人生の道標となる 詩  私の好きなポエムです。

   
  平成16年8月29日 喫茶店 店主
現代詩文庫1025立原道造 「第2期 近代詩人編」25

「立原道造詩集」 著者:立原道造、 著発行所:株式会社思潮社
  


夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう そして それは戸をあけて 寂寥のなかに 星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう 夢は そのさきには もうゆかない なにもかも 忘れ果てようとおもひ 忘れつくしたことさへ 忘れてしまったときには うららかに青い空には陽がてり 火山は眠ってゐた ーーそして私は 見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた・・・・・・ 夢はいつもかへって行った 山の麓のさびしい村に      のちのおもひに




 解 説 】 下田 雅博

私は、高校3年生のときに社会経済の先生がガリ版印刷で詩集を発行いているのに興味を覚えていました。先生は、授業が終わると何もいわずに教壇の上に作品を1枚置いていきました。大半の生徒は無関心でしたが、私は、自分でも詩を作っていたので、その後先生と一緒に1年あまり、2ヶ月に1度の作品を発表していたことを思い出しました。
私の詩は、散文詩のようなものだったと思います。 先生方にも文学に造詣が深い方が数人おりまして、その都度、私の作品を批評して頂き、ガリ版印刷詩集の後半に詩の評論、講評などを頂いておりました。

先生は、埼玉県本庄市に住んでおられ、物静かなかたでした。
そのころの私は、文学青年気取りに郷土の詩人である萩原朔太郎やリルケなどの作品を鑑賞し、淡い初恋と重ね詩を書いたりしていました。
漢和辞典を引き、難しい漢字を使い背伸びをしていたように思います。

その当時、特に好きだった詩人が、立原道造でした。
立原道造の詩は、しばしば、そのまるで夢のようにはかない美しさと、そのはかない美しさを支える音楽的構造の精妙さによって、多くの読者を魅了したと評価されておりました。



以降 数日後に記述します。