「あの……、変なこというようですけど、あなたは、まだ死んじゃいけないんです」
俺の前に立った(浮いた?)それは、小声でそういった。
黒いローブを着て、そのフードを目深にかぶっているために、顔はわからない。しかし、その口調や声から、女性、いや、少女であることは容易に推測できた。
身長からいって、たぶん十二,三歳といったところだろうか。
「あなたの、死亡予定日はまだかなり先のはずです。ボクの手帳にも載っていませんし。なのに、勝手に自殺なんかしちゃって……」
そう付け加えて、少し上がった顔のフードの隙間から、紅い髪が見えた。
「そっか………やっぱ、俺、死んだのか」
改めて自分の足元を見ると、道路を行き交う車と人たちが見える。浮いてる。
「そうです。でも、自殺したんだから、さんの希望通りになったんじゃないですか?まぁ、厳密には、今言ったようにあなたは死ぬ予定の人間ではないので、あの世とこの世の間を彷徨っている状態なんですけどね」
「え、どういうことだ?」
俺は、その娘のいうことの意味がわからなかった。たぶん今は魂とかの状態なんだろう。ってことは、身体がないんだから死んでいるんじゃないんだろうか……?
「言った通りの意味ですよ。普通は生きているときの行いとかから、地獄極楽の審判が下るんです。でも、それにも一応書類とかが必要なので、それの申請を私たちがしなくちゃならないんです。でも、鷹久さんの場合、その書類自体ができあがっていないので、まだ、どっちにも居場所が確保されていないんですよ」
「審判?ってことは、あれか。所謂、閻魔大王とかのとこに行って、それを聞く訳か」
「まぁ、簡単に言っちゃえばそうですね。まぁ、厳密には閻魔様は現世で言うところの裁判官なので、判決は出しますが、私たちが一応弁護人のようなこともやるので、簡単な裁判をやるって思ってもらえればいいですけど」
裁判……?よく……って、ほどでもないけど、言われているのとは結構違うんだな。現実。
「あ、そうだ。大事なこと忘れるとこだった……えっと………」
その娘は、そういいながら、肩にかけた身体の割に大きめの鞄から手帳を取り出すと、そのページを開き、その中身を読みながら、俺に言った。
「ところで、どうしますか?」
「どうって、何がだ?」
「あ、あああ………すみません。まだ何も言ってませんでしたね。えっとですねぇ、率直に言って、生き返りますか?」
………?
「はい?」
「ですから。あなたは今ここからあの世にいけないんですよ。それに、どっちにしても、そのうち死んじゃうんですから、それを無理に今にする必要はないんです。だから、蘇生することが可能なんです。まぁ、自殺したぐらいですから、生き返りたくないかもしれませんけど……」
そう言われてもなぁ……。
俺の自殺の原因は突発的なものだ。何となく、生きているのがいやになった。しかし、そんなことは誰でも何度か経験はあるだろう。だから、正直、本当に死にたい訳じゃない。
が、なぜか今回の俺はそれを行動に移してしまった。
家の近くのビルの非常階段を上り、地上二十階から飛び降りたのだ。
「どうしますか?」
考えている俺を見て、その娘は再びそう言った。
「よし、じゃ、生き返るか」
特に悩んだり考えたりしたわけではない。しかし、死んでもこの“生と死の狭間”ってとこから抜け出せないんじゃしょうがない。
「そうですか。わかりました。なら、ボクしばらく暇なんで、お手伝いします、それじゃあ、えっと、まず……」
そう言いながら、再び鞄を探り出す。
「あ、あった。これ、持っていてください」
そう言って渡したのは、まだそれでも新しい方の黒い手帳だった。
「手帳?」
見たままの感想を言う。
「はい。それじゃ、ちょっとそのまま居てくださいね………」
その娘はそう言うと、ゆっくりと顎を引き、顔の前で両手を組んだ。そして………。
「………!!」
その声が俺の耳に届いたとほぼ同時に、手に持っていた手帳が光り出した。
「……よし。もういいですよ。これで、あなたの今後のページが作られました」
言われているそばから、俺の手の中にあった手帳は、その容積を増していった。
「いったい、何が起きたんだ?」
「ですから……あなたが死んでしまったときに、この手帳の中から今度のあなたの人生を書き込むページが無くなってしまったんですよ。なので、それを復元したんです」
「じゃあ、これって……」
俺はそれにもう一度目を向けて尋ねた。
「はい。いわゆる、閻魔帳というものですね」
少女はそうニッコリ笑いながら言った。もっとも、見えるのは口元だけだが……。
「それじゃあ、行きますか」
俺に背を向けると、少女はそう言いながら数歩上に飛んだ。
「行くって、何処にだ?」
俺は、そう言いその後に続こうとしたが、どうにも移動方法が理解できない。間違いなく自分は浮いているのだから、地面を蹴れば、それで移動できるはず。肉体がないから、重力の抵抗も受けないだろうし……。
論理的には何となく納得できるんだけどなぁ……。
しかし、どうやっても足を踏ん張ることが出来ない。
「なぁ、お前……」
「え?ボクですか?」
「他に誰もいないだろう」
「それはそうですけど………あの、できたら名前で呼んでもらえますか?」
「名前って……聞いてねぇし。だいたいよう、さっきから思ってたんだけど、お前、何者なんだ?」
「あ、もしかして、ボク、自己紹介していませんでした?」
「ああ」
振り返りながら、今更のように言う少女に、俺はそうぶっきらぼうに答える。
「あ、そうですか。それじゃあ、改めて……ボクはまぁ、天使です」
「天使?」
その服装を見た感じでは、悪いけどそういう風には見えない。むしろ、悪魔といった方が納得されるんじゃ……。
「そうですねぇ、わかりやすく言うなら、死神って言うヤツですかねぇ」
「シニガミ!?」
「はい」
………死神って、言われても……。
確かにその服装は、本などで見る死神のそれによく似ていた。
「あ、そうはいっても、誤解しないでくださいね。ボク達死神の役割は、死に行く人が迷わないように霊界にお送りするだけなんですから。どこかの宗教とかに言われるように、人の命を刈り取るって言うような者じゃないんですから」
「はぁ」
俺は曖昧な返事をすると、少女 ―― 死神の次の言葉を待った。
「それで、私の名前ですけど、飛鳥って言います」
「アスカ……」
理由はなく、何となくその名前を復唱する。
「はい」
小首を傾げるような形をして、死神 ―― アスカはそう言った。
「ところで、鷹久さん、何か質問でもあったんですか?」
「あ、ああ……二つな。まず、俺は何処に行くんだ?」
「閻魔邸です」
「エンマ、テイ……」
「ええ。それで二つ目は?」
「どうやったら移動できるんだ?」
「どうやってって……足下を蹴れば良いんですよ」
さも当然のように(まぁ、アスカにしてみれば当然なんだろうけど)そう言って、俺を見る。
「あ、そうはいっても、力じゃなくて、念で……気持ちで蹴るんですけどね」
「念?気持ち?」
今一言っていることが分からなかったが、とにかく、気持ちの中で、思い切り自分の足下を蹴った。
と、俺の体は、そのままの体型で、アスカのさらに上まで飛んだ。
「そう。そう言うことです。それじゃあ、行きますよ」
アスカに付いて飛んでいって、どのぐらいたっただろう。
俺の中に一つの疑問が生まれた。
「なぁ、アスカ」
「何ですか?」
振り向きもせずに、声だけで返してくる。
「閻魔邸には、何をしに行くんだ?」
「えっと……解りにくいかもしれないですけど、“命を”、借りに行くんです」
「命を、借りる?」
「うぅ〜ん。じゃあ、まだ付くまでもう少しありますから、その辺の説明してもいいですけど、聞きます?」
「そだな」
正直たいした興味があった訳じゃない。しかし、知識というのはあって損するものじゃないし、なによりも、今自分がどういう状態なのかをもう少し詳細に知っておきたかった。
「それじゃあ、まず、今のあなたは、“魂”の状態なんです」
俺は黙ってその言葉に頷く。
「それでですねぇ……えぇと、少し話は変わりますけど、生きとし生けるものは、“肉体・幽体・霊体”の、三つから構成されて居るんです。勿論、人間もその例外ではありません。それで、肉体が、言葉通り、肉の体。つまり、器です。そして、今の鷹久さんの状態が、幽体。つまち、魂なんです。で、その二つを繋ぐモノが、霊体、つまり、命なんです。この辺までは、いいですか?」
「………?」
俺は、頭の上に『?』を浮かべながら、黙って首を左右に振った。
「そうですか………じゃあ、つまり、命って言うのは、体と魂をくっつけている接着剤みたいに思ってもらえればいいんですけど……まぁ、普通の接着剤と違うのは、個人によってれぞれ違うんですけどね。これなら、解ります?」
「………『!』」
俺はそれを聞いて、“ポンッ”と、手を打って見せた。
そんな俺を見て、アスカはどこか疲れたように肩を落とした。
「本当に解ったんですか?」
「あ、ああ、ちゃんと理解した」
ジト目で見てくるアスカを見て、少し慌てながら答える。
「そうですか………で、他に何か聞きたいことはありますか?」
「ああ、そうだなぁ。それじゃあ………さっき、命ってのは、それぞれ違うって言ってたよなぁ。なのに、何で貸し出しようのなんかがあるんだ?」
「あ、そう言うところを付いてきますか……」
………そんなこと言われてもなぁ………。
「それは、厳密に言うと、代用品なんです。だから、結構不安定なんですけど、人間用みたいなのがあって、それを一応は使えるんですよ。それで、納得してもらえます?」
「まぁ、な。じゃあ、これで最後。俺の命ってのは、何処にあるんだ?って、いうよりも、だいたい、予備みたいのがあること自体疑問なんだが……」
「そうですねぇ……予備って言うか、それは、あなたのモノなんです。人は死ぬと命が体から抜け落ちるんです。なので、その接着剤を失った体と魂は分離する。で、それは、それぞれに、体は埋葬、魂は霊界へとなって居るんですが、命だけは、どこかに行ってしまうんです。でも、それは転生の時に、また別の体と魂を繋ぐのに自然と戻ってきます。その原理はボクにも解りませんけど……だから、転生の時には体が代わるだけで、命と魂はずっと同じモノが使われているんですよ」
「………そうなのか?」
「はい。でもですねぇ、今言ったみたいに、何処かに行ってしまっているので、ボクにも何処にあるかは判らないんです」
「………判らない?じゃあ、どうやって探すんだよ!」
「まぁまぁ、そんなに大きな声出さないでくださいよ。判らないって言っても、いつでも転生はできるようになっていますから、だから、今の魂の状態の鷹久さんの近くにあることはあるはずなんです。だから、アワワワワッ!」
言葉の途中でなぜか、急にバランスを崩し俺の方に倒れ込んできた。
それを慌てて支える。
「お、っと……大丈夫か?」
「あ、は、はい。すみません……」
そう言って、体勢を立て直そうとするアスカ。
やっぱり、見た目通り軽いんだな……それにすごく小さい……ン、こいつも俺と同じような状態なのに、何で体重を感じるんだ?………まぁ、いいか。
俺の腕の中にいるアスカを見て、ふとそんなことを思った。
と、フードの端が俺の指に引っかかり、それを取った。
その静でアスカの顔があらわになった。
紅いショートの髪、深くに黒が見えるが、基本は金色の瞳、そして、僅かに赤くなっている頬が、その幼さを増して見せていた。
「あ………」
アスカは俺の指にかかっているフードを見ると、すぐにそれを取り、かぶり直す。
「なぁ、何でそれかぶってるんだ?ない方がカワイイのにさぁ」
「そんなこと言われましてもねぇ……このローブは私たちの制服なので、ちゃんとした着方をしていないといけないんです。だから………」
「そうなんだ」
「はい。あ、あそこが閻魔邸です」
そう言って指さすアスカの視線の先には、巨大な建物が見えた。
「あれが………」
それは雲の上にあるようで、なぜそれまで見えなかったのかが不思議なくらいだ。
「ここは死者とか、まぁ、今の鷹久さんのような状態じゃないと見ることすらできないんですよ。さ、行きましょ」
俺の疑問を読み取ったかのように、そう言って、アスカはさらに歩を進めた。
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