第二回 羯諦ソンコ・マージュ・コンサート 2003.10.06 但馬国 出石 羯諦の間
CERTIFICADOをもらっちゃった
姫路駅に着くなり駅のホームでソンコ・マージュ先生はカバンから紙を取り出して、「先生これこれ」とスペイン語で書かれた賞状を私に渡してくれました。なんと卒業証書でした。まだ、お会いして指導していただいて2年もたたないのにと思いましたが、まあ、名誉十段みたいなものでしょうか。このときふと医学部の博士号のことを思い出しました。卒業後、走査電子顕微鏡の世界では最先端をいっていた解剖学教室の田中敬一教授のもとで六年間尿路上皮の走査電子顕微鏡の研究をしていました。別に博士号なんてどうでもいいと思いながら貰えるものは貰いましたが。博士号自体は別段何の意味もないと思いますが、臨床をやりながら苦労をして研究をしたその苦労が博士号の対象なのかもしれません。あるいはこれを契機に臨床的に頑張れといった意味が博士号のように思えます。貰ってじゃまになるものではなかったので貰いましたが、それ以後、博士号が何かの役に立ったかというと、何の役にも立ちませんでした。ということでソンコ・マージュ先生の卒業証書もそういう風に考えて受け取らせていただきました。その結果、練習をしないわけにはいきません。Todoと書いてありますから、ギターだけでなく演唱もやらなければなりません。語りもやらなければなりません。どうもソンコ・マージュ先生に乗せられた感がありますが、決して嫌いではないので、一生懸命練習しています。
プログラム
第一部 |
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どこの生まれと訊かれても |
PREGUNTAN DE DONDE SOY |
演唱 |
悲しきミロンガ |
MILONGA TRISTE |
演奏 |
前奏曲一番 |
PRELUDIO No.1 |
演奏 |
マランボ |
MALAMBO |
演奏 |
風にそよぐ小枝 |
LLORAN LAS RAMAS DEL VIENT |
演奏 |
夜の祈り |
PARA REZAR EN LA NOCHE |
演唱 |
熟れたトウモロコシの踊り |
DANZA DEL MAIZ MADURO |
演奏 |
別れの歌 |
CANCION DEL ADIOS |
演奏 |
結婚の晩 |
LA NOCHE DE MATRIMONIO |
演唱 |
第二部 |
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トリステNo.5 |
TRISTE No.5 |
演奏 |
やるせない寂寞 |
LE TENGO RABIA AL SILENCIO |
演唱 |
愛のロマンス |
ROMANCE |
演奏 |
マラゲーニャ |
MALAGUENA |
演奏 |
牛車に揺られて |
LOS EJES DE MI CARRETA |
演唱 |
トゥクマンの月 |
LUNA TUCUMANA |
演唱 |
アンコール |
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鳥の歌 |
CANTO DEL PAJARO |
演奏 |
わが影によせるビダーラ |
VIDALA PARA MI SOMBRA |
演唱 |
薬草売り |
EL VENDEDOR DE YUYO |
演唱 |
第一部
○どこの生まれと訊かれても○悲しきミロンガ ○前奏曲一番(sonkomayu)
篠田先生が森林のオーソリティーでありますが森林が今問題になっています。私は森林がないから (頭を指差して)汗が出ているけれど、皆さんは出ていませんね。私には洪水現象がおきてるんですね。だから森林を破壊すると洪水になっちゃうんですよ。これは大きな問題です。飛行機から見ると、日本は幅がないから、日本海と太平洋の間に山があるわけですから三角形になってみえますね。あっというまにわーっと私の頭じゃないけど洪水が起こります。田んぼを作っておかないとプールという役目がなくなるから。将来大変なんですよ。
僕の友達は東京へ出てきて大学でみんな標準語になってしまいました。僕だけ東京に15歳から50年住んでいます。15歳までは栃木です。栃木弁がしみついています。直す気がないというのは100年たってもなおらない。現在も栃木弁でとおしています。
マランボは舞曲です。ガウチョの踊りですね。ガウチョというのは全部男です。草原で牛追いがギターの伴奏で足で地面を鳴らして踊るんです。僕の友達に沖縄の女性と結婚したアルゼンチンの男がNHKのスペイン語の時間にちょっとでてきます。この男がガウチョの踊りができて、沖縄で一緒にやったことがあります。日本では彼しか踊れないんですが、その彼がパーキンソン病になってしまいました。どうしようかと僕のところへ電話がかかってきて、しゃべるのは一人前にしゃべれるけれどギターが弾けない、といっていました。いやー、えらいことになったもんだね。パーキンソンって流行っていますからね。 ○マランボ
静かな音楽です。風に泣く小枝というんですね。風がひゅーときて枝がそよぐ、それをギターで表現します。○風に泣く小枝
スペイン語で歌を歌います。これはおそらく第一次中東戦争のときに作っていると思うんですが、無益な戦争、平和はいったい何処にあるのか。今の時勢にあった曲ではないかと思います。
○夜の祈り ○熟れたとうもろこしの踊り
次は何をやろうかな。(「別れの歌」やってくださいよ。)こんな便利のいい曲ないですよ。次は「別れの歌」というとアンコールもやめてしまう。最後に「別れの歌」をやりますというと聴衆もさすがに黙りますね。納得してくれるんですね。いや、もうだめだと思うんだろうね。これ一部でやっちゃうともう別れの歌ないんだよな。先生これなかなか考えたね。こりゃあ先生の術中にはまったな。これはユパンキが我が家に来たとき、飛行場に着いて、銀座のホテル東急インに泊まるはずだったのが、なぜか僕の家にきちゃうんですよ。「これを覚えてくれ。いい曲だから」というんです。俺、変な予感がしたんだね、体が弱っていたんでしょうね。まあ亡くなったんですけどね。僕は当分これをやっても生きています。
○別れの歌+ドン・フェルミン
結婚の晩(しゅうげんのばげ)というのがシュウゲンノハゲと聞こえるんですよ。私のレパートリーからはずそうと思ったんですが先生がやれというし、困ったな、あれ楽譜を見ないとできないんですよ。いまだに覚えられないんです。津軽弁なんてスペイン語より難しいですよ。津軽弁は外国語じゃないかと思うんですよ、ロシア語も少しはいっているんですよね。イエスというのはダーというんですね。だから近いからいろいろはいっているんですかね。
結婚の晩、これは高木恭三さん作詞の津軽弁の詩です。岐阜で篠田先生が企画なさって高木恭三さんと僕と二人でやる予定だったんですよ。長良川ホテルでしたかね。そこに高木先生は止宿しているはずなんですが、僕がやろうとしても先生いないので、まさかと思って弘前まで僕が電話したら、「ソンコ・マージュ先生、今日は何でしょうか」って。あ、こりゃあもうだめだと思ったね。やっぱり亡くなられました。その前に弘前でやったんだけども間違えてばかりで、これは変だと思ったんですよ。弘前大学教授のソンコ・マージュ先生とばっかり言っているんです3回ぐらい。先生違うからと言ってもだめなんですよ。そろそろ僕もあぶないかな。今日がやり収めかも知れない。NHKにも高木先生と一緒に出演しました。CBSソニーから私が伴奏して彼が朗読したLPがでています。彼は僕の伴奏にクレームをつけました。「ソンコ・マージュ先生ちょっとギターの音がたらん」ときたもんだから、「あなたのは言葉自体が音楽だから、音楽的な言葉にギターがあんまりバランバランやると先生の朗読死ぬんだよ」と言いましたら、後でわかったらしくて、「やっぱりあんたは偉い」ときましたが、そういう人でした。音楽的なイントネーションが津軽弁にはあるんですよね。どこか古レコード屋にあると思いますから、あったら貴重なLPですから、高いと思いますよ、1万円以上すると思います。僕のも1万円になってますからね。この歌は貧しい結婚式をあげる内容のものなんです。生活は貧しくても津軽地方というのは大盤振る舞いをしちゃうんですよ。発展途上国、第三世界というのは結婚式は1週間やるところもありますからね、南米あたり東南アジア。そんなに金があるかというと全然ないんですよ。僕は長い間これをやっていましてドロの樹というのは街路樹と思っていたんです。いまから数年前北海道に行きました。ソンコ・マージュさんここにあるのがドロの樹だよ、と教えてくれました。あの白樺系の白樺より太いですよ。ず―っと上にそびえたって大きいのは20メートルぐらいあるんです。白樺細いでしょ。太いんです。で白樺と同じ白い皮、それがドロの樹でスラングですから、ほかに学名もあると思うんですが、昔はマッチ棒にした樹らしいです。○結婚の晩(しゅうげんのばげ)
第二部
○トリステNo5 ○やるせない寂寞 ○愛のロマンス ○マラゲーニァ
今、歌いましたけど黙ったままじゃだめ。だめなんですよ。言わなくちゃ。皆さんみたいなインテリジェンスのある方が、ウーマンパワーの方が言ってくださいね。僕みたいな小心者が言ってたってだめですから。本当は芸術家というのは舞台の上でしたり顔で毅然として御免といって帰ってくるほうが今までは「かっこいい」と言われたんですね。ところが最近言われなくなりましたね。小沢征二なんか磊落でしょ。あーソンコ・マージュ。あー。とこんな具合ですよ。もう漫才師みたいなものです。とにかく格好つけてるのはもうはやりません。格好つけたって馬鹿は3分間しゃべればわかります、僕は。ああこれはたいしたことないなと。あと嘘もね。なかなか嘘は見抜けないんだけどもね。不動産屋と株屋にはさんざん騙されてきましたけど、もうそろそろ騙されない。まじめにいきましょう。
牛車(ぎっしゃ)に揺られて。ギュウシャじゃないですよ、ギッシャですよ。ギッシャに揺られてとラジオで放送したらたくさん投書がきました。ソンコ・マージュさんがギッシャといったけど、ギュウシャじゃないですかと言うから、あえて僕は知ってて言ったんです。農民こそギッシャなんです。牛車に揺られてLOS
EJES DE MI CARRETA これは世界的な名曲です。私の先生のアタウアルパ・ユパンキが作って、詩人がウルグアイのモンテビデオに大きな銅像がありますがロミルド・リッソという大詩人であります。これは実際あった話なんです。 ○牛車に揺られて
これは月に呼びかけた曲なんですね。私の先生のアタウアルパ・ユパンキが作った名曲です。月に呼びかけています。昔は、パンパなんていうのはボーダーラインがあってないようなものなんですよ。最近はパンパに有刺鉄線なんか張っていますけど、僕が最初いった頃はそんなものはなかったですね。だんだん世の中がせこくなって、自然というのは山とかなんとかほら、人間の共有の物であって誰のもんだと本当はしないほうがいいですね。 ○トゥクマンの月
アンコール
僕は昔チェリストになりたくてチェロを買ったんですよ。ギターとチェロとを二つ買って、チェロの先生にお前は手が小さいと言われました。小さいですよね。お袋が小さくて、うちの親父は大きくて大男で長かったんです。手が小さい。ポジションで無理なところもあったんですね。先生に相談しましたら君はクラシックギターなんかいいんじゃないかねって。それでギターになったんですが。いまだにチェロには限りなく郷愁と憧憬の念を捨てておりません。パブロ・カザルスも好きであります。東京のお茶の水にカザルスホールというのができたときにカザルスの女房も僕も招待されたんですよ。カザルスは死んでしまいましたが、60歳若い女性とカザルスは結婚しました。偉大な方は60ぐらい違うのをもらうといいですね。それでそのチェロの曲をアレンジしましたが、私はこれをチェロでやられると涙が出てくるんですよ。今日ご列席の篠田暢之先生が僕の涙を知っているんだな。篠田先生が、昔からソンコ・マージュを泣かすには鳥の歌でいい。なかなか泣かないんだけど、なぜかあれはカタルシスを感じるんですね。不思議なもんですね。本当に世間では素晴らしい曲がいっぱいあるんだけど。あれは自然発生的な純粋なメロディーですよ。器楽曲じゃない。カタルーニアというスペインのバルセロナの被差別民であります。バスクも被差別民。フランコはバスクのゲルニカという町を壊滅させた。それに反抗してたくさんの芸術家がスペインから逃れました。私の先生のセゴビアもアメリカに。それからパブロ・カザルスはプエルトリコにいったのです。この歌の意味は、人間の生と死をいってるんですよ。鳥を擬人化したかどうか知りませんが、鳥がこの世に生まれて、生を受けて、またあの世に、別の世界に旅立って幸せにいくという意味のクリスマス・キャロルなんです。 ○鳥の歌
影の歌、禿の歌、わがハゲのビダーラ(笑い)。わが影のビダーラ。これユパンキでなくて農民が作りました。 ○わが影に寄せるビダーラ
つぎは薬草、ハーブですね。日本では薬草は高いですね。しかし途上国や第三世界は逆なんです。ケミカルな物は手が出ない。薬草はただみたいに安い。これは薬草売りのおじいさんが売ってはいるんですけど、昼寝ばっかりしていたんだそうですね。そして声は素晴らしくてコオロギのような声とスペイン語でいっていますから。わたしの声とはだいぶ違うんでしょうね。○薬草売り 終了