安威川からいましろ大王の杜コース                   平成28年8月21日(日)





毎日ウオークの8月例会です。

今のところ皆勤です、今年も頑張りますが、この先どうも一回は欠席せざるを得ないようです。

淀川流域では最大の前方後円墳です、学者の間では「継体天皇陵」だと云われています。

宮内庁は従前に大田茶臼山古墳を指定しているため、変更しようとはしていません。

従って、立ち入り自由のため、しっかり調査されています。宮内庁の頑なさも幸いすることがあります。

家形埴輪や武人埴輪も出土しています。

実は今通っている高齢者大学の「日本の起源と文化を知る科」で、この4月ここに来ました。

この「今城塚古代歴史館」5周年記念特別展として、「継体大王と筑紫君磐井」と銘打って

岩戸山古墳の石の埴輪、石人の展示がここでありました。

磐井の乱は継体大王との戦ですから、ここでの展示となったわけです。

しかし、当日は雨で、古墳に置いてある埴輪(復元)を見には行きませんでした。

今日はゆっくり見ます。

コースは茨木駅から「元茨木川緑地」、安威川傍の「西河原公園」と北上し「ハニワ工場公園」

新池遺跡から埴輪製造工場跡が発見されたため、現在「ハニワ工場公園」として保存されて

いる公園です。昼食後、埴輪工房跡を散策します。

次は「名神高速」傍の「闘鶏野(つげの)神社」です、真新しい立派な拝殿です。高速道路のお蔭でしょうか。

この辺り一帯が闘鶏野と呼ばれていたところです。

今読んでいる本によると「日本書紀」欽明天皇23年(562年)の条に

    新羅が使臣を遣わして貢物を奉った。ところが新羅が任那を攻め滅ぼしたことを日本の朝廷

    が知って怒っていると思って、新羅の使臣は帰国したいとも言えなかったし、またもし帰国と云

    えば刑に処せられることを恐れて新羅へ帰らなかった。それ以来、彼の子孫は土着して人民と

    なった。彼らが今の摂津国三島郡埴盧(はにいほ)の新羅人の祖先である。

とあるそうで、この埴盧(はにいほ)、埴は土と云う意味、盧は室と云う意味から、今の土室(はむろ)ではないか。

闘鶏野も新羅に関係ある呼称だと書いています(「日本に残る古代朝鮮」 段煕麟 創元社)。

たしかにこの辺りは「土室(はむろ)」と云う地名でした。ただ、ここに限らず、当時から日本には沢山の渡来人が

あちこちに住んでいたようですから。

次にやっと「今城塚古代歴史館」です、丁寧に案内して頂き、古墳へ、当時もこのように埴輪が並べられて

いたと思うと、かなりインパクトのある墓所であったであろうと思い、しばし古代人になっていました。

後は如是川、狭くて深くて水のない川沿いを下って、摂津富田駅が今日のゴールでした。

雨に会うこともなく幸いでしたが、真夏の暑い中でのウオーキングの一日でした。


コース         11km        時間

JR茨木駅(スタート) - 元茨木川緑地 - 西河原公園 - ハニワ工場公園(昼食) - 闘鶏野(つげの)神社 -
    9:45           10:00        10:25        11:25-12:20          12:35        

今城塚古代歴史館・今城塚古墳 - JR摂津富田駅(ゴール)
 12:50-13:25     13:35        14:00   

元茨木川緑地 西河原公園 ハニワ工場公園 ハニワ工場公園 闘鶏野神社 今城塚古墳

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