奥の細道鳥海ツーデーマーチ                平成29年9月2日(土)・3日(日)




鳥海ツーデーです、やっと念願の参加です、大阪からはちょっと不便です。

山形県のジャパンマーチングリーグの指定大会です。

鳥海山の麓の庄内平野の遊佐町が主会場です。

今回、小生膝に若干不安を抱えての参加です。

大分以前のことですが、大阪の近郊の山登りに参加している遊佐町の方に会いました。

山は大阪駅朝発のバスで、和歌山方面の山登り企画ツアーだったと思います。

その方は電車で東京へ出て、そこから夜行バスで大阪駅へ朝着、そして我々のツアーバスに乗っていました。

確か日本の二百名山登頂を目指していたのだと思います、その熱意に圧倒された思いがあります。

遊佐へ来て判りました、関西には高い山はありません。鳥海山は高いと云っても海抜2236mです。

小生は大阪から秋田空港へ、秋田から酒田へ移動して宿泊しました。

ちょっとしたショックを受けました。日本海側を走っている羽越本線沿線は可哀そうですよ。

秋田駅で、先ずJRの推奨しているイコカが使えません。機械が置いてありません。

切符を買って下さいと案内しています。

二つ目です、遊佐の町は小さな町と予想して、隣の酒田市駅前に宿をとりました。

駅前には10階建てのホテルが2つほどありました。

ですが、駅前に商店がありません、コンビニを聞くと、ホテルからかなり離れたところに一軒だけありました。

どうしたことでしょう、スーパーが近くにある様子もありません。街の中心が別の場所に移ったのでしょうか。

地域間の格差はここまで来ています。早く為政者が手を打たないともっと格差が開きます。

発展して便利が良くなることが、住人の幸せに直接繋がるわけではないとは思いますが、どうでしょうかね。

今回小生初日は20kmコースとし、午後の空いた時間で酒田の本間家旧本邸を見学予定です。

二日目も20kmコースとしました、これは帰りの時間に間に合うかどうか、膝の状況を考えてのコース選定です。


一日目   緑と庄内砂丘、日本海コース      23km      時間

遊佐町体育会館(スタート) - 豊田遺跡現地 - やすらぎ公園 - 高瀬まちづくりセンター - 
      8:30              9:40                    

 鳥海山大物忌神社 -十六羅漢 - 芭蕉句碑 - 西浜昼食) - 十里塚 - 遊佐体育観(ゴール)
    10:15        10:40       10:45      11:05-20     12:05       13:30      

芭蕉の句碑は「あつみ山吹浦かけて夕すずみ」でした。

一日目の後の、本間家旧本邸、幕府へ献上していたとのことですが、立派な家でした。

酒田では、「本間様には及びもせぬが、せめてなりたやお殿様」と云われていたそうですが、

小作人が、3000人いたと云われ、米作、廻船問屋、金融業と総合商社みたいな仕事をしていたようです。

地元には、相当の私財を投じていたらしく、今でも地元で悪く云う人はいないようです。

立居倉庫群も見学しましたが、今でも活用しているのは管理がしっかりしているのでしょう、立派ですね。

鳥海山です スタート 鳥海山大物忌神社
十六羅漢の一部
ラッセル車
本間家旧本邸 山居倉庫 山居倉庫
芭蕉句碑


二日目は帰りの時間を考えて20kmコースとしました。

杉山比山伝承館の建物、しっかりしています。築は元禄時代とのことでした。

胴腹の滝は一度見ておきたいため、そこだけは30kmコースに入りこんで、見学しました。

鳥海山の伏流水が岩の間から噴き出しています。良かったですし、水が美味しかったです。


二日目  水と鳥海山麓、自然コース   22km     時間

遊佐体育会館(スタート) - 庄内おばこ発祥の地碑 - 杉沢比山伝承館 - コース分岐 - 胴腹滝 - 
     7:15              8:10              9:00           9:50      10:10

元のコースへ - 四季の森しらい自然館(昼食) - 野沢公民館 - 遊佐体育会館(ゴール)
   10:25           10:35-50            11:35          12:20     

スタート準備
いいところです
庄内おばこ
発祥の地の碑
鳥海山へ真っすぐ 胴腹の滝

駅で2時間待ちました、失敗ですね。今の膝なら30kmコースを歩けました。

でも、駅で待っている間に鳥海山から黒雲がやって来ました。突然の豪雨です。

一時間程で雨は上がりましたが、運悪く駅まで歩いている人達には災難でしたね。

帰りの電車ではあの「象潟」を大分注意して風景を見たのですが、芭蕉の云う景勝のような景色はありません。

「象潟や雨に西施がねぶの花」、象潟駅のホームの端にねむの木がありましたが。

理由がわかりました、芭蕉の来た約100年後に地震があり、陸地が2.5m浮き上がってしまったそうです。

「蒼海変じて桑田となる」ですね。時が経てば世の中も変わります。

これで、やっと、鳥海ツーデーマーチが終わりました。

 一覧のページへ