1979年11月号No,38 | タウン情報誌 月刊 うずまっこ |
特別寄稿 | だんべえのフォルクローレ |
立松 和平 | |
大地を這い蒼穹を昇りつめては、また山河に帰っていく清澄な魂の祈り、古い祖先が辿った石ころだらけの道を二歩一歩あるいていく無垢な旅人、そんなイメージが薄暗い座席にすわっているぼくの内部にひろがった。ソンコ・マージュはステージでライトを浴び力強く歌っていた。黴臭い挨っぽいホールから時間と空間を越えてアンデスの大地にいるのだった。まだ見たことのない土地を、そこにいあわせた観客たちはソンコ・マージュとともに歩いているのだった。それは歌の力というものだ。聴衆に媚びるのではなく、強引に連れ去る。演奏者の側に深いものがあるからこそできるわざであり、その深みと聴衆の日常とに落差があればあるほど、熱い感動となるわけだ。ソソコ・マ−ジュのステージは聴く者にまちがいなく感動的である。 彼のフォルクローレは掛け値なしに本物だ。珍しがりのフォーク歌手がちょっと歌ってみるのとは訳がちがう。自然を友とするインディオが長い時間かけて積み重ね磨いてきた表現が、栃木の山河にはぐくまれてきた彼の感性と技術の中に正統に受け継がれているのは、考えてみれば不思議なことだ。優れた表現は都会でも田舎でも必ず土地に根ざしているものだが、ソンコ・マージュの音楽は、その根はどこにあるのだろうか。 栃木の土を掘っていけば、やがてアジアに、もっと突き進めば世界に出会っていく。いや栃木が世界そのものになら、栃木と言う境界はとうになくなり、残るのは達成された表現だけだ。ぼくの持論である。そう思ってこの土地で小説を書いている。表現者は樹でなければならない。根を張って土を噛み、幹を鍛えて、精一杯の葉を花を繁らせるのだ。歌う樹になるのだ。そうして育った樹は、足元の土にはぐくまれながらも、地下茎でどの地ともつづいている。時間も空間も越え、アルゼンチンも栃木も一瞬同じ貌になる。表現者にしてみれば、すべて自分の身にしてしまうのだ。ダイナミックなことである。ソンコ・マージュの音楽はまちがいなくそうした位置にある。 予感としてあるのだが、フォルクローレというかたちの中で花開いた彼の感性は、もうひとつ別の道を辿りはじめたのではないか。結論をいってしまえば、日本の土地から祈るように唸りでる日本のフォルクローレを渇望しはじめたのではないか。いやすでに予感などと曖昧なものではない。「陽コ当ダネ村」がある。老人ばかり残って今にも消えようとする津軽の寒村を低く重い声で歌っている。ぼくの好きな歌だ。しかし、言葉ある歌について思うのだが、どうしても方言が困難となっている。方言を使わねば歌にならないのだが、純粋な津軽方言では聴衆とのコミュニケーションが成り立たない。必然として方言を標準語で薄めねばならない。よそ者が土俗に触れようとするおぼつかない手つきが、ソンコ・マージュのようなピカ一の音楽家でも見えてしまうのだ。そこでぼくは思う。どうだろう。使い慣れた栃木弁を使っての歌があったらいいのではないか。「だんべえ」のフォルクローレだ。この乾いた冷たい風が吹きまくる栃木の山河を、果てしないパンパを歌うようにして歌うのだ。ソソコ・マージュの音楽は限りなくしなやかで力強い包容力を持っていると思えるのだ。そんな歌が歌えてはじめて、彼はアルゼンチンを旅してついに故郷に帰ってきたといえるのではないか。 立松和平(作家) |