今日(2005年10月30日)の練習中、何故かずっと「心・技・体」という言葉が繰り返し頭の中を駆けめぐり、自分の走りを模索する中で「心・技・体」について考えていた。走る時にはいろいろ考えるものなのだが、今日は特別だった・・おそらく約1ヶ月振りの練習だったので、時間をかけて自分の走りを思いだそうとしていたからなのだと思う・・。その中で「心・技・体」について思い・感じたことについて少し書かせて頂きたいと思います。

「心・技・体」スポーツ界ではよく使われる言葉です。例えば、強い選手を見て「あの選手は心技体のバランスが整ってる」とか言います。「心(気持ち・精神)の状態」と「技(技術)の習熟度」と「体(筋力・柔軟性・持久力などの身体機能や体調)」がとてもバランスの取れた状態で、素晴らしい動きができている・・というようなニュアンスが一般的な解釈だと思います。また「心・技・体」の順番に意味があり、心が一番大事で・・・というような事もよく耳にします。でも、今日僕が思ったことはチョット違ったんですね・・・。

まず「心」と「体」があるんですね。これは人間の本質ですよね。で・・「技」この「技」の捉え方が違うんですね。走るための技術とか、そういう単純な技ではないと思うんです。心と体をつなぐ感覚的なものなんじゃないかな・・と思ったんですね。「それは心だろう」と言われそうなのですが、でもちょっと違うと思うんですね。「心」は走れる精神状態であること・・例えばそれは、試合や練習時間といった一時的な心の状態ではなく、普段の生活から安定した精神状態であることだと思います。

一方「技」のそれは文字どおり「意のままに身体を動かす」の「意」の部分だと思います。走るという動作の究極は、本来自分が持っている走りを如何に呼び起こさせるか。野生の部分を呼び起こさせるか・・にあるように思います。身体のあらゆる感覚を極限まで研ぎ澄ませ、小さく聞こえる身体の声をキャッチし、その声を動き(技)に繋げていくか・・というとても高次元の身体運動であり、その研ぎ澄まされた感覚、それ自体が高等な「技(技術)」なんじゃないかなぁ・・と思います。ですから僕はこのような高次元の感覚が支配する世界は「心」とは全く別の領域にあると思うのです。最初に述べたように「心」は「感覚という『技』」に至る前の、雑念が無い精神状態であることを指しているのではないか、と思うのです。

 だから「心・技・体」は「心」と「体」の間に
                  「意という技」があり繋がっている。

         
心←技→体なんだと思います。



時間も無く思いつくまま書いてしまい、全くまとまりの無い文章ですが、後々手直ししていきたいと思います。

現時点のものでも構いませんので掲示板にでもご意見を伺えたら嬉しく思います。