咲智は、取り敢えず学長の部屋を目指すことにした。
緑川の話が正しければ、Eからの依頼を受けたのはおそらく学長であろう。ならば、その時の証拠や資料が残っているかも知れない。そして、それらを見つけることが出来れば、Eの組織の本部とまでは行かなくても支部の位置までは解るかもしれない。
そう考えたのだ。
その結果、当然、咲智の足は階段へと向かった。
まだ夕方には少しあるというのに、廊下は薄暗かった。電気を点けても言い頃合いだ。しかし、校内にも院内にも殆ど人がいないために、そうする人はいなかった。
そんな薄暗い廊下を咲智は一番近い階段に向かって歩いていった。
階段に差し掛かるまで残り十メートルというところで、咲智の足は止まった。
階段の方から、誰かが降りてくる足音が聞こえてきたからだ。
コツコツと足音が聞こえる。
しかし、此処で立ち止まっても居られない。もしかしたら、その足音の主が、咲智が探している当の犯人かも知れないのだから。
咲智はそう思い直し、足音を殺して階段に近付いた。
階段に差し掛かり、上の踊り場を見上げる。
そして、上から響いてくる足音は、踊り場まで来た。
果たして………それは、咲智の探している者だった。
院内で紛れ込むためのものか、男は黒のスーツに白衣を着込んでいた。
しかし、院内の者で医師の顔は咲智は全て記憶していた。勿論、それは咲智だけではない。院内の看護師や研究者は大抵の場合、医師の顔と所属は把握している。そうでなければ緊急の場合の対処が遅れてしまうからだ。
そして、その男は咲智の記憶している医師達の中にいなかった。勿論看護師の可能性もある。しかし、この病院では看護師の白衣は男は薄水色、女は薄桃色と決まっており、また、咲智や緑川のような研究員も薄い緑色の白衣を支給されていた。
つまり、白の白衣を着ているのは医師のみなのである。
よって、その男は部外者とされ、その中でもEのメンバーであると咲智は直感した。理由は手に持たれたジュラルミンケース。
その側面に学内使用のコード番号と校章が張られているのだ。そのケースは間違いなく、USのデータを入れたチップの入っているものだ。
「貴様……何者だ?!」
お互いが出会い、先に口を開いたのは男の方だった。
「答えるつもりは……ない、よ……それよりあんた……E、だね?」
あえて挑発的な態度を取る咲智。
男は、その言葉に一瞬何かを考えるよう黙ったが、直ぐに答えは出たようだ。
「そうか……貴様も国家の犬か……」
どうやら自分たちに悪しきところがある自覚はあるようだ。そして、その言葉は咲智の質問を肯定していた。
国家の犬。ヤクザやその筋の人間が口にする侮蔑を意味する隠語。
言葉自体、なぜだか既に世間に定着しており、それが警察であることは咲智にも解った。
が、ソンなことに答えている余裕はない。
「USの資料……返して欲しいんだけど」
一応は、自分が警察関係者でないことを主張したつもりだったが、男にそんなことは解らなかったらしい。
「そう言われて渡すくらいなら盗りゃしねぇよ」
そう、返してきたのだから。
「ま、そうかもね……」
咲智もそうあしらい、上着の中から抑制剤を確認した。
今の咲智の身体はUSによって強化されている。肉弾戦なら普通の人間相手に負けるはずがない。しかし、抑制剤を外さないように動かなくては……。
そして、結論は ―― 問題ない。
針付近に貼ったテープもしっかりと固定されている。
ケースを、力ずくで取り返すのは不可能じゃない……。
しかし、その考えは一瞬後には消え去った。
男が、咲智の足下に発砲したのだ。
「ちょっと、いきなりなにするの?!」
全身の毛が総毛立つのを感じながらも、咲智は気丈を装った。
「先に仕掛けようとしたのは貴様だ!」
男はなおも銃を向けたままそう言い放つ。
「仕掛けようとした?」
男の言葉に、咲智の頭の中に、自分の行動が現れた。
抑制剤の確認のために、腕に手をやった行動が。一見すれば、脇に仕込んだホルスターに手を入れたようにも見えなくはないかも知れない。
が、当然ソレは誤解だ。
「あ、あれは、別にそんなんじゃ……」
誤解を解こうとしたが、そんなことを聞いてくれるような状況ではないようだ。
「煩い!!」
男はそう叫ぶと、更にトリガーを引き絞った。
発砲音と共に弾が発射され咲智の左肩の横を通り過ぎていく。
その瞬間、咲智は動いた。
――殺されるッ!
想うとか考えるとかよりも早く、咲智は瞬時にそう感じ取った。
そして、体はやはり考えるよりも早く動き出す。数歩後退りをして一気に踵を返すと駆けだした。
――逃げなきゃ!
†
「まったく……Azure(アジュー)は、時間になっても来ないと思ったら、こんなところで遊んでいたんですか……困った人ですね……」
階段の上からそう声が聞こえた。
スキンヘッドにサングラスの男だ。
階段の上の隙間を縫って、下を見おろしている。
「私の時間を狂わせた責任(罪)は……重いですよ……」
男は言うと、ゆっくりと階段を降り始めた。
†
どれだけ逃げたのだろう?
気がつくと、咲智は研究連を出て病院の方に来ていた。
入り口にほど近い位置。ナースセンターや各棟への連絡棟もある中央ホールだ。
そこで、咲智は足を止めた。
追ってきた男の足音が消えたのだ。
そして、変わりにしたのは聞き覚えのある、しかし、ソレは今まで生きてきた中でたった一度だけ、そして、二度と聞きたくない音だった。
銃声である。
「な、何の音?」
頭では理解できているが、ソレを認めたくないために、咲智はあえてそう疑問符を口にした。
思わず、音のした方を振り返る。
その方向から、何か黒光りする物体が滑り来た。
しかし、咲智の視点はそこよりも、ソレが来た方に固定されていた。
たった今自分が曲がってきた角。そこから、液体が流れ出ていた。それは咲智もよく見る液体だった。しかし、あくまでも実験で小動物や魚の。もしくは病院の方に入院している患者のものだった。
そう……血だ。
ゆっくりと、ソレは流れ出していた。
咲智の目の中にその光景が焼き付く。
誰かが……撃たれた……。
直感的にそう判断した。
そして、それは自分を追ってきた男の仕業だと、咲智の頭は解釈した。
滑る寄ってきたソレが、咲智の足に当たったとき、自分の考えが間違っていたことも証明された。
血痕の流れ出てきた角から姿を見せたのはあの男ではなかったのだ。
スキンヘッドにサングラス。一目見れば忘れない特徴をした男が、その影から姿を現した。
では、撃たれたのは……あの男?
滑り寄ってきたものに視線を移し、それを見る。
そして、再びスキンヘッドの男の手にある同様のものに目をやる。
形が……違う。
スキンヘッドの男の手にある物は、所謂リボルバータイプの拳銃。そして、咲智の足下に転がっているのはオートマチック銃だ。
ソンな呼び名など知らなくても、ソレがまったく違う形をしていることは子供でも判る。
そして、男が手にしていた銃の形状が咲智の脳裏をかすめた。
――コレだ……!
今、自分の足下に転がっている拳銃が男の物と類似している。
と、言うことは……撃たれたのは、あの男……?そして、撃ったのは……アイツ……。
咲智にとって今考えられる最悪の状況だ。
ならばどうなる?
次に撃たれるのは自分か?
引きつった顔をする咲智。
血の足跡を残しながらスキンヘッドの男は咲智に近付いてくる。
男の血だまりを踏んだのだろう。
「済みません……部下が大変失礼なことを――」
言いながら男は拳銃を咲智に定めて構えた。
――ヒトゴロシ――
今更というような単語が咲智の頭の中を繰り返し通り過ぎている。
「――が、しかし、貴女もいけない……モルモットは実験者に忠実でないと……――」
男の銃が火を噴き、銃弾は咲智の足下にめり込んだ。
「――で、なければ、怪我では済みませんよ」
男は、薄笑いを浮かべながら言い放った。
咲智の身体は勝手に動いていた。
人間の防衛本能とでも言うのだろうか。一瞬しゃがみ込むと、足下の弾痕を見ながらも拳銃を拾い上げる。
既にセーフティーは外されいつでも発砲可能な状態だ。
「部下って……今のあんたの!?じゃ、じゃあ、やっぱり、あの男、あんたが……!?」
「ええ、まぁ……私はこれでも紳士でしてねぇ……結構時間にうるさいんですよ。私の時間を狂わせたんだ。当然じゃないですか。死んで償うのが……ソンなことよりも、そんなモノ捨ててくださいよ」
男の声を聞きながら咲智は銃を構えた。
使い慣れないのと、恐怖感からその手元は自然に小刻みに震えた。
「あんた、何者なの?」
「ああ、済みませんねぇ……私としたことが、名乗るのも忘れてしまった……私はCrimson。組織の、戦闘エージェントとでも思ってください。所謂現場の下っ端ですよ。あ、貴女の自己紹介は入りませんよ――」
その言葉の途中、咲智の持った銃から弾が放たれた。
「――青海咲智さん。貴女のことは貴女自身よりもよく解っていますからね
が、Crimsonは一切気にすることなく話し続ける。そして……。
「そんな腕では当たりませんよ……貴女(モルモット)に銃は似合わない……銃はこうやって使うんですよ」
咲智の右頭部をかすめるように狙いを定めると発砲した。
が、その弾は咲智に当たるどころが、二人のほぼ中央で金属音と共に打ち落とされた。
その位置に目をやると、一本のナイフが床に突き刺さっていた。そして、その横にCrimsonの放った銃弾が転がっている。
「研究室見てもいねぇから探したぜぇ………それにしても楽しそうなことやってンじゃねぇかよ……混ぜてくれねぇか?俺も」
ホール内に響く声は上から聞こえてくるようだ。
二人が声のする方を見上げる。
このホールの高さで言う二階ほどのところに換気用の窓がある。
そこに一人の青年の姿があった。
丁度腰掛けるように、上下にスライドする窓に居る。
その姿は逆行で見にくいが、Crimsonには声の主が判ったようだ。
「銀沢(しろがねざわ)、起耶(たつや)………また遭いましたねぇ」
明らかに嫌そうな口調でCrimsonは言った。
「そうだな……二年ぶり、か?お前との決着も付いてなかったな。それも闘りてぇんだけどまぁ、ソレはまた今度でいいや。今はそっちの嬢ちゃんに用があるんでね」
「ソレはこちらとて同じコトです」
「それは解ってる。その上で頼むンだけどよぉ、ここは一つ退いてくれねぇかなぁ?」
巫山戯たように言う銀沢。
「答えるまでもない下らない頼みですね」
「そうかい……なら――」
銀沢は垂れている左髪を抑えるように手を当てると窓から飛び降りながら言った。
「危ないッ!!」
途中、咲智の声が聞こえたが、銀沢もCrimsonも気にする様子はない。
右足、左足と着地し、体制を立て直しながら、右手を刀の柄に掛ける。
「――決着を付けるのが、先だな」
刀を抜き放つと、銀沢はゆっくりとCrimsonに向かって歩き出した。
「それ以上近付かないで欲しいですね……こちらもあまり時間がないんですよ」
「テメェの都合なんか知るかよ。それにな、時間がないのはこっちも同じだ。公務員ってのは結構忙しいんだぜ」
言葉の最中にCrimsonの発砲があったが、その警告をまったく気にすることなく突き進む銀沢。
「と、嬢ちゃん……確か、青海、咲智とか言ったなぁ……早いうちに逃げな……まだ死にたかねぇだろ?」
声は掛けているが、視線だけはCrimsonに向かうものを保つ銀沢。
「そうはいきませんよ。それに、私たちも殺そうという訳じゃありません」
言いながらハンマーを降ろすCrimson。
「それで“はいそうですか”って引き下がると思ってンのか?」
Crimsonの銃のシリンダーが回った。
そして発砲音。
しかし、銃を落としたのはCrimsonだった。
自分の手に走る痛みを感じながらも、銃弾の飛んできた方向に目を向けるCrimson。
「……あなた、ですか……?」
明らかに戸惑っている口調で言う。
その視線の先には、震える手で銃を握りしめる咲智の姿があった。その銃口からは僅かだが煙が上がっている。
「私は、私は誰にも従わない……二人とも、今すぐ帰って!」
口調こそ弱々しいが、その目は真剣に生きていた。
「オイオイ、俺は助けに来てやったんだぜ」
咲智の言葉に左手を軽く挙げながら近付こうとする銀沢。
「――動かないで!!」
そんな銀沢に、そして、落とされた銃を拾おうと屈もうしたCrimsonに声を上げ制した。
二人が留まったのを見るとゆっくりと後退りを始める咲智。
数歩下がった後、踵と返し咲智は駆けだした。
「逃がしませんよ!」
背を向けられた途端、拳銃を拾うと言いながら追おうとするCrimson。
「ちょい待ち。ソレはこっちも同じだって、言っただろ?嬢ちゃんは逃がせればそれでいい。俺の目的はあんた等の組織だからな」
右手に持った剣を逆手に持ち直しながらCrimsonに駆け寄りながら言う銀沢。
「Silver、貴方は邪魔です!」
「その名で呼ばないで欲しいなぁ……今の俺は、黒施(こくせ)、吟(ぎん)だ!」
言い放ち、冗談から斬りかかる銀沢――黒施。
「チッィ!」
舌打ちしながら、ソレを銃のハンマーと本体の間で受け止めるCrimson。
当たった瞬間一気に飛び退く黒施。
「まったく、公安というのはどうしてそうなんでしょうねぇ……」
「俺たちの気質のことか?」
「いいえ。名前ですよ。我々の組織は知っての通り本名の内から色を取り英名にしているのがコードネームです。しかし、貴方方は一々任務毎に名を変える……銀沢、貴方の本名を一度聞きたいものですね」
「本名ねぇ……忘れちまったな。そんなもの……」
言う黒施の目は何処か遠い目をしていた。
「名もない人間など、死んだも同然です。此処で、絶命しなさい!!」
声と同時に黒施に向かって発砲した。
それを真横に飛んで紙一重で躱す黒施。
しかし、その動きを読み、再びその移動先に発砲するCrimson。
が、それも黒施は刀を投げつけることで防いだ。
二人のほぼ中央で銃弾に刀が当たりその場で四散する。そして、衝撃で刀は黒施の手の中に戻った。
「力は落ちてねぇみてぇだなぁ」
刀を構え直し言う。
「当たり前です。それに、貴方もさすがです。ウチにいた頃と何ら変わりない。よほど戦闘が好きなんですね」
「ハッ、好きとかそんなんじゃねぇよ。ただ単に、ダテに死線を生き抜いてる訳じゃねぇってコトだよ」
二人が一定の間を取って睨み合う。
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