第四回  羯諦ソンコ・マージュ・コンサート 2005.03.26   但馬国 出石 羯諦の間 
第一部
トリステNo.5 TRISTE No.5 演奏
バルガスのサンバ ZAMBA DE VARGAS 演奏
薬草売り EL VENDEDOR DE YOYOS 演唱
枯れ木の歌 LA CANCION DEL ARBOL SECO 演唱
マラゲニア MALAGUENA 演奏
エル・アラサン EL ALAZAN 演唱
夜の祈り PARA REZAR EN LA NOCHE 演唱
第二部
風のサンバ ZAMBA DEL VIENTO 演奏
わが影のビダーラ VIDALA PARA MI SOMBRA 演唱
コンドルは飛んでいく EL CONDOR PASA 演唱
やるせない寂寞 LE TENGO RABIA AL SILENCIO 演唱
おじいさんの歌No.1 CANCION DEL ABUELO No.1 演奏
ペレス・カルドーソへの祈り ORACION A PEREZ CARDOZO 演奏
アンコール
トゥクマンの月 LUNA TUCUMANA 演唱
第一部
 禅僧が現れました。あはははは。禅寺の魚板で本物の禅僧が現れましたからどうぞよろしく(羯諦の間で開かれる演奏会、講演会の開始の合図をいつもこの魚板でしています)。
 ○トリステ五番 ○バルガスのサンバ ○薬草売り
 僕の作った「枯木の歌」というのをやります。最後にユパンキがひょっこりと我が家を訪れた時に、この曲をユパンキに捧げました。なんか死ぬのがわかったのか知れないんだけれど、彼はこれを持ってパリのサールガボーという800人ぐらいのホールで初演しました。僕は日本語とスペイン語で書いているんですけど、スペイン語のほうで歌おうと思って夕べやりましたら字余りになっちゃって、日本語で作ったのに後からスペイン語をつけるのは難しいですね。外国語はボキャブラリーが長いですからね。日本語というのは短いでしょ。目、手、毛って言うでしょ。スペイン語でOjo. Mano.Peloっていうんですからね。だめなんですよね。後で、作り直してスペイン語でやらしてもらいますが今日は日本語でやります。一言でいいますとこの歌曲は輪廻転生であります。 ○ 枯木の詩
 マラゲーニヤをやりましょう。マラガの女という意味です。ピカソが生まれたところですね。美人なんですよ。睫毛がこう長くて。最近日本の女性も長くなりましたけど(笑い)。向こうの人は本当にびっくりするぐらい長いんですよね。砂漠など乾燥地帯の人は、だいたい埃が多くてね、人間も動物もみんな睫毛が長いんです。あのラクダも長いですよね。地中海沿岸のマラガの家並みは漆喰の白い壁なんですよ。真っ白なんです。眩しいくらい。そこに女性の長い睫毛が写りますと、おしなべて美人に見えるんですね。 ○ マラゲーニヤ
 これはアラサンという馬に寄せたものですが、ここでも何回かやっていると思うんですが。僕の本名は荒川というんで馬の名前と同じアラサンというニックネームですが、この馬はすで死にました。まだ僕もあと五年ぐらい生きていますが、もうまもなく死にますが。この馬は私の先生のユパンキが持っていた栗毛の馬なんです。いつもユパンキのもとに駆け寄ってくれたんですね。一番最初に駆け寄ってくれるというのはかわいいもんですよね。ところがある日駆け寄ってこなかったんですね。崖から落ちて蹉跌して死んじゃったんですね。まあ、夜、死んだんでしょうね。動物は夜見えるのが多いいんですが、馬は夜行性ではありません。人間もそうです。私は夜行性です(笑い)。昼間の演奏会はあまりないんで、夜になるとパチクリして元気がよくなるんですが。昼間はポカントしています。○エル・アラサン
 皆さん馬と一緒に寝たことがないですか。僕は幼少のころは馬と寝ていたんですよ。家が大きくて寒くてね、昔の家ってがらんとしてて家の中に馬がいましたから。ストーブなんかないからね。馬と一緒がいちばん暖かい。馬は38度ありますから。私は38度じゃ死んじゃいますけど、馬は平熱であります。ただの一度も僕は馬にふんずけられたためしはありませんね。四百キロの体重で踏みつけられたら死んでしまいますけど、いっぺんも踏まれたことないです。競馬のジョッキーがよく落馬して頭を踏まれて死にますけど、あれは反射反応でとっさに逃げようとするんですね。そういう時、後続馬があやまって頭かなんかけっちゃうんですね。だからジョッキーもそういうのを知っているんだけど、どうしても人間というのはハット起きようとするんですね。落馬した所に伏せていれば死にません。僕の家の近所にもう一軒競走馬を飼っていた人がいて、まだ2歳の馬にこれ子供だからだいじょうぶだろうと思って子供の頃乗せてもらいました。裸馬です。そしたら一目散に自分の厩舎へかけこんじゃってですね、馬小屋の上に飼葉桶をつるすところに鴨居がありますね。あそこにぶつかれば即死ですけどね。僕も今はあれだけの反射神経ないですね、2メートル前で飛び降りましたね。これ、ぶつかったら即死だと思って。やっぱり馬は自分の家がいいんでしょうね。それ以来、人の家の馬に乗るのは止めましたけど(笑い)。馬というのはね、お利口ですよ。馬と鹿で馬鹿の代名詞になっていますけど。しかし馬は利口です。馬はものすごく利口です。でもっと利口なのは豚であります。これはみんなオッといいますけど、豚というのは綺麗好きなんですよ。あのウンチの中にごちょごちょやっていますけど。あれ、人間が悪いんであって、豚に藁の新しいのを入れると本当に喜んで感謝しますよ。ブブブブ鳴いてね。本来は綺麗好きなんです。尾篭な話だけどウンチがねベタベタとしてるからね。あれはもう人間より綺麗好きですよ。だから猪なんかも利口なんじゃないですか。この辺、猪いますか。あれ馬鹿じゃないと思いますよ。豚はねとにかく僕の知る範囲では人間より利口です。あの人間というのはね僕を含めて馬鹿であります。人間は知能がありすぎて悪知恵も働きますね。
 音楽という僅か3分間のドラマの中にエッセンスを凝縮して聞いてもらっていますから、私の言い足りない部分は皆さんの感性で敷衍して下さい。ところで師ユパンキの話になりますが、僕が会いたいなあと思っていたら、亡くなる1週間前にアルゼンチンからテープレコーダーを担いだブエノスアイレスの放送局の記者が来ましてね。ユパンキのことをいろいろしゃべってくれというので、変な予感はしましたけど、師はそれから1週間後に亡くなりました。以心伝心というか何かあるんですね。何か。そのときに僕はどうしても会いたいと3回ぐらい叫んだんですが亡くなりました。
 ところが実は先々週ね、青森県の弘前で津軽弁の語りの曲をやったんですよ。津軽弁はむずかしいですね。僕のはいんちき津軽弁ですから津軽地方ではやりたくなかったんです。弘前大学で音楽評論をやっている美術家がいて、その彼が青森の新聞に投稿したんですね。僕の津軽弁の曲をNHKで聞いて投稿したんですね。「津軽弁、まったく津軽弁と非なるものだけど津軽弁よりいい」と書いてあり、僕は安心したね。だから私は私の感性でやってますからね。津軽弁の本当の発音じゃなくて。もっともあんなのできません。あえて真似したいならね口をあんまり開かないでしゃべれば似ています。寒いからね、あんまり口を開くと息が漏れて体温がさがっちゃうからね。で向こうはみんなコをつけるんですね。ギターッコ。すずめっコ。みんなこうなんですね。接尾語はコ。難しい発音でフランス語的なところもあるし、あれは外国語ですね。女学生なんかぺちゃくちゃとしゃべってるのを聞くと全く解りませんね。僕、暇だからバス停留所のところで20分間立ち聞きしていました。ウジャウジャ言ってるんですけど、チョコレートというのだけわかりましたね。チョコレートはチョコレートなんですね。あとは全部わかりませんでした。そこで先々週やってきたんですよね。この村上善男という評論家はただの一度も演奏会とか芸術家を褒めたことがないんだそうですね。はじめてソンコ・マージュを褒めたというんですね。なかなか毒舌で有名な評論家らしいですね。安心したよ。津軽弁。僕は津軽弁できないなあと思っていたの。おもしろい言葉ですよ。まあ津軽弁はね濟先生にゆだねました。やるんですよ知ってます。やるんですよ。
 これは「夜の祈り」というラウル・マルドナードという人が作った詩であります。これユパンキのものではありません、すばらしい詩ですよ。 ○ 夜の祈り
世界を歩くとね、ほんとに平和な所って少ないんですよ。日本は平和でありますけど、そのかわり犯罪がふえましたよね。OECDがもう5年前に発表しているんですよ、日本は少年犯罪が世界一多いいんですよ。ニューヨークをはるかに凌駕しています。あまり自慢にならないですね。犯罪は毎日テレビで見ると3人ぐらい殺されていますね。外国人が殺すといわれますが、やっぱり圧倒的に日本人が多いです。とくに少年。昔は尊属殺人なんてね、親を殺したなんて、10年にいっぺんぐらいしかなかったんですよ。明治時代は。だから大変な時代がやってきている。僕の今度の一連のコンサートのタイトルは僕がつけたんじゃないんです。僕が「大地は待っている」という曲をつくったら、コンサートのタイトルを「大地は泣いている」にしちゃって、このプロダクションの社長偉いですね。僕は電話して「社長、間違ったんじゃないの」って「間違ってない」って、「俺が変えた」と言うんですね。だから全人類的な全地球的なことを考えてコンサートを何百回とやるんです。この姿勢に僕は畏敬いたします。おそらくこれ大変でしょう。1回1千万ぐらいの広告をだしていますよ。だって4万人集めるの大変でしょ。日本の音楽史上あのバイオリンも全部いれて僕が最高に集めるといっているんですよ。これは僕もびっくりしちゃったね。もうギャラはいらないと思いましたね。いただくことになってますけど。このプロダクション(光藍社)ははっきりいって日本で一番大きなプロダクション。世界的なすごいのしかやっていません。オペラとバレーしかやっていませんが、なぜか僕をやりたいといってきたんですね。僕は最初3回という契約をしました。ところが何百回になったんですね。おそらくね、僕の意思を汲んでくれたんだと思います。
 今朝の読売新聞に書いてあることをかいつまんで言います。2070年です。今ヒマラヤや北極・南極のですね氷河が溶けていますが、200年から300年かけて溶けていたのが20年から30年の10分の1の期間で同じ量が溶けているんですね。一昨日、ひょこっとテレビひねりましたら、中国があの爆破作業で山なんか堰きとめて洪水をとめているんですね。爆薬で。そんなもんじゃもう間に合わないですね。それから1年では暑いのが60日ぐらいありますね。それがだいたいあと65年で120日に増えるそうですね。皆さん65年以上生きる人ここにいるかな。あなた18歳ぐらい。20歳としても生きていますね。日記に書いておいてください。ソンコ・マージュが嘘をいったか。インチキだったか。皆さん65年ぐらい生きていそうな顔してますけどね。まあよろしくおねがいしますよ。温暖化は大変な問題なんですね。ヒマラヤの氷が溶けるということは、南氷洋も溶けますから、あっというまに陸地が冠水しちゃう。雨は降る。でどうにもならない。そういうのいろいろなものにでてるでしょ。おかしいでしょ。だから65年だからエピキュリアンになって、よけいなことをやって死ぬと、ギターでも弾いて大きな事を言って死ぬというのも一方法でありますが、まあ僕は音楽家のミッションとしてあんまりそんなことはやれません。
 それで今度は演奏会をほんとうに地球規模でやります。日本が終われば外国に出ます。全地球規模でやりますから。まあプロダクションとかいろんなとこを応援しないとね、億というお金がかかりますから。とりあえず日本だけでやってみます。僕のもとにこういう偉い社長が現れたんですよね。僕の音楽はたった3分間のドラマの中で、その中のエッセンスを皆さんにお聞かせしますから、3分間しかないんですからこれ。だからそれをお汲み取りいただいて皆さんがそれを全部消化してください。これを言葉で言うのは篠田先生あたりは僕よりずっと上手いし、上手いと言っちゃ語弊がありますけれども、専門家でありますから、哲学者かお坊さんに任せますけど、まあ僕も坊主の端くれですから言わしてもらいますが、僕はこれ本物なんですよね。もともと禿げている。65年というのは速いですよ。それに慄然としてないんですよね、皆さん。僕は最近やっと慄然としてきました。65年というのは速いです。僕はあっというまに70歳を過ぎましたからね。だからね70歳には皆若いというけど、どこをみているんだと、この頭をみてくれと、85歳だというんですけど、頭をみなければ若いのかね。とにかく何故若いのかというと、私はたいした食べ物を食べていません。人を喰っています。それから納豆を食います。納豆。あれいいですよ。後半は2曲ほどでおさめて後は話にしようかと思っているんだけど。
第二部
 僕は寡黙だったんですね。皆笑っちゃうけど本当にしゃべらなかった。一番最初スペインに留学したとき、言葉もわからなかったせいもあるでしょうけど、本当に寡黙で(笑い)ギターを弾いてニャッと友達の前で笑うんですね。気持ちが悪いというんですね、不気味だと。大体日本人は彼らから言わせると笑いすぎるらしいですよ。特に政治家が笑っていますね。テレビであの何か意味も無くニコニコと、こんな局面じゃないでしょう、今。あれ、おかしくないですか。あんなに笑っている政治家いないですよね。ニコニコニコニコ。日本人の習性なんですかね、国民性かもしれませんけど。せめて政治家ぐらいはニタニタ笑っていたらいけないね。アメリカやイギリスの国会をみてもああいうのはいないですね。それに国会でペーパーを読んだりするのはいないですね。みんな何もなしでしゃべっていますよね。日本では事前にアンサー・アンド・クエッションができているんだそうですね。だから我々は南京芝居を聞いているんです。だからもう政治の中継見ないです、頭にきて。もうできてるんですねシナリオが。それ以外のことを質問されると他の人が出てきて回答しているでしょ。濟先生押さえ役だから俺のコンサートハラハラだな。 ○ 風のサンバ 
 こんどは歌を歌います。また例によってスペイン語で。日本語は下手なんだよね僕は。スペイン語でやります。これは名も無い北アルゼンチンの樵さん兼大工もやっていたんですがね。この人を僕は知りませんが、ユパンキは知っていたんですね。でこれをユパンキが取り上げて、ユパンキの作品じゃありませんが、素晴らしい曲を付けていますね。影ですね。影、スペイン語ではソンブラといいます。自分にいつもついてきてくれる影に寄せる歌。○ 影のビダーラ 
こういう精神をアニミズムというんです。哲学的に言いますけれど、人間以外のものでも全てのものに精神が宿るということですね。宿ると思ったほうがいいんですね、宿らなくても。人間が自分だけがこの世でね唯一の存在である、優れたものである、という精神でいると、今日みたいになっちゃって大変な世の中なんです。僕はもう慄然としているんですけど、なかなかわからないんですよね。人間が地球上に心地よく生きられる時間はあと65年という話がありましたが、65年というのは、ア・モメントですよ。一瞬ですよ。僕なんか一瞬で70歳になりましたよ。やっと65歳から世の中と世界観、人類愛とかそういうものを考えるようになりました。それまでは恥ずかしながら突っ走ってきました。だからそういう人間ってなかなかね解らないもんなんだよね。僕は晩成ですこし馬鹿なのかもしれませんが65歳からであります。だからあと10年ぐらいは音楽を通して皆さん方にその精神を、音楽の中に包含する精神を体現していきたいと思っています、よろしくおねがいします。
 つぎは景気のいいのをやりますね。景気がよくなったといいますが本当はよくないんですね。コンドルは飛んでいくというのだけど、これしか知らないという人がいますので、やりましょう。これはねサルスエラという民族劇、農民がやる芝居があるんですね。外国では、スペインもやってますけどね。これはペルーのサルスエラです。この曲は案外新しいんです。著作権がこの間まであったんですよ。意外に新しい曲なんです。でも悠久の何千年のインカの歴史を物語っています。インカ帝国が滅びてしまって、もう帰ってこなくなってしまった。コンドルは鳴きながら我々の頭上を飛び去ってしまった。二番目の歌詞はもう一度またよみがえってくれということですね。アタウアルパユパンキは私にとんでもない名前をくれたんですね。最初はソンコ・マージュではなかったんです。トゥパク・マージュっていうんです。そしたらペルーで日本大使館をのっとったのがトゥパクアマルというゲリラ、反逆者じゃないんですけど、あの連中は人を殺したことがないんです。先導者はアヤクチョの国立大学、日本で言えば東大ですがその哲学の先生であります。この人が意識の高い人を集めてどうも悪い世の中だから何とかしようとやった。もうひとつセンデロルミノソ、輝ける道という意味でこの団体は悪いんですね。これは僕がペルーにいるとき僕の住んでいた家の前の韓国大使館を爆破させました。
 そのトゥパクというのは13代インカ皇帝のアタウアルパという皇帝の腹違いの息子であります。皇帝は百人ぐらい妾がいたそうですが、いちばんスペインに立ち向かった息子なんですね。それが私にくれた名前なんですけど。その後ペルー大使館の事件があってソンコ・マージュでよかったと思っています。向こうの人はトゥパクアマルがいいんじゃないかっていってましたけどね。トゥパク・マージュ語感おかしいですね。濟先生どうですか「トゥパクさんの演奏会です」なんていったら笑っちゃうよね。トゥパクこれはどうも気に入らないから別のものをくれといってソンコになったんですが。ソンコは心という意味なんですね、コラソン、ハート、マージュは川です。だからリバー・オブ・ハートと言う意味、心の川という意味なんですけど。向こうは接続詞とか前置詞とかはないですね。だから「インディアンうそつかない」という感じなんですね。ですけども以外にねインカの言葉はプリミティブな言葉にしては世界で一番形容詞が多いいんですね。形容詞が多いいというのが、高い文化をもっていたと僕は思うんです。今僕はソンコ・マージュ、この名前をもらったときに変な名前をもらっちゃったと思ったんですが。それをもってうちの親父がまだ存命でしたから、「俺、明日からソンコ・マージュにするから」「馬鹿者」と怒られた、私の本名は荒川義男というんですけど、「何でこれが不服か、親がつけたのに」これまた逆鱗に触れたんですね。親の千倍、いやもっと偉い人に貰ったんですと言ったら、また逆鱗に触れたんですね。なぐられるかなと思ったらなぐられはしませんでしたけど大変な逆鱗に触れました。でも死ぬ頃はこれはいい名前だと言うようになりました。そしたら死んでしまいましたが。心の川という意味であります。これをもらった時、僕は鴨長明の方丈記、行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず、を思い浮かべました。川は遡行できませんね、逆戻りが仏教では無常ですね。やっぱり人間の運命みたいなものを感じて、やはり大哲学者の先生がくれた名前だと思って頂きました。いまではこの名前いいなあと思っています。荒川義男じゃあんまり聴衆が集まらないでしょうね。まあ、そういう由来の名前であります。なにやるか忘れちゃった。(コンドルです)これは僕が飛んでいっちゃったほうが早いんですけど。訳すとハゲタカは行くというんですね。コンドルは訳さないほうがいいですね。コンドルはコンドルであります。 ○ コンドルは飛んでいく ○ やるせない寂寞
 つい私のように寡黙な人は黙っちゃうんですね。濟先生は冷笑していますけど。これは親が生きていないから証明するすべはございませんけど、僕は年に三言か四言ぐらいしかしゃべらなかった人間なんです。最初もいいましたけど本当なんです。これは天地神明にかけて本当なんです。天地神明になんていうと、どっかのあの女の股座を撮った大学の先生みたいになっちゃいますが。天地神明なんて言葉うっかり使えないですね。偉い人があの真面目なしかも美人の奥さん貰ったばっかりで、でやってんですよ。いろいろありますね趣味は。僕は趣味がギターでよかったよ。
 僕は昔は歌は歌わなかったんですよ。ところが南米では歌を歌えないと、もてないんだなこれが。女にももてないけど男にもね。「おまえはギターは上手いけど歌は歌えないのか?」とくるわけです。「おまえが持っている一番素晴らしいのは何か?」というから、「俺はギターだ」、しかし「もっと素晴らしいのは声だ」といいましたね。それから変わったんですよ。こりゃあいかんと、クラシックばかり弾いてても。歌って言うのは毒にも薬にもなりますよね。器楽はインストゥルメントは相対的なもんでしょ。絶対性を主張しませんけど、歌は主張しますからね黒いとか赤いとか。だから半分は敵が出来て、半分は味方にいればいいと思いますね。 ○おじいさんの歌No1
 アルゼンチンのちょっと右上の国パラグアイという国があるんですけど、今は本当に貧しい国になってしまいました。南米六カ国のうちで移民を許していたのはパラグアイだけですよ。そのパラグアイも移民をやめましたね。今かってに移民できませんね。今オーストラリアだって移民許可していますけど、そうとう金がないとだめなんですよ、貯金がないと、1千万ぐらいじゃだめなんです。それを銀行に預貯金しないと定住できません。まあ、日本に住んでいろいろやりましょう。他の国にいってもまず足元から直していかないとだめだと思います。そのパラグアイにアルパの神様、アルパというのはハープですけど。1千万もするオーケストラで使うグランドハープではありません。みんな農民が手作りでつくっちゃうんですね。こんなに小さいですが。調子は三つか四つしかできないんですね。そのアルパの名手でペレス・カルドーソという人がいるんですね。アルゼンチンにもよく出稼ぎに行って私の先生のユパンキと非常に仲がよかった。この人はパラグアイのショパンといわれる人なんです。これが赤貧洗うがごとくの貧乏暮らしだったそうですね。僕は会ったことありませんけど、あばら家にカルドーソは生まれて。そして音楽学校もいきたかったんですがいけなくて。自分で独学でやったんですが。その独学の音楽のソースといえば、舞い上がる鳥の羽ばたき、小川のせせらぎ、アンデスの山々、自然が与えてくれた無数の芸術を彼は感知して音楽を作ったのだろうと思います。そのペレス・カルドーソに捧ぐ音楽をやります。 ○ ペレス・カルドーソに捧げる祈り
 (テレビ取材の時の写真を見て。次ページに掲載。)ああこれこれ、丘の頂上で眺めがいいんです。この墓石に腰掛けて僕はいつもギター弾いていたんですよ。これが墓じゃないんだけど自然石なんです。墓碑銘はありません。その周りに最近石を囲って墓らしくはしましたけれども、ユパンキらしいですね。だから黙っていたら観光客はあそこにお座りしてタバコでもすっちゃうんじゃないかと思いますけど。テレビでちょっと映ってましたね。その石に長い口づけをしてまいりました。ユパンキの長男がいまして。長男は原子物理学者で、ユパンキとはアンチテーゼの職業。ところがお前の親父は平和を訴えて死んだんだから原子物理学者を辞めろと、かなりえらい地位だったんですが彼は辞めました。いま非常に貧乏していますね。どこからもお金がはいらない。ユパンキの印税がはいるかといったら、親父は金に全く無頓着で、版権は全部オデオンなどのレコード会社にあって、彼は自動車も持てない。アルゼンチンの大陸で自動車を持っていないのは珍しい。彼は非常に暖かく僕を迎えてくれました。親父は机の上に生涯ソンコ・マージュの写真を飾っていたと、僕は涙が出ちゃったですね。墓石が2個ありますけど片方は奥さんじゃないんです。奥さんは四年前に亡くなってますけど。これ僕は奥さんだと思っていろんなテレビやラジオで奥さんだといったけど、この間、長男に聞いたら違うというんです。これはアルゼンチンの民族舞踊の大家で、こうムチを持って踊るチュカロの墓なんですね。僕はあまり深くは聞きませんでしたけど、やはり大統領を倒す運動をしましたからその同士ではないかと思います。奥さんは別の墓だったんです。この墓の上で僕はギターを弾いていたのかと思うとぞっとします。これは墓碑銘も何もありません。ユパンキともなんとも書いてありません。黙っていたらただの石と思いますけど。この樹が一本の樹です。これロブレという樹です。樫の樹の一種ですね。この樹を歌ったのを今からやります。
 この曲を僕が世界で初めてユパンキから教わったというのは、ユパンキ初来日の1964年に僕が一緒に同行していた浜松のグランドホテルでこの曲を作りました。樹と人間の対話の型の歌です。
○ 一本の樹

アンコール 
 ではもう一曲。トゥクマンの月という名曲です。トゥクマンというのはアルゼンチンではブエノスアイレスにつぐ大都市でありますけれど。ちょっと郊外に出るとアンデスの山のもっとも終わりに近いところファルダといいますね、非常に風光明媚なとこでありますが。煙草の産地ですね。それから独立を宣言した所、非常に名所であります。そこにアタウアルパ・ユパンキは非常に多感な少年期を過したんですね。そこでも多くを作曲したでしょう。私にくれたギターで作曲したそうであります。そのギターを私は押し頂きました。
○ トゥクマンの月               終了
 
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