燃えよ剣 新選組ウオーク               平成24年2月19日(日)





定刻、梅小路公園からスタートします。

河原町通りへ出て北上です、鴨川を三条の手前で西へ、海援隊京都拠点の「酢屋」を見て「池田屋」へ、尊皇攘夷の

浪士20名以上いると言うところへ近藤ら数名で斬りこみ、あとで仲間が追いついて来たとは言え大した度胸です。

当時の武士は皆命がけだったんですね。これが時代を動かす原動力だったようです。

あと、佐i久間像山・大村益次郎の遭難の地跡を見て、岡崎公園で列詰め休憩です。

ここでこんな石碑を見つけました、「そなえよ つねに」です、ボーイスカウトのモットーです。なぜここに不思議です。

分かりました、ボーイスカウト京都支部80周年を記念して建立したのだそうです。

ちなみに日本のボーイスカウト初代総長後藤新平は「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、

そして酬いを求めぬよう」と皆に云ったそうです。今の日本人全員に聞いて貰いたいですね、

当方自身もそうありたいものと思っています。

京都御苑の西の休憩所前で昼食とします、ここで「センダン」の木を見つけました。

先日宝塚でムクロジと思ったのはセンダンだったようです。といっても「栴檀は双葉より香し」の栴檀とは違うようです。

いつもの語り部は今日はここで行われました。

そばは蛤御門です、幕末元治元年(1864年)8月尊王攘夷の長州藩が、京都守護職・会津藩主松平容保の排除を

目指して挙兵したことによる禁門の変です、明治維新の3年前のことです。長州藩はこのあと幕府に征伐戦を

仕掛けられ敗れています。

二条城を過ぎて神泉苑へ、ここは平安遷都と同時期に造営された神苑で、824年西寺の守敏と東寺の空海が祈雨の

法を競い空海が勝ったとの記録があるそうです。つぎの武信稲荷神社・六角獄舎跡の龍馬とお龍の話は以前に書きました。

新選組の墓所となっている「光縁寺」、逆さづりの拷問の行われた「旧前川屋敷」、「八木邸(壬生屯所)」、「壬生寺」

そこから真っ直ぐ南が芹沢鴨のごひいきの「角屋」です、島原大門を出た先の西本願寺も新選組の屯所となっていたとか。

最後の京都駅手前で新選組最後の洛中屋敷跡の碑を見て、ゴールです。


コース        18km     時間


梅小路公園(スタート) − 鴨川へ − 「酢屋」前 − 「池田屋」前 − 岡崎公園 − 御所入口へ −  
  9:20             10:20      10:30       10:35      11:00-10     11:45       

御所西休憩所前(昼食) −二条城横 − 神泉苑前 − 三条中央公園 − 光縁寺 − 旧前川邸 − 壬生寺 −  
  11:55-12:45         13:25     13:30       13:30-40      14:05     14:10      14:15     

「角屋」前 − 島原大門 −本願寺前 − 新選組最後の洛中屋敷跡 − 京都駅(ゴール)
 14:30       14:35     14:40        14:50               14:55    


梅小路公園

酢屋
池田屋
わたのような雪

鴨川

そなえよ つねに

御所

二条城

神泉苑

三条は野口さん

光縁寺

旧前川邸
新選組説明
壬生寺
角屋

島原大門

西本願寺太鼓楼

新選組碑