唐津・虹の松原ツーデー・ウオーク 平成26年3月22日(土)・23日(日)
やっと念願の唐津のツーデーへの参加です。
今年はうまく前日の21日が祭日で休みになっていますので、前日から参加出来ます。
天気予報もまずまずです。
前日から唐津に入ります、先ずは唐津城に登ります。虹の松原も一望です。立派な海岸線です。
この松林、17世紀初め唐津藩主寺沢広高が松を植樹させたのが始まりと云われています。
よく今まで保存出来ています、大概の海岸線はどこも皆高度成長の時代埋め立てられてしまって、
あまり残っていません。
大阪堺の臨海工業地帯もきれいな海岸だったと聞きますが、今は現状の通りです。
この唐津も保存出来ていたと云うよりも、高度成長の波に乗り損ねてしまったと云うことが本音でしょうか。
また、ここ唐津は、縄文から弥生の卑弥呼の時代には、末蘆国として、当時の先進文明地帯だったのです。
当時の末蘆国の大王のものではないか言われている、久里双水古墳と云う立派な前方後円墳があります。
初日は40kmコースとします。
いきなり、89才のオジサンの檄(ゲキ)でスタートです。元気な人はどこにでもいるものです。
久里双水古墳から医王寺、そして見帰りの滝へ。医王寺でまたビックリです、
秀吉の朝鮮出兵もここでは事実そのままです。そのときこの地で病没した北条氏房の供養塔があります。
「見帰りの滝」は見上げる程の立派な滝でした。あと天徳の丘運動公園で昼食休憩です。
次は幡随院長兵衛の出生地だとか、あちこち表示されています。江戸時代「強きをくじき、弱きを助ける」
男の中の男と云われた町奴の頭領です。「生は一代、名は末代」、人たる者、生を受けてこの世にある限り、
こう生きたいものです。今の世には合いませんかね。
小生の方は、このあとも只管歩きます、せんないことです。なに歩くのは苦痛にはなりません。
じっくり歩けばいいだけです、何時までと云うわけでもないし、難しいことではありません。
こんな気楽なことはありません。いろんなものを見ながら、楽しく歩けばいいのです。快適な一日です。
前日
初日
コース 40km 時間
松浦川運動公園(スタート) - 久里双水古墳 - 医王寺 - 見帰りの滝 - 天徳の丘運動公園(昼食) -
7:20 8:15-20 9:05 10:05-10 11:30-35
岸岳ふれあい館 - 松浦川へ - 松浦川運動公園(ゴール)
12:55-13:00 14:20 15:10
二日目
松浦川沿いの堰堤を歩きます、朝陽を浴びてつくしんぼうが光っています。菜の花の揺れる堤防にはホトケノザです。
大きく迂回してから「鏡山」に登ります。この地では佐用姫伝説が有名で山頂には、佐用姫の像が立てられています。
鏡山は領巾振り山ともいいます。
※ 佐用姫伝説について (竹取物語、羽衣伝説とともに日本三大悲恋と云われるそうです)
537年朝廷の命令で朝鮮半島の新羅に出兵する大伴狭手彦と松浦の長者の娘佐用姫は恋仲となったが、
ついに出征のため別れる日が訪れた。佐用姫は鏡山の頂上から領巾(ひれ)を振りながら見送ったが、
耐えられなくなって船で呼子まで行き、加部島で七日七晩泣きはらした末に石になってしまったそうです。
山から下って野田の湯で小休止さらに東へ廻ってから海岸線を目指します。浜玉町はミカンのハウス栽培が
目立ちます。よく分かりませんね。
ミカンをワザワザハウス栽培するのです、そういえば途中の傾斜地ではハウスにはしていませんでしたが、
残念なことに栽培放棄されたミカン園がいくつかありました。
やっと海岸線です。途中でスタッフに聞かれます、ほう大阪からですか、選挙はいきましたか。
当方大阪市内ではありませんと答えましたが、ここまで、大阪都構想は聞こえているようです。
海岸線の砂浜は長いです、ですが以外ときれいでした。途中からは松林の中を歩きます。
これも長かったですが、きれいでしたね。ゴミが散乱している都市近郊の海岸とは違います。
この松林見るところ樹齢が数百年と云うものは少ないようです、きっと枯れては何代も代替わりしています。
と云うことはそれに応じて手入れがなされて来ていると云うこと、よく保存しています。それが立派ですね。
今日も昨日に続く長距離でしたが、天候にも恵まれ快適な二日間でした。
コース 31km 時間
松浦川運動公園(スタート) - (松浦川沿い) - 鏡山登山口 - さよひめ桜 - 鏡山山頂 -
8:00 8:55 9:30-50
野田の湯(昼食) - 農村環境改善センター - 浜崎 - 海岸砂浜へ - 海岸の松林へ - 松浦川運動公園(ゴール)
11:15-20 12:40 12:50 13:15 14:00