Welcoming  アベノ・天王寺
阿倍野・天王寺浪漫と歴史のまちを歩く             平成30年1月28日(日)





今日の主管は「大阪府歩け歩け協会」ですが、近鉄不動産、東急不動産、JR西日本が協賛のウオーキングです。

集合場所は天王寺公園の「てんしば」です。

天王寺公園の東南の一角が整備されてきれいになって、「てんしば」と呼ばれています。

私の知っている「天王寺公園」は数十年前です。

今は見違えるほどになっています、これなら子供連れでもやってこれます。

今回の「Welcoming アベノ・天王寺」のキャッチコピーは

「街の魅力を再発見!」、「アベノ・天王寺の認知度向上!」、「もっと笑いのある元気な街に!」

さらなる活性化に挑みます。

アベノ・天王寺は「歴史文化」、「暮らし」、「緑の環境」、3つの価値が調和し、居心地のいい街をつくっています。

ちょっと力の入れすぎ、あまり力を入れすぎると長続きが出来ません、

長く続けないとイメージの定着は難しいのでは?。

さて、今日は一般参加も会費徴収なし、近鉄不動産さんの挨拶があって、体操をしていつものようにスタートです。

先ずは、北は上って四天王寺さんへ、ここから南へ下ります。近鉄阿部野橋駅から阿倍野筋へ、

伝北畠顕家の墓所があります。鎌倉時代から南北朝時代の人で墓所は福島県にもあるそうです。

父「北畠親房」とともに陸奥へ下向し、多賀城を拠点に、東北津軽の北条氏残党を平定したと云われています。

足利尊氏追討の命を受けて、11月に陸奥を発って2月には京へ凱旋しています。

尊氏は九州へ逃げましたが、顕家が陸奥へ戻っている間に再度尊氏上京、

顕家は再び南下して、伊勢へ、ところが京へ入れません。

和泉から泉南地域を平定しますが、石津川で高師直と対戦中に亡くなってしまいます。紀州街道の石津川に

供養塔が建っています。

北畠顕家は「凛々しい」美青年であったと云われていますが、亡くなったとき20歳の若さでした。

次の万代池公園で昼食としました。この池には薄氷が張っていました。

午後は熊野道を北上して、安倍王子神社、安倍晴明神社に寄って、松虫通りを西に聖天山公園で列詰休憩です。

途中の松虫塚は、謂われが諸説あって、ひとつは「後鳥羽上皇の官女松虫、鈴虫の二人が法然上人の念仏に

発心し、その法然が土佐に流された後、松虫がここに庵を結び隠棲していた」とか、

親友二人がここを通ったとき、松虫が鳴いていて、一人が草むらを分け入って戻らなくなり、探しに行くと亡く

なっていたので、ここに葬っのが松虫塚だとか、云われています。

古今和歌集 「秋の野に人まつ虫の声すなりわれかとゆきていざとむらわん」

聖天さんは、正圓寺と云うお寺さんで、本尊は「大聖歓喜双身天王」だそうです。この山自体は古墳のようです。

この傍に吉田兼好法師が一時住んでいたことがあるそうです。

ここからは更に北へ上って、「あべのキューズモール」が今日のゴールです。

確かに、アベノ・天王寺界隈は昔と変わりました。それに今日はその歴史を再確認いたしました。

主催者、協賛者の皆さん、ありがとうございました。

帰宅してのこと、また体重が少し戻ってしまっています、まだ食事制限が必要です。


コース         11km       時間

天王寺駅・「てんしば」(スタート) ー 四天王寺 - 北畠顕家墓所 - 万代池(昼食) - 阿倍王子神社 - 
       10:05             10:30-40      11:30      11:45-12:30        12:55   

安倍晴明神社 - 松虫塚 - 聖天山公園 - あべのキューズモール(ゴール)
13:00-05       13:10     13:20-25        13:55       

       
「てんしば」 
奥の突き当りが
動物園の入り口
 四天王寺  万代池  安倍晴明神社  松虫塚

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