秦氏の嵐山の古墳と広隆寺を巡る 平成27年2月8日(日)
今受講しています、大阪府高齢者大学の歴史古代科のクラスディレクターが主催している「桃風童子」の
例会です、小生は初めての参加です、何と167回目だとか、今後とも小生都合が合えば参加の予定です。
定刻、阪急嵐山駅へ、小生弁当未調達のため、慌てて嵐山駅前のコンビニで調達しました。
ところが何と、本日は雨模様のため、昼食は何処かの食堂に入りましょうと云うことになりました。
初参加では、要領不案内です、こんなこともあります。
秦氏については、百済から帰化した人達で、京都に移住して、治水工事を行うとともに、開拓を行った。
程度の知識しかありません。
先ず、嵐山大堰を見学します、秦氏が5世紀後半に桂川の氾濫を防ぐために築いたとされています。
こう云う歩きもいいですね。いつものウオーキングとは様相が違います。
ただ参加者は皆古代史に詳しい方々ばかりです、未熟な当方話題について行くのが大変です。
車折神社は、お参りするのは初めてです。祭神は清原籟業(ヨリナリ)です。芸能の達者な人だったそうです。
それだけで神様とされているのは珍しいことだと思います。
ここには芸能神社があります、芸人達が皆寄進しています。沢山の芸能人の名前があります。
太秦の傍です芸能人なら来ないわけにはいかないでしょう。関西の漫才師の名前もたくさんありました。
次は齋宮神社です、昔伊勢に向かう斎宮はここの有栖川で禊、祓いの儀を行ったのだそうです。
境内に大きな椋の木がありました。
「帷子の辻」です。帷子の辻の名の由来は、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子は絶世の美人と詠われていましたが、
諸行無常の真理を身をもって民に諭そうと、自分が亡くなったら、自分の死体に死に装束をして辻に打ち捨てよと
命じた ことからだとか。
ここから大映通りを通り「大魔神」を見て、蛇塚古墳へ向かいます。「大魔神」なつかしいですね。
蛇塚古墳は住宅街の真ん中にあります、でかい古墳です。奈良の石舞台より大きいようです。初めて来ました。
秦河勝の墓ではないかと云われています。
もう一度帷子の辻に戻って、次は広隆寺です、ここも初めて来ます。宝物館に入ります。
日本書記で、603年聖徳太子が賜った百済の仏像を秦河勝が私が世話をしますと言って譲り受けた仏像です。
国宝第一号の半跏思惟弥勒菩薩像です。写真でしか見たことがありませんでしたが、以外と細い仏像でした。
一緒に展示してありました12神将像も良かったです。不空羂索観音菩薩立像も立派でした。
次の蚕の社は以前に来たことがあります、木嶋神社です、三本鳥居が有名です。
次の天塚古墳は初めてです、6世紀前半の築造だそうで、石室内に入れます。
石室は他に2基あるとも云われています。古墳の上部の山まで登れますし、周囲も回れます。
帰り道の途中に清水山古墳の碑だけあります。戦後のどさくさに壊せれてしまったそうです。
歴史認識の強い京都でさえそうですから、全国の他の都市では推して知るべしでしょうね。
今は何処もしっかり保存しています。
小生今回が初参加でもあり、帰りの反省会にも参加して帰りました。
コース 約6km 時間
阪急嵐山駅 - 葛野大堰 - 車折神社 - 齋宮神社 - ガスト(昼食) - 帷子の辻 - (大映通り) -
10:45 10:55 11:20-30 11:40 11:55-12:45 12:50
大魔神 - 蛇塚古墳 - 広隆寺 - 蚕の社 - 天塚古墳 - 地下鉄天神川駅
12:55 13:05-15 13:30-14:10 14:20-30 14:50-15:05 15:20