大和川と龍田大社コース                     平成27年11月15日(日)





国分周辺は部分的には歩いているのですが古代の龍田道は初めてです。

今日は毎日ウオークの例会です。

高井田駅集合、この駅は降りるのも初めてです。

日本書記の推古21年(613年)「自難波至京置大道」の一文による、難波の宮から飛鳥の京の小墾田宮

までを、歩いて見ました。そんなことからこの「龍田道」にも興味が湧いています。これの方が後の平城宮

には近道のようです。さてどんな道でしょうか。

高井田駅に着くと高井田横穴公園へ案内されます、何とここには横穴の墳墓が200個近くあるそです。

つい先日、仙台の瑞厳寺で、横穴式の供養墓を見て来たばかりでしたので、ビックリしました。

以前に吉見の百穴を見たことがありますが、そんな感じの墳墓です。吉見の穴よりもちゃんとした墓域の

感じです、入口は狭くて中は広そうですから。吉見の方は中が広い感じはしませんでした。

その公園で準備体操をしてスタートします。今日は雨模様のスタートですが、毎日ウオークは晴れることに

なっていますから、期待しましょう。

スタートすぐに資料館です、柏原市も力を入れています。

隣の藤井寺や羽曳野市は御陵もあり、世界遺産を目指しています。

負けないように、頑張ろうとしているのでしょう。

先ず大和川を渡って国分神社へ、傍には以前行った松岳古墳があります、それに渡しの夏目茶屋跡の

吊り橋へ、これも渡りましたね。以前来たときはまた戻って、国分寺跡を見ましたが、今日は大和川の北側を

さらに東へ歩きます。これが龍田道だったんです。新しくべニヤ板で標識が書かれています。

町おこしの一環でしょう、努力は判りますが、昔の石の道標とかがあるともっといいでしょう。

あったようですが、見過ごしたようです。万葉集の歌で我慢しますか。

万葉の歌で我慢して下さい。
     
     聖徳太子   「家ならば妹が手纏かむ草枕旅に臥せるこの旅人あはれ」
     
     鏡大女    「神奈備の岩瀬の杜の呼子鳥いたくな鳴きそ吾恋まさる」

     高橋虫麻呂 「い行きあひの坂の麓に咲きををる櫻の花を見せむ兒もかも」

聖徳太子のこの歌は、万葉集以外では別の場所のことのように書かれているようです。

亀の瀬のところは、川から離れて上の峠八幡神社の前を通ります。

どうも地滑り地帯のようで過去何回か発生して、大和川を堰き止めたこともあったようです。

奈良時代の関は、逢坂の関(穴虫峠)とここの龍田の関の二つだと聞きます、竹内峠よりこちらの方が一般的だった

ようで、壬申の乱の激戦地はこの辺りのようです。この「龍田道」結構アップダウンのある道でした

龍田神社で昼食です、ここは風の神社とも云われています。今日は七五三です、あちこちから来ていますね。

午後は少し歩いて王寺駅がゴールでした。


コース      12km        時間

高井田駅・横穴公園(スタート) - 高井田横穴墓 - 国分神社 - 吊り橋 - 龍田古道へ - 青田 -
      10:10               10:15-35      11:00     11:15               11:35

峠八幡神社 - 関地蔵 - 龍田八幡神社(昼食) - 王寺駅(ゴール)
 12:00-05     12:20       12:30-13:00         13:50   


高井田横穴公園
横穴墓 道標 国分神社 吊り橋  
龍田道
龍田道 峠八幡神社 関地蔵の歌碑 歌碑 龍田八幡神社  
神社境内歌碑

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