青年がしばらく走ったとき、僅かながら建物が見えてきた。そして、その周囲にはさすがに人々が生活しており、一部に人だかりが出来ていた。
その中心で、拡声器を片手に制服警官が声を大にしている。
「コレより先は入らないでください!第一級危険地域に指定されています!」
「知ってるって」
「なんか、生体兵器だか作ってるんでしょ?」
「いや、新種の毒薬らしいぞ」
「そんなことより、今日の夕食どうするの?」
警官の声は耳には入っているようだが、そこに集まっている野次馬達は好き勝手なことを言っている。が、彼等はソコから近いせいか薬の真実を多少は知っているようである。少なくとも長距離の空気感染などはしないことは。
まぁ、そうでなければこんなところに集まってきたりはしないだろうが……。
「検問かぁ……封鎖区域ねぇ……」
青年は前輪を持ち上げながら呟いた。
野次馬達の一歩手前で車体を持ち上げると一気に飛び越える。
「邪魔だって……」
拡声器を持った警官の上を通り過ぎながら呟く。
その声は警官にも届いたようで、上を向いた途端に帽子が落ちた。
着地音と共に、排気ガスをまき散らし青年のバイクは走り去った。
「元凶は……ここ、か……さぁて、どうしたもんかねぇ……」
困ったような台詞であるが、本人は至って楽しんでいる様子である。その証拠に口元にはうっすらとではあるが笑みが浮かべられていた。
場所は城南大学付属病院前。
普段なら地域では有名な総合病院のために数多くの患者や救急車が行き来する場所だ。
が、今は封鎖区域と言うこともあり、院内に取り残されてしまった僅かな危険状態の患者と医師、それに同学校の生徒のみとなっている。
†
「咲智君!君には、そして君のお父さんにも済まないと思っている。だが、資料はないんだ。君が必要としているわけも判っている。解毒剤を作ろうというのだろう?」
緑川は咲智の肩を押さえてそう怒鳴った。
「ソレが判っているなら、先生の知っていることだけでも教えてください!私はまだ、生きたいんです!!!」
しかし、咲智も負けてはいない。緑川の胸ぐらを掴むと一気に壁沿いに備え付けられている棚まで詰め寄り言い放った。
緑川の背中が棚に当たると同時に、資料やホルマリン漬けになっている標本が棚から落ち、ガラスの割れる音や、紙が擦れる音が部屋に響く。
「済まない……本当に済まない……しかし、今言ったように私の知っていることで君に教えれるようなことはもう何もないんだ。全ては……盗まれてしまったあのディスクの中にある。先日の物もそうだが、僅かに残っていた実験資料も………………」
「………?」
「………それも、実は今し方何者かに盗られてしまった」
「え……?」
咲智の体から力が抜けた。
「そう、ですか……全てが……何者かに……」
「だ、だが……私もただ何もしなかった訳じゃあない。解毒とは行かないが抑制剤は作った……」
「抑制剤?」
緑川は、この何日間、院内の研究室に籠もっていた。それは、USの進行を遅らせる抑制剤の開発だ。
毒を武器として戦うモノは、万が一自身が浴びてしまったときのために必ず解毒剤や抑制剤を常備するという。
そして、ソレは医療の世界でも同じだった。どんな人間にも万能という薬は存在しないのだ。Aと言う人間に効いて、Bと言う人間に変化が無くとも、Cと言う人間には毒薬となる場合もある。それは、一重に体質。しかし、ソレばかりでもない。薬は、体内に入り、体内物質と統合することで別のものに変化する。そして、その作用として、病気を治すのだ。しかし、希にその統合する物質が違った物になってしまう場合もある。ソレを防ぐ物が医療で言う抑制剤や解毒剤である。
体の中で統合するときに本来の統合物よりも早く別のものを見つけると、薬はそちらとも統合・合体してしまうのだ。それが、俗に言う副作用である。
「抑制剤、ですか……」
咲智はもう一度同じ名詞を口にした。
緑川はその言葉を聞き、何故か項垂れながら首を縦に振った。
「ああ、だが、まだ、人体実験に持って行けるレベルではないんだ。ラッドの実験は成功した。US自体はまだ私の手元にもある。ソレを使ったラッドに抑制剤を投与した結果、めざましい効果を見せた。しかし、その体毛の変色は抑えられなかった。が、そのラッド自体特別だったのかも知れない。普通では死んでしまう時間以上にUS投与後生き続けていたのだ。そして、抑制剤を使った後、筋肉増強も体毛も変化はないが、まだ、生きてはいる……」
「………なら、なら私が実験台になります!!私も、私もそのラッドと同じかも知れません。父は………父は、髪の色が変わってから僅かな時間で他界しました。でも、私は今もこうして生きています。全身は確かに重いです。しかし、それでも、生きているんです。USに対する免疫が、実験を通して出来ているのかも知れません。でも、生きていることに変わりはないんです。それに、何よりも………」
咲智はソコで言葉を切ると、緑川の顔を上げさせ目を見て言った。
「私は、生きたいンです!!」
†
何処かの暗い一室。しかし、ソコは紛れもない薬品臭の漂う病院の中だった。城南大学付属病院の中だ。
その一室に、スーツに白衣と言う男の姿があった。
手には大きめのジュラルミンケースのような物がある。
その中に、僅か2センチほどのチップが大切に納められていた。
男は、ソレを見てニヤニヤと笑ながら言った。
「コレでいい……後はCrimson(クリムゾン)にコレを渡せばいいだけだ」
†
「だから先生、お願いです!私に、その抑制剤を、ください!!」
「し、しかし……」
「どちらにしても、その抑制剤の人体実験は行わなければ成りません。しかし、その為には誰かにUSを使わなければならない。なら、制作者の一人の私が使うことが適しているはずです!」
咲智の言葉は筋が通っていた。
US自体、筋肉的な猛毒だ。それを投与した上で、治るのではなく抑制する効果を実験するのに、誰がいったい志願するだろうか?
「咲智君……わかった。コレは君に託そう。だが、もし体に危険を感じたときには、直ぐに外すんだ!」
緑川の口調は、強く、切に咲智の体の心配をしてのものだった。
「わかりました」
咲智のその言葉を聞き、緑川は咲智に背を向けた。
「私の部屋にある。付いてきなさい」
二人は、緑川の部屋に戻った。
幾つもの実験器具の中に埋もれ、ソレはあった。
腕章のような形に、点滴などで使う薬品の入った銀色の袋があった。
二十世紀後半から使われてきた。支柱を用いた物ではなく、腕などに固定し、血管に針を刺し使用する物だ。
この方法自体、城南大学が開発し、現在特許申請中である。
「コレが、そうですか」
「そうだ。一応、形にはした。しかし……本当に良いのかね?」
「今更何言ってるンですよ」
咲智は腕まくりをすると、ソレを腕に固定し、針を静脈に刺した。
一瞬痛みから咲智の顔が歪む。
「……咲智君、体に変化はないか?」
「変化って言ったって、まだ始めたばかりじゃないですか……大丈夫、私は死にません」
その咲智の表情は、既に笑っていた。まだ、何も解決していないのに、気持ちの上では、かなり整理が出来たらしい。
「………そう、だな……」
「ええ……ソレはそうと、先生、今回のことで、先生は何も心当たりがないんですか?父にも聞いたんですが、何も話してくれませんでした……」
咲智の質問は、緑川の何かに触れてしまったようだ。
いきなり腰が砕けたように椅子に崩れ落ちると、緑川は頭を抱えた。
「私は……聞いてしまったんだ……外科の柳(やなぎ)教授と学長が話しているのを……」
†
『――外科の柳(やなぎ)教授と学長が話しているのを……』
総合病院である以上、幾つもの病棟に別れている。
その中の外科病棟を取り仕切るのが、週刊誌にも取り上げられるほどの天才外科医と呼ばれる若き凄腕外科医柳(やなぎ)唯(ただ)支(し)教授だ。
名前とは裏腹に、少しだけ支える等と言うことはなく、まるで自身を全能とでも思っているような立ち振る舞いで、正直柳教授は煙たがられていた。
しかし、そう思ってしまうのも仕方のないことかも知れない。それほどに、柳の腕は凄かった。世界的な権威が見放した脳腫瘍を取り除いたり、摘出不可能と言われた肺のガン細胞を除去したりと、まさに、時の人である。
その学歴や生い立ちは決して楽なものではないが、それだけに、彼は努力家でもあった。何事に対しても、やり遂げるまで決して挫折することなく、最後までやり遂げた。その努力のたまものが、今の彼の地位を気づき上げたのだ。
同様、青海雷造も努力の人であった。
中学卒業で製薬会社に入社し、研究所の所長を務めた上で、大学に講師として招かれ、名誉教授の座を手に入れたのだ。
外科の柳、内科の青海。この二人から、城南大学病院は努力家の集大成だとも一時呼ばれる程でもあった。
また、そんな二人を懐に置いているこの大学の学長も決して愚か者ではなかった。その地位こそ、血筋で手に入れた物だが、だからといって、倦怠家というわけでもなく、常によりよい医療体制とよりよい学校作りをと願っていた。
そんな、柳と大学の学長が話していたこととは……。
『一体、何を聞いたんです?』
『彼等は……悪魔に魂を売ってしまったんだ……』
「悪魔に、ねぇ……」
咲智と緑川の会話をインカムを通して聞いているのは、バイクから降り、院内を歩く青年だった。
コツコツと響くであろう靴の音を抑え、半ば早歩き気味に歩く青年は耳元の音量ダイヤルを操作した。
『どういうコト、ですか?』
『君は……いや、君は知らないだろう……通称“E(イー)”と呼ばれる組織のことを』
『いぃ?』
鸚鵡返しに問う咲智。
『そうだ、実体は判らないが……とても巨大な組織だ。判っているのは組織を表すその単語がアルファベット一文字でEであると言うことだけ……』
『それが、その組織が……柳先生達と何の関わりがあるんですか?』
『柳教授と学長は……いや、私や青海先生も同罪だ……私たちにあの薬を、USを作らせたのは組織だったんだ。そして、組織は、あの薬を使って、異常成長した筋肉を持つ生体兵器を作ろうとしているらしい』
そんな突拍子もないコトに咲智は凍り付いたのだろうか、声が聞こえなくなった。
『とても信じられるコトではないだろう……冗談だと笑い飛ばすことも当然だ。だがねぇ、咲智君、コレは事実なのだよ……私が組織のことで知っていることは次の二つだ……一つは、彼等の目を付けられた者は、首を縦に振らない限り必ず消される。そして二つ目、彼等は、歴史の裏に常に生き続けているブラックマーケット……闇の武器商人集団なんだ。だが、その実体はおろか、組織のトップも表には決して出てこない。しかし、過去の世界大戦中に幾つもの国や団体が組織から武器を調達している。それが、世界大戦の延長理由でもあるんだ。そして、組織の最終的な兵器は人間自身。捨て駒となるような奴隷格から、USの様な薬品を用い、筋肉を異常発生させ、その結果、銃弾をも跳ね返すような強化人間格まで……』
咲智は黙って緑川の言葉を聞いているのだろうか?それとも、既に、あまりに現実離れしてしまっているそのコトに聞く耳を持たないのか。どちらにしても、咲智の声は青年のインカムには届いていなかった。
『だが、君も知っての通り、USは誰にでも使える代物ではない。一定の順番で投与することで初めて効果を現す特殊な薬品だ。それを……使える者がいるとは……』
ソコまで聞いて、青年はインカムのボタンを押し、通信を切った。
手を当て、アンテナをしまい、マイクも収納する。
「Eねぇ……やっぱ、奴等が動いてやがったか……お偉方の方針も間違ってなかったってコトか……Evolution(エボリューション)……その頭文字を取ってE……進化集団とは相変わらず、虫酸が走る奴等だ……」
言いながら、ベルトに挿していた細長いモノを抜き取った。
その紫色の袋にかかった紐を解きながら青年はゆっくりと歩みを進めた。
紐を完全に取り終わり、中から木の棒のようなモノを引き抜く。それは、白鞘の日本刀だ。通常の刀に比べて短めだが、使い込まれたと見える、歪んだ柄には手垢と血の染みこんださらしが巻かれていた。
青年は袋を投げ捨てると、刀を腰のベルトに収めた。
「さて、蹴散らすか……今度こそ……」
†
その場所は、丁度咲智と緑川の居る部屋の真上の部屋だった。と、言っても、部屋自体の作りはまったく違う。
大きな机が一つ。その周りに椅子が等間隔で並べられ、部屋の前後の壁にはホワイトボードがはめ込まれている。
広さから言って、小会議室といった感じだ。
その部屋の中の椅子の一つに腰掛け、組んでいた足をほどきながら男は言った。
「そろそろ、ですねぇ……」
腕時計に目をやり時間を確かめる。
窓から入る太陽光の逆行でその全容は解らないが、映し出されたシルエットによって、その男が普通よりも大柄であることは解った。
そして、男が立ち上がり、日の光が遮られたとき、男の容姿は明らかになった。
スキンヘッドにサングラス。顎には若干髭を生やしている。黒のスーツが妙に似合って、更に存在感を出していた。
「私も行くとしますか」
男は扉に向かい歩き出し、ソコを開けると廊下に出た。
†
「で、でも、盗まれたのはそれほど前じゃないんですよねぇ?」
「ソレはそうだが……」
「なら、探してみます!」
咲智は、抑制剤を付けた腕を確認しながら言った。
「ソレはダメだ!君は今の私の話を聞いていなかったのか?奴等は強大すぎる。組織に関わってはいけない!それとも、やはり信じられないのか?」
「ソンなことないですよ。先生の言ったことは信じます。だって、そうでもなければ、この病院を中心に半径三キロにも及ぶ封鎖区域なんかが出来るわけないですから。これは、感染を防ぐ封鎖区域じゃない。戦場になりかねない場所への封鎖区域ですよね?でも、私は……いえ、私だけじゃない。USを作ってしまった私たちが解決しなきゃならないことだと思うんです!」
「咲智君……やはり君は青海先生の娘だ……先生も同じコトを言っていたよ。だから、自宅に資料を持ち込み研究していたんだ……USそのものを壊す薬を作るために……解った。もう何も言うまい……それに、私もいい加減に逃げるのには疲れた。闘うよ。自分自身と」
「先生……それじゃあ、とにかく、私、探してみます!」
緑川に背を向けると、咲智は部屋を出て行った。
「ああ……」
その背中に、緑川は小さく頷いた。
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