「我、必ずしも聖にあらず  
    彼、必ずしも愚かにあらず 
           共に是凡 夫なり」

  お互いにいたらない者同志、
    かんたんに人を批判することなど、
               できなくなります。
  共に助け合い、
     支え合いながら生きましょう。
                  合掌 ずいしょう
 
 みなべの里はただ今観梅の季節を迎えています。
 一目100万本 香り十里と 言われています。
 百花にさきがけて、寒さに耐えて凛と咲く梅の花。
 厳しさの中に優しさを
 清く正しく美しく生かされてまいりたいと思います。
    ありがとうございます。
    ありがとうございます。
         ありがとうございます。
                合掌 ずいしょう 

  「そのとき  どう動く  (相田みつを)」 

 いろんな人生の局面にさしかかった時、
    どう動くか・・・・。
  そのときは、
  常にあみださまの「声なき声をききながら」
    なすべきことを
   受け止めてまいりたいものですね。
             合掌 ずいしょう 
 
 あなたがどれほど人生に絶望しても
   人生のほうがあなたに絶望することはない
          (ヴィクトール・E・フランクル)

  人生のほうが・・・とは、
 「人間がどんなに絶望に陥っても
  あみださまは、全てを包み、お救いくださっている」
   と言うことです。   
   フランクルの教えはあみださまのみ教えそのものです。
                      合掌 ずいしょう

 「巧詐は拙誠に如かず」(こうさはせっせいにしかず)
 表面的なとりつくろいや、ちょうしのいい生き方は、
 その場はしのげるかもしれませんが、
 真実、誠に生きている人間にはかなわない
    ・・・と言う意味です。
  色んな事がありますが、
  コツコツと、じわじわと生かされてまいりたいと思います。
                   合掌  ずいしょう
 
 「人は はからいから、すべてのものに執着する。
  富に執着し、財に執着し、名に執着し、命に執着する。
  有無、善悪、正邪、すべてのものにとらわれて、
  迷いを重ね、苦しみと悩みを招く」(中部経典)
   私たちの苦しみ悩みの原因は、思い通りにしたい・・・
  でもできない
 というとらわれからきています。
 都合の悪いことでも、阿弥陀様からのメッセージ・・・と
 すなおに受け止められる心を養ってまいりましょう。
                     合掌 ずいしょう

   お彼岸の月です。パーラミターと申しまして
  「彼の岸に到る」と言う意味です。
  理想の明るく喜びに満ちた世界をめざして 生きる。
  ということです。
  これはすべての人々の願いです。
    お彼岸は、目に見えぬものに支えられていることにめざめて
     強く明るく正しく生きる力を養う。そんな心の週間です。
   色んな事が押し寄せてくる毎日でしょうが、
   心を豊かに静かに考える時間をもちましょう。
                      合掌 ずいしょう
  
  足るを知れば辱(はずかし)められず、
      止(とどま)るを知ればあやうからず「老子」
  わたしが、わたしが、と、常にでしゃばる態度、
  そして、何事も強引に成し遂げようとする態度には
   無理があります。
   常に、まわりのつながりのおかげさまで生かされていると言う、
   謙虚な心を忘れずに、日々を送っていきたいものです。
  あみださまサイドからの生き方を心がけてまいりたいものです。
                     合掌 ずいしょう
  
  未曾有の東日本大震災・・・・
  被災された多くのみなさん、謹んでお見舞い申し上げます。
 犠牲となられた多くの方々、謹んでお十念をささげます。
  南無阿弥陀仏
  阿部敏郎さんのblogより
 「いまここに生きるというのは、事は起きているということを
 受け入れるのではなく、 認めるということです。
 騒いでみても、嘆いてみても、事実は変わりません。
 事実を事実としてあるがままに見る、
  それがいまを生きる態度です。」
   とありました。どんなに大変な状況も、 
   自分自身に与えられた課題と受け止める。
   引き受ける!!
   必ず光が射す朝が来ると言うことを心にとめて、
   阿弥陀さまから与えられた命。
   今!ここ!を大切に生きましょう。
          合掌 ずいしょう
                        
 
   困難なことが起こったとき、私どもは、「困った!問題だ!」
 と思います。 しかし、大きく一呼吸して、
 自らを見つめた時、「これは、問題ではなく、課題ではないか。
 自分を鍛えるためのよきチャンスかもしれない。」
 そう考えるのです。そして、その問題を「喜んで引き受ける」
 そう、決断した時、宇宙のエネルギーが集まって、
 新たな展開が動いてくるのです。
  ポイントは、「いやいやながらではなく、
 喜んで引き受ける!」です。そういう生き方考えかたで、
 阿弥陀様からの課題を頂いてまいりましょう。合掌 ずいしょう

  
 阿弥陀さまから頂いたいのちに感謝する・・・
  感謝と喜びを常に感じている人には
 やすらぎが生じ、ストレスがなくなり、免疫力がついてきます。
 感謝することが、力の源・エネルギーとなるのです。
   これは 西山浄土宗、よろこびの念仏に通じています。
 手を合わせ、感謝と喜びの毎日から始めたいものです。
    南無阿弥陀仏・・・
                 合掌 ずいしょう
 
  
  「いのちいっぱい 生きるのだ 
  念じ念じて 生きるのだ
  一度しかない人生を 何か世のため人のため
  自分にできることをして この身を捧げ生きるのだ」 
      (坂村真民 一日一言より)
   あけまして おめでとう ございます。
  今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
      合掌  ずいしょう

   
   Merry Christmas!
     今年も残り少なくなりました。
     一日一日大切にしたいものです。
  忙しい時が続くと、人は心がなくなってしまいます。
   愛情ある言葉、行動が忘れられていきます。
 忙しい時こそ、心に余裕をもって、温かい言葉、温かい行動を
 心がけていきたいものです。
     今年もなにかとお世話になりました。
       ありがとうございました。
   来年もよろしくご指導お願い申し上げます。 
             合掌     ずいしょう
  
  
  仏のこころ
      追い詰められて 初めて人間は
      ほんものになる
      だからほんものになるためには
      絶体絶命の瀬戸ぎわに
      たたされねばならぬ
            坂村真民さんのことばです。
 人間には、与えられた課題があります。言って見れば、
 いろんな、負荷、重荷があります。
 しかしこれは、新しい世界への展開のステップです。
             合掌 ずいしょう
 
 ようやく秋を感じられるようになってまいりました。
   長かった夏が終わりました。
   チリの落盤事故・・・・危機に面したとき、彼らは・・・
  「立て坑を通じて33人分の聖書を取り寄せ、定期的に
   礼拝を開いて、神の救いを説き続けた。」
     「神が私を引っ張ってくれた」と話していました。
   深い彼らの信仰心によって、
 冷静さと、気力と真の強さを頂く事が出来たのではない
  でしょうか?
                      合掌 ずいしょう
 
 記録的な異常気象・猛暑がおさまりつつあります。
  ようやく秋の気配が少しずつ・・・・。
  夏のお疲れは出ていませんか?
 心の洗濯週間、お彼岸もやってまいります。
 日々の生活のなかで、 我々には、
 都合のいいこと悪いこと・・・がありますが、
 すべて、彼岸(彼の岸)から、与えられた課題
 「The agenda given」として受け止めていきましょう。
   ひきうけて・・・・いきましょう!
             合掌  ずいしょう
 
 
 「かたよらない こころ
  こだわらない こころ 
  とらわれない こころ
  ひろくひろく もっとひろく・・・・
  これが般若心経 空の心なり」 高田好胤

 私たちは、なにかと、気にして、こだわって、心配したり
 悩んだりの繰り返しです。
 だからこそ、かたよらない、こだわらない、とらわれない
 そんな生き方を目指していきたいものです。
    猛暑の日々、ご自愛ください。
                   合掌 ずいしょう
 
  暑中お見舞い申し上げます。
 河合隼雄先生の本の中に
  「何か問題が起こってくるという時は、
  そこの家の何かが悪いということではなくて、
  何かしなくてはならない、問題を与えられている。
  課題を与えられている。そういうふうに考えます。
  お父さんが悪いとか、お母さんが悪いとか、
  子供が悪いではなく、家族みんなが、力を合わせて、
  何か、変革しなくてはならない・・・
  そういうことがあるんじゃないでしょうか。」ということです。
  危機があるということは、阿弥陀さまからのメッセージであり、
  新たな変容へのチャンスと受けとめて、
  毎日を過ごしてまいりたいも   のです。
                        合掌 ずいしょう 
 
 梅の収穫期がやってまいりました。
 梅は、寒さに耐えて花咲き、実を結び、塩漬けにされて
 炎天下に干され、一粒一粒ご縁に従って 遠く故郷を離れて、
 多くの人々の食卓に運ばれ、すべての食品の持ち味を活かして
 酸性をアルカリ性に変え、中和する力を持っています。
 「塩梅(あんばい)」という言葉が示すように
 すべての調和の本(もと)となっているのは この梅干しです。
  梅に学び、梅を拝む思いの今日この頃の、み・な・べ・です。
  〜 テレホン説法3「ハイ、もしもし、橋本随暢です。」〜 より
                          合掌 ずいしょう

「鳥は飛び方を変えることはできない
  しかし人間はいつからでも生き方を変えられる(日野原重明)」
 生き方を変える、思いを変える、意識を変える
  ということは
 自分自身が大いなるものに、エネルギーを頂いて
 生かしていただいていると、気づき、感謝し、
 変わっていくことであると思います。
              合掌 ずいしょう
 
 4月がスタートいたしました。
 何か物事を始めるときには、大変だ!大変だ!と
 苦しんで始めるのではなくて、どこかそんな中にも楽しみや、
  よろこびを 描いて、見出して、取り組むべきだと思います。
 そう意識をかえることによって、もともとあみださまからいただいた
 エネルギーに気がつくのです。大丈夫です!大丈夫!
  喜んで取り組みましょう。     合掌 ずいしょう
               
  
  春のお彼岸がやってまいります。
 お彼岸は、日本だけに伝わる、心の洗濯週間です。

  我々はいつも周りを気にしながら、悩んだり苦しんだりしています。   この岸を此岸と言います。この岸からは一歩も出れないけれども、これだけでは限界があり、行き詰まってしまいます。だからこそ、人間を超えた大いなる世界、いつでもどこでも見守ってくださっている弥陀さまのお慈悲に気づいていくのです。過去からの尊い命のつながり、すべてのおかげに感謝するのです。目に見えないご先祖や、一切のおかげさまに真心のお供養をささげましょう。
                       合掌 ずいしょう
 
   

 筑波大学名誉教授、村上和雄先生によりますと、
 「一人の人間が、人間に生まれてくる確率は、
  一億円の宝くじに連続して百万回当たるくらい難しい」
 ことなのだそうです。(ぶっとく誌・参照させていただきました)
 人間に生まれさせていただいて、今ここに存在できること。
 あみだ様からいただいたエネルギーに感謝したいと思います。
                 合掌 ずいしょう

 
 あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いいたします。

 毎年、1年に一度、大阪から、若い御夫婦が
 極楽寺にご先祖のお供養に来られます。もう何年も続いています。   
 今では、子供さんも生まれて、三人でお参りに来ています。
 家族そろって、見えない世界を尊び、いのちのつながりに手をあわせる・・・
 ・・・・そこからスタートする生き方が、やはり、大切だと思います。
 彼らに学んで、子供たちにもつなげていきたいと思います。
 「生かされている」ということを、感謝して、まいりましょう。
                           合掌 ずいしょう
 
平成23年 親鸞上人 第750回御遠忌・・・
  メインテーマである、
   「今 いのちが あなたを生きている」の言葉に感動しています。
  私が、生きているのではありません。
 過去・現在・未来  3世の永遠の命  永遠の光 を受けて
  私が,今 生かされているのです。       合掌  ずいしょう

  「いのちが一番大切だと思っていたころ 生きるのが苦しかった
   いのちより大切なものがあると知った日 生きているのが嬉し      かっ た」
   (星野富弘さん「鈴の鳴る道」・真宗教学研究所メッセージより)

 11月26日は、総本山光明寺では、西山忌「第763回忌」が行われ
  ます。
  西山上人は、
  喜びの念仏、ほれぼれと称える念仏を教えてくださっています。
 「死んでからの往生」とよく聞きますが、それだけではなく、
  生きているこの身このままが、すでに、あみだ様に見守られて              いる。
 そういう教えです。ですから、いろんなことが起こっても、
 あみだ様に「おまかせ」しようという思いを忘れずに・・・・
 (なかなか全分にはまかせられないわたくしですが)
  そういう思いで日暮しをさせていただきたいとおもいます。
                     合掌 ずいしょう
  
昨年、高校野球で、大活躍した、岩手県花巻東高校、菊池投手は、 大リーグに行くか、日本のプロ野球へ行くか、今、騒がれています。 100人ほどの報道陣が、学校に集まって来たそうです。
  菊池君は「兜の緒を締めなければならない。
      それは、僕には 野球の神様がついていてくれるから。
     謙虚に、調子にのってはいけない・・・」と、話していました。 
スカウトは、彼は、すばらしい!非の打ちどころがない。
     球も速いし、体も大きい
    何よりも、性格がいい!と絶賛したそうです。
 菊池君から、今の私のテーマである、見えない世界を感じていく。 「野球の神様がついている」という、さすが、一流の生き方を学んだ気   がいたしました。
                            合掌 ずいしょう 
    
  「今を生きる力」  
  NPO法人日本ホリスティック医学協会のシンポジウムに
  ご縁を頂いてまいりました。ホリスティック医学とは、簡単に言うと
    「人をまるごとみる医学」だそうです。ホリスティック(全的)な
 健康観に立脚する。 自然治癒力を癒しの原点におく。
 病の深い意味に気づき自己実現をめざす。 などの定義を学ばせて頂 きました。
     愛場庸雅先生のメッセージの中に
  病は天から与えられた人生の宿題・・・「生き方を変えること」
 「どのように病を治すのかではなく、いかに今を生きるのかということ・・  ・」
  とありました。  私どもに降りかかる、いいことも悪いことも、
  すべて、阿弥陀様からのメッセージと受け止め、
  命のエネルギーを高めてまいりたいものです。
                           合掌 ずいしょう 
    
   残暑お見舞い申し上げます。

 お釈迦さまの十大弟子の一人、あなん(阿難)尊者は、餓鬼から、
 「あなたは、3日以内に死ぬ。そして、餓鬼道に落ちる」と言われ、驚い て、 お釈迦さまのもとに救いを求めました。すると、お釈迦さまは、
 「恐れることはない。お供え物をして、陀羅尼というお経を称え、
 すべての生きとし生けるものに供養しなさい」と答えられました。
 あなんは、お釈迦さまのいうとおり、多くの僧侶とともに、お供え物をし、  供養をし、 救われてお徳をいただけて、長生きできたということです 。 施餓鬼によって、多くの餓鬼も救われました。ご先祖さまや、縁なき 人々の 供養をさせていただきましょう。       合掌  ずいしょう

    一心になれば

  一心になれば   仏教でも  キリスト教でも
  なんでもいいんです
     必ず助けてくださいます
  一心とは    空(くう)になることです
  一体になることです            真民

   困ったとき、私どもはあれこれと悩み考えます。迷います。
   しかし、見守っていてくださる大いなるものが、あるのです。
   それに、気づき、心静かに委ねていくと、
           必ず・・・・答えが見つかります。
                     合掌   ずいしょう


    時間をかけて
      あせるな   いそぐな   ぐらぐらするな
   馬鹿にされようと   笑われようと
     自分の道を     まっすぐゆこう
      時間をかけて
        みがいてゆこう (坂村真民)
    苦しい時も悲しい時も、阿弥陀様は必ず
    見守って下さっています。
    安心して、勇気をもって、前進しましょう。
                      合掌 ずいしょう
 
 精神的高まり・・・・人間の根本は、体験を積んで死ぬまで勉強です。
 サル学の世界的第一人者河合雅雄先生は、 「サル社会にはオスは いても、父親がいない」 と言います。
  ですから 「ユニット(群れ)はあるけれども、 家族は成り立たない」  そうです。
 「守る」「稼ぐ」「育てる」が、父親の3原則だそうです。
 ここで、一つのポイントは、「育てる」です。
 育てるためには自分が高まっていないとダメです。
 でないと人を育てることはできません。
 体験し、学び、多くの人とかかわり、人間関係能力が重要です。
 私も、父親として、夫として、一人の僧侶として、
 ますます心を高めてまいりたいと思います。   合掌 ずいしょう

  
 目の前に迫ってくる、都合のいいことも悪いことも、
  その現実を あきらかにみていく(諦める)のです。
 
 そんな中で、いろんな事があるけれども、私どもには、
 「生かされている」という現実(事実)があります。
  これは、阿弥陀さまが、必ず見守って下さっている
 ということではないでしょうか?
  それが、阿弥陀さまのお慈悲と気付かせて頂いたときに
 私どもは、現実をはじめて「引き受けて」
 いけるのではないでしょうか?
                   合掌 ずいしょう
 
  アメリカの第44代、バラク・オバマ大統領は、
 就任演説で、 「いま、我々に求められているのは、
 新しい責任の時代に入ることだ。 米国民一人一人が
 自身と自国、世界に義務を負うことを認識し、
 その義務をいやいや引き受けるのではなく
 喜んで機会をとらえることだ。
  困難な任務に自らのすべてをかけることほど、
 我々の心を満たし、
 我々を我々たらしめることはないという確信だ。・・・」
 と、話されました。 「いやいや」ではなく、「喜んで!!」
 私たちも、喜んで、プライドをもって、
 なにごとも、引き受けていきたいものです。
                合掌 ずいしょう
 

あけまして おめでとう ございます.
 今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 今、世界は、同時金融危機、同時雇用危機で、
 大変な混乱を招いています。
 
 私は、ほんとうは、世界の同時心の危機であると思います。
  人々は、同時苦悩を抱えて、同時に、根源的なものを
 求めていると思います。
 だからこそ、心静かに合掌し、今生かされているこの喜びと、
 多くのつながりのなかの一人(一員)であるということを
 意識して、今こそ、阿弥陀様の教えを学んでいく時であると思うのです。
                      合掌 ずいしょう

 人は、過去の栄光や業績にしばられて、

   また、未来の目標や計画に目を向けすぎて

  一番大切な、 今、この瞬間を忘れがちです。
    本当は、、、、 今しかないのです。

  この今の一瞬一瞬に
       集中して生きるしかないのです。
   今をいかに喜んで生きられるかが、
       幸せということではないでしょうか?
                      合掌 ずいしょう

 宝物は、私自身の中にある・・・。  
  それにに気付くことは、難しいです。
  私どもは、世間の評価が気になります。
  また、「私が、私が、・・・」と、我を張ってしまう・・・。
   そういう状態でいては疲れてきます。
 宇宙の中の命のひとつ種を頂いて、
 今、私が生かされている。
 そう、ちっぽけな自分に気付いた時に、
 いろんなことはあるけれども、今、こうして生かされている・・・。
    心が穏やかになってきます。
 すると、広い心で受け止められる自分に気付いて
 ポジティブになれます。
 その安心感が、宝物となっていくでしょう。  合掌   ずいしょう
  
 アメリカの小説家マイクル・クライトンさんは、

 21世紀、人類がもっとも大切にしなければならないものは?
 の質問について・・・「LOVE」と答えられました。
  「LOVE」にはいろんなかたちがありますが、
 クライトンさんは、 「LOVE」とは、受け入れること、ゆるすこと。
 自我を超越して、 真実をみる勇気こそ、「LOVE」なのです。
 と話されました。

  仏教には、「如実知見」という言葉があります。
  思い通りにならないことも、 
  あるがままに、みつめ、受け入れてゆく。
  ・・・・そこから、何が真実かを見極めつつ、
  自らの存在を高めて、歩んでいくことではないでしょうか。

                      合掌  ずいしょう
  
 地元の小学6年生を集めて、一緒に仏教の勉強をしています。
 「極楽塾」といいます。いよいよ、18期生がスタートしました。
  子供達から、様々なことを、こちらが、教えてもらいます。
  いつだったか、最後の授業に、手紙をもらいました。

  彼は、{僕の好きな今週のことばは、
      「幸せはいつも自分の心がきめる」です。
       悩んでいた僕を受け止めてくれて、
       心に刺さっていた悩みという名の矢をぬいてくれた」}
                           と書いてくれました。
  苦しい時、悲しい時、ふとした言葉から、
  前を向いて生きるヒントをあらためて、
  私自身も彼から、もらったような気がいたしました。
   「しあわせは いつも 自分の心が きめる!」  
                            合掌   ずいしょう  
 
松原泰道先生の本の中に、

 「陰徳は、エンマさまに知れないように積んでこそ陰徳だ」
 「他から目立たないように きわだたぬように、 
  またさりげなく徳行を積む」とありました。

 善き行いを優しい気持ちで、損得考えず、
 さりげなくさせていただく・・・・。
   なかなかできないことですが、
  しかしながら、
 やはり、阿弥陀さまは、見てくださっているのです。
                    合掌 ずいしょう
 
 

 「神(仏)がなければ すべてが許される」
  (カラマーゾフの兄弟・イワンの言葉)です。

 神、仏がなければ、何をしてもいい、と言うことは、
 人を殺してもかまわない、ということにつながります。

  人間は、畏れ、うやまう(畏敬の念)がなければ、
  何をするかわからない。
 だからこそ、心の中に、人間を超えた、目に見えない世界、
 神・仏をうやまう気持ちをもつことが必要です。
                      合掌 ずいしょう
 

 大悲心は、「人を思いやる気持ち、人を助ける気持ち、
 人を認める気持ち、人をゆるす気持ち」だそうです。

  人間の価値観について・・・
 人それぞれ、価値観がちがいます。
 言論は自由です。しかし、たったひとことが、
 人を楽しくも、悲しくもしてしまいます。
 大悲心をもって、人とお付き合いしてゆきたいと思います。
                    合掌  ずいしょう

新年おめでとうございます。
 今年もよろしくお願いいたします。合掌

 「如来を信ずるものは、如来の御導きに預かる」
      関本諦承上人のおことばです。

  つらいこと、悲しいこと、苦しいことがあっても、
 ほとけさまさからの、大きなエネルギーをもらって、
 ほとけさまを絶体的に信じてゆくと、必ずお導きがあります。
 今年も、一瞬一瞬を悔いなきように大切にいたしましょう。
                     ずいしょう 
  悪が熟さないうちは 
 たとえ悪人であっても 幸福を経験する
  しかし悪が熟せば、 悪人は禍いにあう
 
 善が熟さないうちは 
  たとえ善人であっても 不幸を経験する
 しかし善が熟せば 善人は幸福にあう(法句経)

  たとえ、今、頑張っていて、結果が出なくても
 善きことを積み重ねていくと
 必ず、機が熟し、むくわれる日がきます。
 一日一日を大切に善業を積み重ねて参りたいと思います。
                   合掌 ずいしょう

正法眼蔵の中に「不染汚」という語あり
 迷いしときの われを支えき   みつを

 「不染汚」とは、(フゼンナ・フゼンマ)と読みます。
 染まりも汚れもしないで、本来の自己を保つ・・・
 ということだそうです。
 わたしたちは、色んなことに、迷ったり染まったり、 
 振り回されることさえあります。
  そんな時、「不染汚」を私自身のど真ん中において、 
 生きたいものです。
  つまり、いつでもどこでも見守ってくださっている
 阿弥陀様のお慈悲・エネルギーに
 気付けるかどうかで、染まりも汚れも迷いもなく、  
 安心して生活ができるということです。

合掌  ずいしょう

「木陰(こかげ)」
  ひとつ すてる  ふわっと かるくなる
     ふたつ すてる    ふわっと かるくなる
       心が重いのは  自分のことばかり  考えすぎたから

 夏休みは、早朝から子供達が、集まり、
 ラジオ体操と「般若心経」のおつとめが続けられています。
小学校6年間の間に、子供達は、みんな般若心経を覚えてしまいます。
 幼少年期に培われた情操は生涯身についています。
 人間として生まれて、大事なことは、すべてに畏敬の念を
 抱いて、生きるしつけがなされていることだと思います。 
 子供達が、素直に大声で唱える心経に、心が洗われます。
                            ずいしょう 合掌  

 暑中お見舞い申し上げます。
暑い毎日、ご自愛下さい。

 気づかないうちに、他人を傷つけていることがあります。
「ひとこと」の重みは、たいへん深いです。
たった一言が、喜びや、安心や感謝を与えることもできるし、
たった一言で、なかなか消せない心の傷となることもあります。
人は、みんなそんなに強くないから、他人の立場にたって、
物事を考えていけたら・・・と言い聞かせています。
自分を振り返る余裕をもっていければ、、、と、
言い聞かせています。          合掌 ずいしょう

私たちには、楽しいこと、嬉しいことがある反面,
 悲しいこと、つらいことが、ドッと押し寄せてきます。
 お釈迦さまは、「人生は、苦である」と申されました。
 たとえば、 苦しいことを、影・闇とします。
 しかし、その影の背後には、必ず光があるということです。
 光がなければ、影も闇もありません。
「本当に光を知るためには、本当に闇を知らねばならぬ。」
 と、坂村真民さんは言っています。
 いま、苦をもっている方、つまり、影をかんじている方は、
 必ず背後には光があって、その光が
 私自身に何かを教えてくれているメッセージ
 であると、受け止めて「影」を生かしていきたいものです。
                       合掌 ずいしょう
 
  ニューヨークの大菩薩禅堂金剛寺の住職、嶋野榮道師は、
 「仏教とは、簡単に言うとどういうことですか?」
 と聞かれたとき、
 「I am sorry.」  「Thank you.」
 「I love you.」  と、答えられました。
  まず、第一に、謝罪することが大事だということです。
 すべての物事において、謝罪、反省することから、
 仏教ははじまると考えます。
 素直に「ごめんなさい」が言える、わたくしでありたいものです。
                         合掌 ずいしょう

 第100回彼岸特別仏教講座記念、画僧・慧善玄潭師の「特別展」に、多くのご来寺を頂きまして、ありがとうございました。
 「燃えて生きる」彼の仏画には、一筆一筆、お念仏が
 こめられています。 今、この瞬間を大切に生きることこそ、
 仏様から私共に与えられたかけがえない使命と感じています。
   新学期が始まりました。気分も一新のときであります。
 心機一転出直しのときです。過去にいろんなことがあったとしても、それは、新たなる、いい出来事のまえぶれです。
 前を向いて、元気にスタートいたしましょう。
                     合掌 ずいしょう
「感謝がなければ、愛は消える」「感謝すると愛は復活する」
 批判や否定的な思考をやめて、
相手への見方を変えると、感情が流れ出し、二人の関係に
感謝が働きはじめ、愛が復活する・・・・(ノエル・C・ネルソン)
 私自身が、完璧でもないのに、他人を批判したり、人のせいに
するようなことはできません。相手のすばらしい価値を見出し、
それを感謝する日々を送ると、「感謝のエネルギー」が、
私にも降り注いで豊かな心で、生かされていくのです。
 「ありがたい」の素晴らしい「エネルギー」を頂きましょう。
                     合掌 ずいしょう
 
新年おめでとうございます。
今年も、よろしくおねがいいたします。

 大切なことは・・・
  わたしたちの内部にある
  優しさと
  他人への思いやりを養い
  否定的な心をなくし
人のために尽くそうとすることです。(ダライ・ラマ14世)

 今年は、人を思いやる気持ちを大切に大切に
日々精進したいと思います。   合掌 ずいしょう

「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ・・・」
サン・テグジュペリは
この世界で隠されてしまう真実を見つめ続けました。
目には見えないが、この世にたしかにあるもの。
それゆえに耐え難い困難にうち勝つ力をくれるもの。
決してあきらめない願いが込められています。(斉藤孝 天才伝2)
 わたしは、それは阿弥陀仏を信じる心だと、確信しています。 
                          ずいしょう 合掌
 せっかく、仏さまから、「心配するな」という、
 大きなお慈悲のエネルギーを頂きながら、
 気づかずに、不平不満を言ったり、
 むやみに争いあったりしていると、
 せっかくのエネルギーがもれて、
 やがて、様々な病へとつながるといいます。
 だから、日常、色んなことがあっても、 
 なるべく、「喜べる」自分を
 とり戻していきましょう。そうすると、
 仏さまの素晴らしいエネルギーが、もどってきます。
 お互いに心がけて生かされましょう。    
              合掌  ずいしょう
 私どもは、日常、悩んだり、迷うことが多々あります。
「これでよかったのか?」「他に方法はなかったか?」
「あちらに行けば、どうだったか?」
いろいろな思いがめぐります。
しかし、よく考えて見ますと、
自分は、『今、ここにしかいない。他には存在していない。』
ということです。
「今しかない!」「ここしかない!」
「これしかない!」ということです。
 これこそが、今、ここが、
仏様から与えていただいた使命の場と受け止めて
生かされてゆきたいと思います。
           合掌   ずいしょう  

喜ぶことを忘れた人生は不幸です。
信仰は、どんな境遇に逢っても
そこから、明るさを見出す力、すなわち
知恵の眼で見ることができるのです。
暗い面ばかりではありません。
方向転換してみると明るさいっぱいです。
今を喜び、与えられた境遇、環境を受け止める心の眼を
養い育てていきましょう。
        合掌 ずいしょう
ちょっとした、心づかい・・・
一歩ひかえる
半歩ゆずる
 心にゆとりをもって
少しだけ相手の立場、
自分の立場を考える
それが、私自身の課題です。
       合掌 ずいしょう
人にして生まるるは難し、今、命あるは難し。(法句経)
難し(かたし)ということは、あることが、むずかしい。
めったにない、稀である。という意味です。
そうしますと、人間として、生まれるということは、難しい。
今、いのちあり続けるということも、本当は難しいことなのだということでしょう。
このあり難い、あることが、むずかしい・・・「ありがとう」という言葉ができたのです。
本当のありがとうとは、今、生かされている命に感謝することです。
この生きる原点にもどって、今年は精進したいと思います。
                       合掌  ずいしょう
 クリスマスの夜に、少女クララは、
みにくい「くるみ割り人形」と出会います。
 実はそれは、
魔法をかけられた美しい王子だったのです。
心のきれいなクララは、
「くるみ割り人形」を心のそこから、
純粋に大切に思うことで、魔法はとけていったのです。
 清らかな心で、素直な心で、
本当の美しいものを正しく
見ることのできる私でありたいものです。
                 合掌 ずいしょう
 聖徳太子が言われた、
「和をもって、尊しとなす」と言う言葉があります。
 本当の「和」とは、
因縁の理法をふまえた関係(仲間)です。

 因縁の理法とは、遠い過去からのとぎれることのない
命のつながりのおかげで今、ここに私が存在しているという
事実であります。私は、
「出会いに感謝する事によって、尊しとなす」
と、感じています。   合掌 ずいしょう
「お彼岸」

お彼岸とは、此の岸(迷いや苦悩の多いこの世界)から、
彼の岸(不安のない安らぎの世界)に渡るということです。
この1週間は、心の洗濯週間です。
せめて、素直な心で、遠い過去からの途切れることのない
血のつながりのおかげで、
生かされている今を感謝して、
阿弥陀様にお参りしましょう。
    合掌
         ずいしょう
「即便往生」 
 往生とは「往き生まれる」と書きます。
 世間では、交通渋滞にあって、「いや〜まったく往生したよ。」とか「立ち往生したよ」などと、本来の佛教とはちがう使われ方をしたり,また、命終わりて極楽往生するというような信心が一般的でありましょうが,西山上人は   
死んだ後の往生ではない。 死に際のお迎えではない。  と言われています。
 いつでもどこでも見守って下さる阿弥陀さまのお慈悲を感受して、生きているこの身このままに,仏の願力に乗じて、生き生きとしたよろこびの生活を「即便往生」というのであります。
「すうとら」
 スートラとは、お経のことであり、原義は糸、転じて教法を貫く綱要の意です。
どの時代、どんなことが起ころうとも、いつでもどこでも、誰にでも通じる絶対の真理であります。
 いわば、現代の激しく移り変わるこの世を横糸とするならば、日常生活に、意味のある、価値のある人生生活を教えているのが、縦糸「スートラ」なのです。
 私は、少しでも安心した日ぐらしがおくれるよう、ささやかな願いをこめて、タイトルをひらがな「すうとら」とさせていただきました。
「恕す(ゆるす)」
 乙武さんと日野原先生の対談のなかに、
「恕す(ゆるす)」という言葉がありました。
「如」という字の下には「心」がついています。
 私の心のように、あなたを考える。という意味だそうです。
「私たちの誰一人として、完璧な人間などいない。
 弱さや醜い心は自分の中にもあるのだから、
その弱い自分が他人に恕されて生きているように、
 他人を恕すということ」だそうです。
「恕」という言葉を心して受けとめて
 いきたいと感じました。
         ずいしょう
「安心」
 私たちの日常生活において、気になっていたことや、心配していた事が解決して、「ああ、、安心した。」とホッとした心の状態を「安心」といいます。しかしまた、新たな心配や不安がおしよせてくるものです。
 仏教のいう「安心」は”あんじん”と濁って発音します。
 生死の一大事の解決をいい、生きている今も、死んでから後までも「死に生きともにわずらいなし」と、いつでもどこでも見守って下さる阿弥陀様への絶対帰依をいうのであります。
「仏様に手を合わせても、仏様の願いを聞く人は、少ない」私達は、調子のよい時は、つい、横柄な態度をとりがちですが、困難に出くわすと、神仏に手を合わせ、こちら側の願いばかり押し付け、仏様からの願いを聞くことを忘れています。
 心を落ち着けて、聞いてください。
「心配しなくても、いつも、見守っているよ。」
 これが、仏様からの願いです。
この世に生まれ、今こうして生かされていることを素直に喜べるよういつでも、どこでも、仏様に見守られている自分を感じて生きましょう。
 合掌  ずいしょう
慈悲の「慈」は、相手に喜びを与えること。
明るく、頑張ってという思い。
「悲」とは相手をなぐさめてあげること。
ただ、黙って、悲しみや苦しみを共感してあげること。
 仏様は、明るくはげますことと、
共に泣いてあげられる両面の大きな心を
もってくれています。
私共もその心に少しでも近づいてまいりたいものです。
                        ずいしょう
日々、私達は喜怒哀楽の問題に直面します。
一喜一憂があり、悩みもつきません。
しかし、
無限の過去からの、とぎれることのない
血のつながりのおかげで
私が、今、ここに存在します。
大自然の中で、まわりの人たちに
支えられている私がいるのです。
人間のはからいでは到底及ばない
不思議なご縁で、みんな出会っています。
阿弥陀様の「重々無尽」の関わり合いを
深く感じて、ありがたくいきたいものです。
 合掌 ずいしょう
 人間関係ほど難しいものはありませんが、
それほどすばらしいものもありません。
私達は、仏様の様に、暖かく、優しく
包み込む事は、できませんが、
 ふと、肩の力をぬいて、素直になった時、
自然と、暖かいわたくしがみえます。
素直になれたら、「許せる」私になり、
「許される」私になります。
素直を心がけていきたいものです。 
                ずいしょう
 チベット仏教の法王、
ダライ・ラマ14世のことばです。
「個人でも集団でも
敵と思えるような相手に出会ったら、
それを忍耐や寛容を与える修行だと、
考えてみてください。
 そう考えると敵は、私たちの師であり、
先生だといえます。
 敵はとてもありがたい存在なのです。
人生の苦しい時期は有益な経験を得て、
内面を強くする最高の機会なのですから・・・」
             合掌  ずいしょう
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