第三回 羯諦ソンコ・マージュ・コンサート 2004.10.23 但馬国 出石 羯諦の間
T.YAMAZAKIをゆずってもらっちゃった。ええっ!
ギターのレッスンをはじめたのはいいが、18のときに母が当時5万円で買ってくれた河野賢のギターと5、6年前に通販で買ったホセ・ラミレス(安いのでおそらく偽物)のギターの2本しかなく、河野ギターは大学時代大活躍をしましたが、医師になってからは爪を伸ばせなかったためケースに入ったまま、どちらのギターの音もあまり良くなく、弾くのも聞くのも大変なので、篠田先生にお願いして、ソンコ・マージュ先生から譲ってもらうことにしました。
譲ってもらったギターのサウンドホールの中に「1964年作 アタウアルパ・ユパンキへT.YAMAZAKI」と署名がありました。ソンコ・マージュ先生の話では、そのヤマザキと言う人がソンコ・マージュ先生のところを訪ねてきて、どうかこのギターをアタウアルパ・ユパンキにさし上げて演奏をしてもらいたいと、ソンコ・マージュ先生に手渡されたそうです。ソンコ・マージュ先生はこのギターをユパンキに届けられました。ユパンキはこのギターをよく弾いていたそうです。そうしてある時、このギターは日本人が作っているので君が持って演奏するのがいいだろうということで、ソンコ・マージュ先生のもとに帰ってきたそうです。しかし、その.YAMAZAKIと言う人はどういう方でどこに住んでいるかということはわからないそうです。そのようなユパンキが弾いて、ソンコ・マージュ先生が弾いたギターが私のところに来てしまってびっくりすると言うよりも、何か申し訳ないようで、最初は触るのもおっかなびっくりでした。精進せよというソンコ・マージュ先生の無言の指導であったように思われます。また、ユパンキやソンコの心を受け継げということでしょう。日夜、ユパンキのレパートリーに取り組んでいますがどうなることやら。なにせ楽譜がないので採譜からはじめなければなりませんから。
2004年10月20日の台風23号により但馬地方は、河川の決壊で道路は寸断され、床上浸水の被害も多くコンサートの開催が危ぶまれました。姫路からソンコ・マージュ先生と出石を目指している道中で、その被害の大きさを見て、ソンコ・マージュ先生は「今日は10人コンサートにきたらいいほうだね」といっておられましたが、約30人が集まり何とかコンサートが開催できました。常連の出席予定の多くの方が災害復旧のボランティア活動に従事され、残念ながら欠席されました。
プログラム
第一部 |
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トリステNo.4 |
TRISTE No.4 |
演奏 |
インディオの道 |
CAMINO DEL INDIO |
演唱 |
風のサンバ |
ZAMBA DEL VIENTO |
演奏 |
夜の祈り |
PARA REZAR EN LA NOCHE |
演唱 |
おじいさんの歌No.1 |
CANCION DEL ABUELO No.1 |
演奏 |
おじいさんの歌No.2 |
CANCION DEL ABUELO No.2 |
演奏 |
ガルバスのサンバ |
ZAMBA DE VARGAS |
演奏 |
主よ人の望みの喜びよ |
CANTATA DE BACH #.147 |
演奏 |
第二部 |
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恋する鳩の踊り |
DANZA DE LA PALOMA ENAMORADA |
演奏 |
古き農場 |
LA ESTANCIA VIEJA |
演奏 |
熟れたトウモロコシの踊り1 |
DANZA DEL MAIZ MADURO |
演奏 |
ペレスカルドーソの祈り |
ORACION A PEREZ CARDOZO |
演奏 |
インディオの挽歌 |
PASTRAL YNDIA |
演奏 |
アラサン |
EL ALAZAN |
演唱 |
一本の樹 |
EL ARBOL QUE TU OLVIDASTE |
演唱 |
愛のロマンス |
ROMANCE |
演奏 |
鳥の歌 |
CANTO DEL PAJARO |
演奏 |
牛車に揺られて |
LOS EJES DE MI CARRETA |
演唱 |
アンコール |
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ギターよ教えておくれ |
GUITARRA DIMELO TU |
演唱 |
第一部
今日、出石と豊岡があまりにも近いことを知ってびっくりしました。僕のうちにある地図に出石が載っていないんですね。だからどのへんにあるのかわからなくって40キロぐらい離れていると思ったら10数キロですって。さらに驚いたのは、あの辺みんな冠水したんですってね。大変な被害にあって、こんなに多くの方々が来られたことに心より感謝いたします。
○トリステNo4 ○インディオの道 ○夜の祈り ○風のサンバ
世界を歩いてみますとね、絶対的弱者まあ貧者でもいいですね、それに対して絶対的強者、富裕者というものがおります。それで絶対的な強者は絶対的な弱者を作ってはいけないんですが。この世は今カオス状態ですね。僕とか篠田先生はもう40年も前から、私は音楽で篠田先生はレクチャーで叫び続けておるわけでありますけれども、なかなか解ってくれなかったんですが、最近やっと僕の心とか、ユパンキの詩の心が解ってきたのか、僕のコンサートには人が入るようになりました。自分で言うのもおかしいけれど、僕のコンサートは意外に動員力があるらしいんですね。一昨年が5,500人、今年のはもう売り切れました。だから、世の中がちょっと変わるんじゃないかと思うんです。来年は100回ほど決定しましたが3万人の聴衆を集める予定です。僕みたいに知る人ぞ知るという存在で、売れないタレントが、売れるようになったということはですね、世の中確実に変わると僕は希望を持っているんですね。やはり変わらなくちゃいけないですよね。絶対に変えなくちゃいけない。まあ濟先生が、私が死んだ後は引き継いで、よろしくおねがいしますよ。 僕はユパンキの後を引き継いだんだからね。それでユパンキという人は僕の思想を汲んでくれたんですね。僕が一番最初ユパンキに会ったとき、スペイン語がうまくできませんでしたけど、ああいう哲学者というか感のいい哲学者は解るんですね。篠田先生も感がよくて僕を40年前に拾ってくれたんですね。岐阜やその周辺で篠田先生がやってくれなかったら今日の僕はなかったような気がするんですね。ですから誰かこういうね、素晴らしい人が一人居るといいですけども。音楽家も僕みたいなのはあまりいないんだそうですね。あんまり思想的政治的なことを言うと仕事がなくなるんですよ。
僕は世界を回ってやはり本当に貧しい人のほうがはるかに多いと思いました。3分2以上いるんじゃないかな世界中で、だからまあ音楽家とか芸術家というのは、社会の現象に敏捷に反応して答えなくちゃいけないと思うんですね。世界を歩いて、世界ではこんなに格差があるのかと。絶対的強者が侵略する。大国が侵略していますよね、中東をね。完全に侵略ですよね。それでもアメリカというのは絶対的な強者を望んでいるんですよね。特にアメリカという国には僕は友達一杯持っていますけど、非常に善良な人多いですけれど、合衆国ですからね、いろんな人が集まっているんですよ。
大体音楽なんていうのは煎じ詰めれば一言でいえば「愛」です。僕がいうと愛なんてきざっぽいですけど。週刊文春のクローズアップというところ見られましたか。僕の写真入でちゃんと載りましたね。そこで僕が言った言葉が、これはいい言葉だから載せてくれといいましたよ。載りましたよ冒頭に。「ソンコ・マージュは音楽というバイオレンスで戦う」と書いてありましたね。音楽という暴力ですよ。だけどいかにね最近、僕はこれだけとなえても演奏活動を世界中でやっても、まず音楽という暴力で立ち向かうのは無理ですけども、無理だからといってやらないよりやったほうがいいですよね。やります。僕の師のアタウアルパ・ユパンキは権力に反抗してフランスのニームで亡くなりましたけど、ついぞ母国に帰れませんでした。やっぱりテロに狙われるんでね。その前の1947年以前の軍事政権の時にも狙われたんですね。ですからずーっと狙われ続けたんですね。日本は文化的なことやっている音楽家とか芸術家なんか誰も狙いません。ですから非常にポリシーの低い国ですね。ここで止めましょう。濟先生が前座で一杯音楽をやってくれたから、僕はこんなもんでいいなあと思って。言いたい事一杯あるんですよ。これ言っちゃうと2時間ぐらいディベートしちゃいますからね。止めましょう。
僕は今日、濟先生の運転する車で来ました。この辺も冠水していたんですよといわれても全然面影もありませんでしたけど、そうなんだそうですね、お見舞い申し上げます。実は今から6年前に宮川村(三重県)でやったんですよ。知ってます宮川村。大変なとこだったんですよ。宮川村の村長が何か僕のことを知っててやってくれたんですよ。宮川村は川が氾濫してじゃないんですね。山が崩れた。これはとりもなおさず山をかまわない、放置していたからじゃないですか。日本は50年間も山を放置してますよ。50年放置したらもう潅木もなにも、何か植林も何もしてないんでしょ。植林すれば、こう見て回りますからね。ああこの辺が危ないとかなんとかわかるようになるんですけど。50年、半世紀もかまわなければね、山は崩れたりするんでしょ。やはり人災半分と思ったほうがいいんでしょうね。日本は国策が間違っております。林業は儲からないからほったらかし。それと日本の役人はとんでもないですよ。東京の中心街に、僕らが借りたら35万ぐらいするとこを、6万円で入ってるんですよ。2LDKの家で民間だと17万円のアパートで2万円で官僚は住んでるんですよ。テレビでやったから知ってる人いるでしょ。これ本当なんですよ。悪僚だね官僚も、官僚というのは悪僚といったほうがいいかもしれない。で給料はものすごく高いんですよ。銀行だって今手数料ばっかり取ってますね。CD一枚郵送して300円も400円も取られたんじゃ合わないですよね。そんな手数料の高い国はないですよ。日本は世界一。郵便料金が世界一高い。なんでも高いですよ。だからやっぱり僕の試算では大学初任給5万5千円にしないとだめですね。すると皆食えないと言います。心配ないですよ。ちゃんと2LDKあたり東京で2、3万になります。ちょっと我慢すればね。7、8年大変ですけど。10年ぐらい大変だけどやる。そういう価値観を変えないと国際競争力がない。何10位だとおもいます今。5年前で10何位だからもう20位ぐらいになっているんじゃないですか。何作ったって、半導体作ったって、作れば作るほど損しているんですよ日本は。いま韓国あたりにやられているでしょ。韓国は設備投資をしてますからね。日本の東芝、NEC、日立の三つ集まったよりも、サムソン電気一つで日本の1.5倍ぐらい投資しましたからね。金大中が大統領になった時に。日本の政府も大統領制にしたほうがいいとおもいます。ただ小泉さんじゃ危ないな。あの人は言ってる事はいいんですよ。非常に良いこといってるんだけど周りが悪いしね。小泉さんやっぱり傀儡的な存在になってるな、あれは。なんにもやってないね。変えたりしたのまだ一つもないじゃないですか。道路も赤字だっていうの。まったくあの古賀さんがやっているようなところで全部やっちゃったしね。またその猪瀬とかいう作家がおこってるんですよ。俺達はなんだったのか。無給でね。4年も5年も。毎日かんかんがくがくやって、猪瀬は馬鹿見たですね。僕はああなると思ったですよ。最初から。石油公団一つ解体した。あれもともとだめだった。北海油田やったって儲からなくてどうしようもなかったんだからね。あれは小泉さんがやったんじゃない。もともとああなっているんですね。できないバックがいるんですよ。自民党の3分2以上は小泉さんに反対なんです。反対なら自民党抜けたらいいけど、なぜか抜けない。政党助成金は頭数が多いほど沢山くるんですよ。それ分けるから給料泥棒なんですよ。あの橋本なんとか、1億円もらったって忘れたか知らないんだからね。
僕に1億円くださいよ。そしたら僕、毎日でも無料で演奏会やっちゃいます。ああいう政治家に献金しても1億円ぐらいじゃ知らない振りをしますからね。
僕は東京に住んでいて、暇なときは若い女の子としゃべるんですけども、フリーターという人が多いんですよ。私がルンペンかといいましたらね。おじさんルンペンてラテン語、なんて言うから、そうだ、確かにルンペンはラテン語でありますが、今は死語に近いんですね。わかったら殴られるとこでした。隣にむくつけき男がいたんですよ。18ぐらいでこう髭をはやしているんです。濟先生初めてお会いしたときはヒゲをたくわえておられたけど今日は髭がないな。ああいうフリーターがジャンジャン増えているんですよ。いま480万人になったんですよ。350万から。どうですか。1年で100万人増えるんですよ。だからフリーターというのは、今日から3日間、明日あっちのほうの仕事で4日間やってたら、いつになったってテクノロジーは持てません。だから発展途上国にやられる、間違いない。日本は終りですよ。この国はもう終わりですからね。みんなギターでも聞いて死にましょう(笑い)。だんだん悲観論になっちゃった。
日本はインフレになりません。あと9年ぐらいは間違いなく、デフレーションであります。で私はデフレを享受しています。私のような貧乏人は永久にデフレがいいでしょう。あと300年ぐらいは物を下げましょう。それで一番最初にやってもらうこと。官僚の給料を来年から半分にする。官僚をやめて僕の知人なんか毎月18万円も貰っているのがいますよ。夫婦で36万くるんですよ。辞めて、4千万も貰った他にですよ。どうしようもない。それ官僚ですよ。これ国民が許しておくということは、大体皆さんがたの70ぐらいから、僕は除いてね、年金が貰えるぐらいの人は大体7、8千万は持っているはずです。大体7千万ぐらいは持っています。そういう人が小遣いくれてるんですよ。あの10代や孫に。だから孫はフリーターでいられるんですよ。また。フリーターも増えているということは、思うような職はありません。残っているのは重労働ですね。僕のところの弟子で1人いるんですけど重労働です。それは羽田空港に発着する飛行機が積んでくる荷物の運搬です。その仕事は夏は涼しくていいだろうといったら、とんでもない、焼け付くようだというんですね。冬は海から来る風でふるえあがっちゃう。それで1日1万円しかとれません。もう7年やってて1万円。それぐらい今下がったですよ。アルバイトは1時間千円というところはなかなかありませんよ。重労働で千円。今まではもっと貰えたんでしょうね。それでも仕事ないですよ。そういうものならある。だからかわいそうですね。フリーターといっても本当はね、最初は好きで、流行の頃はフリーターってなんか自慢にしてたんですよ。ところが今自慢じゃないですよ。聞いてみるとね、みんな正業に就きたいんだね。正社員になりたい。いま大学卒業しても60%しか正業に就けない。高校は茨城県は48%ぐらいですね。50%いきませんね。だから半分しか就けないですね。だから少年犯罪が増えるんですね。OECDの発表、4年前で日本の少年犯罪が世界の第1位。少年ですよ。犯罪の絶対数はアメリカのほうが多いですが、日本の約2倍の人口がありますから。人口比にすれば世界一。毎日、テレビひねれば人殺しでしょ。3人は殺されてるでしょ。我々の時代、尊属殺人なんて親なんか殺すなんて、絶対ありません。10年に一度くらいありましたけどね。毎日でしょ。こんな国ないですよ。僕は世界の国々でどんな貧しくっても親を平気で殺しちゃうとか小遣いほしいから殺すなんていうとこないですよ。この国はちょっと狂いました。僕の音楽を聴いて狂いを修正してください。これが最後、もうギターはいいな今日は。器楽は絶対性を主張しませんからね。言葉ありませんから。でも歌は絶対性を主張します。私のギターの音と歌の相乗効果のようなものを皆さんが感じ取って頂けたらと思います。ロマンチシズムを感じるか、寂しさを感じるか、嬉しさを感じるか、あるいはカタルシスを感じてすばらしいものを生むか、そういう音を出してるつもりです。足りない分は毒舌で勘弁してください。○おじいさんの歌No2
このタラランというのは馬と一緒にね闊歩しているんですよ。馬がこう歩いていく。真ん中の部分はアンデスの高いところで草臥れたんで休んで俯瞰しているところを表現しています。
○おじいさんの歌 No1 ○ガルバスのサンバ ○主よわが望みの喜びよ
第二部
鳩のオノマトペは、スペイン語系はククルククウですよね。たまにはクルクルパーって鳴きますけど。
○恋する鳩の踊り ○古き農場 ○うれたとうもろこしの踊り ○ペレスカルドーソへの祈り
○インディオの挽歌 ○エル・アラサン ○恋のロマンス
歌を歌いますね、これは濟先生の得意なやつ、カポが3フレットにいったから、一本の樹がいいね。これは1964年、ユパンキが初来日のときに、浜松のグランドホテルでユパンキが作った曲です。樹と人間の対話の形になった詩です。その時久しぶりに浜松は大雪でした。 ○一本の樹
これねユパンキが僕に生涯一番好きな詩はと言ったのは、なんとねユパンキのじゃありませんでした。ロメルド・リッソというウルグアイの大詩人ですけど、曲を作ったのはユパンキですが、「牛車に揺られて」らしいですね。ゆっくりしたミロンガの曲ですが。 ○ 牛車に揺られて
僕はギターをやる前にバイオリンとチェロをずっとやったんですね。チェロは今でもはっきりいってギターより好きであります。じゃチェロをやれとよくご叱声がありますけどメロディー楽器のチェロで歌を歌っても仕方がないですね。しかたがなくギターを携えて歌っています。チェロにはかなわないねとても。あれは素晴らしいですよ。ギターがチェロのように近づければいいなあと思って僕はやっているんですね。なかなか近づきません。バイオリンが今の構造になって800年、ギターはまだたかだか200年たらずですからね。製作者はまだ試行錯誤しているんですね。いろんなものを入れたり、なんだかんだやっていますけど。チェロのパブロ・カザルスが好きで、鳥の歌、あれをやりますけど、到底チェロにはかないません。いつか篠田先生のところでロシアのチェリストのイーゴリ・ガブリッシュさんいましたね。あんときに僕はおもわず涙を流したいうのもあるんです。
(鳥の歌)これは人間の生と死を歌っております。鳥じゃないと思います。僕は擬人化していると思います。この世で生を受けた鳥があの世へ行ってまた福音のもとであの世で生涯をおくるというような意味があります。平和の祈りをこめてカザルスは最後に必ずこれを演奏します。国連の94歳の時にはうなってましたけどね。ケネディのホワイトハウスでも最後に鳥の歌をやり、私の国のカタルニヤの鳥はピースピースと鳴きます、と言ったんですね。 ○ 鳥の歌
アンコール
Guitarra dimelo tuですか。長いことやってないから、カポをつけるところも忘れちゃっているから。これは非常に人間の内面的な苦悩をギターに託して訴えているんですが、Guitarra dimelo tuですからね。おまえは何か私に応えておくれ。いっておくれというんですが。呼びかけてるんですね、ギターに。その悩みの詩を今言います。
○ ギターよ教えておくれ 終了