりますよね。
 そろそろトゥクマンの月というのをやります。実は今日持ってきたこのギターはトゥクマンの月をユパンキが作曲したギターであります。これはこの前アルゼンチンに持って行きましたら長男が言ってましたから間違いないでしょうね。年代から言ってもそうであります。アルゼンチンは1946年まで軍事政権だったんです。悪いことしたんですよ。反体制の人を飛行機に乗せて1回に150人ぐらいずつ殺したんです。1947年にペロン政権になりました。これで民主主義が生まれるかと思ったらこれが軍事政権以上に輪をかけて悪い。ちなみにペロンというのは禿という意味ですからね。私もペロンなんです。篠田先生によりますと私は前禿といってソクラテスです。ソクラテスは前禿という意味だそうですね。彼は本当に私とおんなじですよね。わたしはあのころだったら処刑されましたね。コモンセンスをとなえて死刑ですからね。まともなことをいって死刑ですから。やっぱり権力者というのはすばらしければいいけど権力者というのはろくなことをしませんね。篠田先生が書かれたみたいに道元なんて反権力の権化でしょう。コングロマリットですよね。ああいう人は偉いなあと思いますね、つくづく。反権力であり、道元はもともとやんごとなき生まれでしょ。それが普通の人になろうとしたんですからね。権力をいましめ。それからちょっと僕とあわないところがあるんですちょっとね。色恋も戒めたんだよな。ここんとこがちょびっとね。私はね今日お坊さんがいるからいうわけじゃないんだけどギタリストないしは坊さんになりたかったんですよね。頭も丸めちゃったから。秀道和尚の頭をよくみましたら黒々とはえてるんてすね剃髪している。僕はそらなくても本物なんですよね。このまま坊さんになってもいいんですが、今少し音楽という一つのバイオレンスを持って、ちょっとバイオレンスというのも行き過ぎますけど諫言箴言ですね、音楽の箴言、を私は伝えていきたいと思います。
 カザルスは奥さんのマルティーヌと60歳違うんだよ。マルタさんとは中米のプエルトリコと日本で2回会ったんですよ。日本にカザルスホールというのができてその開館式に僕は演奏したんですよね。御茶ノ水の主婦の友の上ですけどね。潰れました。大体僕がいくとこは潰れますね。開会式と閉会式は僕なんですよね。日本では。これほんとおもしろい。渋谷のジャンジャンもそうなんですね。開会式は僕で閉会式は沖縄と名古屋と渋谷がつぶれて閉会式もこの俺。カザルスはホワイト・ハウスに招かれました。彼は私の故郷のカタルーニアの鳥はピースピースと鳴きますと大統領に向かっていいましたよね。ソンコ・マージュのところへくる鳥も鳴くんですよ。ヘアピース、ヘアピースといって鳴くんですよね(笑い)。カザルスのこれやりましょうよ。ギターでこれやる人あんまりいないんですよ。篠田先生がロシアのイーゴリ・ガーウイッシュというチェリストを招いて、そうのチェロの鳥の歌を聴いて俺涙が出ちゃってね。とまんなくなっちゃうんだよ、チェロで弾かれると。私のギターじゃ涙は出ません。なぜか。あのチェロが持ってるカタルシスってすごいですね。この曲は訊けば聞くほど寂しいんですよ。鳥というのは嬉しさとかの概念でしょ。鳥の鳴く声というのはこれはなんか悲しいですよ。カタルシスを感じます。鳥だって悲しい時があるってカザルスいってましたね。ソンコ・マージュ泣かせるには簡単ですよ。チェロでいまからやる鳥の歌をやれば涙がパブロフの犬みたいなものでいつも出ます。 
 ○ 鳥の歌
 カザルスの音楽をやろうと東京の真ん中の御茶ノ水でやろうとしても倒産するんですよね。日本文化の底の浅さを見ましたね、残念ですが。日本大学が買い取ったんですね。日大は金があるからね。総合商社みたいなところが買い取りますね。僕は最初と最後やりましたから胸の溜飲は下がっていますけど。あらぬところへ行きましたけど、トゥクマンの月というのをやりたくて。これはユパンキがつかまったんですよね。警察に捕まって机の角にギターのここをどかんとぶっつけてギターを取り上げて割っちゃったんですね。そのときにいったユパンキの世界的に有名な言葉「おれは捕まえてもギターは自由だ」といったんですね。そのギターを僕にくれました。これをもらったときは、これも涙が止まらなかった。とにかく止めどなく流れました。詩には月が雲に隠れて雲から顔を出したときは歌おう、歌おう、愛するトゥクマンの月に歌おうといっているんですけど、これみんなユパンキと同じ倒幕隊みたいな者、志をいつにする人ですね大学の教授が多かったです、ユパンキですからインテリジェンスのある人を集めた。あとは意識の高い農民そして軍事政権からペロンに移った時もペロンを倒そうとして。ですから僕は最初アルゼンチンに行ったときは仕事がなかったんです。ユパンキの弟子じゃあてんでね、共産主義者じゃないかって、確かにユパンキは共産党にはいったことがあるんです。ところがいっとき間違っていると僕にいいました。これはやはりノーメンクラツーラという赤い貴族といいましょうかね、これに牛耳られている、腐っている、で俺は抜けたと。で抜けたんです。40代で。それでも僕はそのあとで行きましたけども非常にお前はすごくうまいとは言われますけど、放送にはだしてもらえないですね。やっぱりソンコ・マージュを出すなっていうのあったんでしょうね、指令が。ところが何回かいくうちにこれは赤ではない。何故かね嫌いなんですよ。共産主義を。僕だってね原始共産主義って昔見ましてね僕はこれすばらしいなと思いましたよ、だから若いころ共産主義に原始共産主義を本を読んであこがれなかったらまともな青年じゃないと僕は思いました。でもだんだん権力を持った、たかだか250人あたりのノーメンクラーツがかき回していることにユパンキは気付いたんですね。僕も当然気が付いていますけど。 ○ トゥクマンの月
アンコール
 マランボ。これは基本的には馬の駆け足のリズムをもった音楽なんです。これに歌はないんです踊りなんです。舞曲。かれらは半長靴履いてね拍車がついてるんですよ、大地をふみならしてジャツジャツと踊るんですよ。これは激しい踊りで、僕やりましたけど一分半しか踊ってられないですね。脚力使ってもうへたばっちゃう。それをね朝方までやってるんですから、ガウチョというのはすごい体力ですね。牛を食べちゃう。子牛を1頭ぐらい10人で食べちゃうんですよ。どうも南米にいってくると何べんもいってくると話がでかくなってくるというんですね。日本に帰ってくると小さくなってくるんですね。肉なんていいとこ食べないんですよ、僕らが言うロースとか。どこ食べるか知ってます。あばら骨ですよ。あばら骨の骨膜しか食べないですよ。それを10人ぐらいでぺろっと食べちゃう。ぶどう酒も向こうは20リットル入りもあるんですかね。そしてこれを踊るんですよ、朝方までね。これ南十字星というサブタイトルがあるんですよ。南十字星が辛抱強く残っている。それが消えるまでですから朝方になりますね。この南十字星って皆さん知ってます?僕は一番最初南米に行ったのは南十字星が見たくていったんですよ。そのときは感動しましたけど今では私のほうが光っておりますのでさほどの感動はありません。向こうは一等星ですけど私は特等生でございますから(笑い)。 
 ○ マランボ   終了
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