さいたマーチ・見沼ツーデーウオーク 平成27年3月28日(土)・29日(日)
埼玉県のツーデーマーチの一つです。
新大阪から青春18切符で行きます。他の予定もあり帰りは新幹線の予定です。
久しぶりに快晴の富士山を見ました。これでまた長生き出来そうです。
もちろん各停と快速の乗り継ぎです、乗換予定の電車の時刻の正確さはやっぱり立派なものです。
これはよい日本の文化だと思いますが、今のような体たらくの日本では、そのうちこれも廃れてしまって
普通の国になってしまうのでは心配です。
さいたま新都心での開催です、40年前までダサイたまと揶揄されていましたのに、高層ビルの立ち並らぶ
大都市へと大発展です。関東にはやっぱり人が沢山集まります。
初日、二日目とも先日の足のマメのリベンジを兼ねて30kmとします。
初めて聞く見沼の代用水の周りをウオーキングします。
幕府は壮大な事業を行ったものです、東京湾に注いでいた利根川を1594年から60年かけて太平洋に注ぐ
ようにするとともに、荒川の流れも西の方に迂回させて、利根川と荒川の間に広大な農地を出現させています。
昔、見沼の溜井を農業の水源としていたのですが、利根川から取水して用水とすることで、その見沼を農地と
して干拓します。そのため見沼代用水と呼びます。1727年徳川吉宗の時代のことです。
水路を交差させて通しています。伏越(ふごし)ー木造の水路を川の地下を通らせる、掛渡井(かけとい)ー水路の
上に橋を架け渡して通らせる、とかを300年前に木造で実際にやっています。また水路と水路を繋ぎ船が通れる
ようにパナマ運河並に堰を造って水位を調整して通す、堀も造っていますーー見沼通船堀。
伏越53基、掛渡井4基だそうです。
300年前の人達の偉業です。伊奈一族の指導の利根川東遷と吉宗の時代の井沢氏による見沼代用水と干拓
事業です。30間(55m)に3寸(9cm)の勾配の維持しながら、利根川取水から見沼まで60kmの距離をです。
この見沼代用水の工事、人数延べ90万人、賃金15000両、構造物費用5000両、工期6ヶ月で完成させた
そうです。
先人の知恵恐るべしです。今ならば「はやぶさ」並の技術でしょうね。
今の国土省のお役人には考えられない計画です。
その見沼代用水の堤には桜の並木です、
桜並木を維持している見沼の人達の努力も立派です。
それをゆっくり二日間に渡って歩きました。
一日目は見沼田圃北側、大宮公園と人形のまち岩槻ルート。
人形のまち岩槻です、すっかり忘れていました。人形の会社がたくさんあるところです。
人形の秀月もここ岩槻でした。
今の時代は手に職をつけた人達の街は強いですね。職人の街は元気です。他ではまね出来ません。
二日目は見沼田圃南側、見沼代用水と芝川満喫ルートです。
その見沼田圃の今は、植木業者の樹木ばかり植えられていました。それも今は花ももの花と早咲きの桜それに
トサミズキとヒュウガミズキの黄色が春の田圃を彩っていました。
富士川車窓から |
第二日目
コ-ス 31km 時間
高沼遊歩道(スタート) - (見沼代用水西縁の側道) - たけのこ公園 - (見沼通船堀の側道) -
8:05 10:50
(見沼代用水東縁の側道) - 大崎公園CP(昼食) - (見沼代用水東縁側道) - 国昌寺 - さぎ山公園 -
11:45-12:00 12:25 12:45
見沼自然公園 - 熊野神社 - (見沼田圃の中の道) - 高速道見沼ICの横 - 高沼遊歩道(ゴール)
12:55 13:25 14:00 14:30