人生の道標となる 詩  私の好きなポエムです。

     平成16年8月24日
 喫茶店 店主

サムエル・ウルマン著  宇野 収 訳  三笠書房






青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う。
薔薇の面差し、紅(くれない)の唇、しなやかな手足ではなく、
たくましい意思、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす。

青春とは人生の深い泉の清新さをいう。



青春とは、臆病さを退ける勇気、
安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。

ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。

年を重ねただけでは人は老いない。

理想を失うとき初めて老いる。

歳月は皮膚に皺を増すが、熱情を失えば心はしぼむ。

苦悩・恐怖・失望により気分は地に這い精神は芥になる。



60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、
驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心、
人生への興味の歓喜がある。

君にも吾にも見えざる駅逓がある。

人から神から美・希望・よろこび・勇気・力の
霊感を受ける限り君は若い。



霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、
悲歓の氷に閉ざされるとき、
20歳であろうと人は老いる。

頭(こうべ)を高く上げ希望の波をとらえる限り、
80歳であろうと人は青春にして已(や)む。

                   

                ( 宇野 収  訳 )









 解 説 】 郷 仙太郎


第二次世界大戦後、日本を占領した連合軍の最高司令官
ダグラス・マッカーサーは、トルーマン大統領によって解任され、
日本を離れるとき、「老兵は死なず、消え去るのみ」
と名言を残しているが、在任中、ウルマンの
この青春の詩をこよなく愛した。


この詩をウルマンの作ではなく、
マッカーサーの作品と思っている人もいるほどだ。


マッカーサーだけではなく、多くの日本人がこの詩に感動し、
勇気づけられたのは、なぜだろうか。


私の父はガン死の床で英会話の勉強をしていた。

「アメリカのビジネスマンは日本転勤を命ぜられると
会社を辞めてしまうそうだ。

日本語を覚えるのは、フランス語やイタリヤ語を覚えるのに
比べ、10倍も難しいんだ。

アジアのエリートは英語を話すが、
日本のエリートは英語を話さないから
外国人にとって日本への赴任はなおさら辛いんだ。

日本人が英語を話すようにならなければ、
いつまでたっても日本日は外国人がこないよ」

そう言っていた。




「 生涯 青春 」 を座右の銘とする人もいる。

人は皆、死ぬまで前向きにいきたいものだ。
サムエル・ウルマンの詩は、そういう人々の共感を呼んだのである。

また、この詩の、

「ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある」

という一句は、現代の若者に対する
痛烈な一撃だ。

日本が成熟化しようとするこの時代だからこそ、
世代として数の少ない青年たちに奮起を促してやまない。


● サムエル・ウルマン の 略歴

1840年 ドイツ生まれのユダヤ人。
アメリカに移住し南北戦争に従軍。

アラバマ州バーミンガムで金物屋、
銀行経営の傍ら教育委員などを務めた。

1920年、80歳を記念して詩集を出版。
1924年 死去。

郷 仙太郎


以上 

「心に刻む20世紀の名言」  共著  伊藤章雄 郷仙太郎