下関歴史ウオーク 平成24年11月17日(土)・18日(日)
維新の高杉晋作の功山寺を見たくて参加しました。
司馬遼太郎の言によれば、明治維新はこの下関の功山寺決起に始まると云います。
あの農民に武器を持たせた奇兵隊です。この毛利藩の若造が藩政を動かし、日本をも動かした最初の行動が、
この功山寺での挙兵だったのです。
この功山寺は敷地も広く境内の広いお寺で、長府毛利氏の菩提寺です。だから高杉晋作はここで挙兵をしたようです。
それに今は金堂は国宝となっています。築700年です。
この金堂、欄間が凄いです、風を通すため、S字の弓形を繰り返しているのですが、
真横から見てもS字の弓形に曲がっています。700年前の大工さんの造形感覚の凄さです、
道具も満足なものがあったとも思えない時代に、ましてこの都から遠い山口の地にいる大工さんの技量でなした
ことと思うとなお更です。もともと日本人は造形感覚に優れていたのでしょうね。全国にその優れた大工さんが沢山いたと
云うことです。
今回は大阪から夜行バスで小倉まで行って下関に戻ります。
早朝到着のため、朝早く出発の36kmの東流れコースへの参加とします。
下関運動公園から新垢田へ、垢田の辻から中山神社、考古博物館のある古墳から、住吉神社そして功山寺のある一角に、
その入り口は道からして違います写真を見て下さい、ゆっくり功山寺を見学します、その挙兵は12月と云うことですから、
今のような紅葉は散ってしまっているでしょうし、寒い北風の中、着るものも満足なものを着ていたとも思えず、晋作の呼びかけに
ただ藩を守ろうと皆集まって来たのですから、それまで長府毛利氏の善政があったからでしょうね。しばし、晋作の声と姿を想像します。
あとは、壇ノ浦の合戦の平家側の死者を弔った平家塚へ、次に関門海峡大橋が見えるとゴールの唐戸水親緑地はもうもうすぐだと
早合点しましたが、大違でした。
関門海峡大橋側から関門人道トンネルで九州の門司側へ一寸上陸してめかり駅へ、そして戻ります。そのあと、やっと唐戸親水緑地
のゴールです。
初日
コース 36km 時間
唐戸親水緑地(スタート) − 新垢田北公園 − 中山神社 − 考古学博物館 − 住吉神社 −
7:35 9:00 9:50 10:05-10 11:20
忌宮神社 − 功山寺 − 平家塚 − 関門人道に入る − 門司側関門めかり駅 − 関門人道を出る −
12:45 12:55-13:10 13:35 14:10 14:35 14:55
唐戸親水緑地(ゴール)
15:10
皆と10分遅れで | 新垢田 | 中山神社 | 博物館遺跡再現 | 住吉神社 |
住吉神社の大楠 | 忌宮神社 | 功山寺への通り | 功山寺 | 功山寺金堂の欄間 |
功山寺の高杉晋作 | 平家塚 | 地下50m関門人道 | 義経と平知盛 | 安徳天皇入水 |
赤間神社 |
二日目、これも大失敗しました、小倉から門司への電車は6時26分・34分のあとにもすぐにあると思った電車は、次は7時11分です。
これでは、唐戸親水緑地7時30分スタートには間に合いません。仕方ありません、自分のチェック不足です。
あきらめて今日は20kmとします。時間があるので、付近をウロウロしてからスタート地点へ急ぎます。
ところが、奇なことのあるものです、昨日一緒だった熊本の方も今日は20kmとしていましたし、
それに、今年9月洞爺湖でお逢いした北海道の方とも偶然逢います。オマケに青森の方にもお会いしましたし、
88歳から2度目の日本一周を目指しているオジサンにも会えました。パワーを貰いました。全くありがたいことです。
今日この20kmコースに参加していなければ逢えない人ばかりです。なにが幸いするかわかりませんね。
こちらは88までにはまだ時間は沢山あります、あせらずにゆっくりと頑張りましょう。
今日も高杉晋作から始まります、先ず日和山公園へ、ここには海峡を見下ろす高杉晋作の銅像があります。
次は高杉晋作終焉の地です。27歳8ヶ月でした、若いです。
あと、その晋作を支えた問屋の白石正一郎の宅跡です。一介の商人ながら、よくぞ毛利藩を支えたと思います。
次は彦島の方の好意により、その方の畑から巌流島を見せて貰いました、あとゴールは唐戸親水緑地です。
二日目
コース 20km 時間
唐戸親水緑地(スタート) − 日和山公園 − 厳島神社 − 高杉晋作終焉の地 − 白石正一郎宅跡 −
8:55 9:35 9:50 10:15 10:20
水門 − 彦島南公園 − 巌流島を望む − 関彦(かんげき)橋 − 海峡ゆめ広場 − 唐戸親水緑地(ゴール)
10:45 11:55 12:20 13:10 13:35