熊野街道とアジサイコース 平成22年6月27日(日)
久しぶりの毎日ウオーク参加です。
どうもここ数回はタイミングが合わず、他の予定とガチあって不参加となっていました。
定刻JR日根野駅へ、今回は泉南のアジサイコースです。過去の記録を見ると5年前に同じコースを歩いています。
さすがの毎日ウオークさんです、今日も晴天です、また日焼けします。
先ずは蟻通神社へ、ここである大先生の特別講義です。蟻通神社の由来です。
「棄老」の習慣(姨捨の習慣)のある国の王様がある時、外国の王に難問を出され、解けねば国の存続が危うくなります、
困り果てて国民に誰か解けるものはいないかと問いかけます。玉の七曲の穴に糸を通す方法はとの問いです。
孝行息子が「棄老」に違反して、隠して住まわせていた老いた母に教えられたとおり、答えます。
大変誉められて、褒美に欲しいものをあげようと言われ、棄老の習慣の廃止を願い出ます。
それでそれ以降老人を大事にする国になったとか、日本もそうなって欲しいですね。私としては。
その方法が蟻に糸をつけて這わせて通すことだったことから、蟻通神社と。
それと、謡曲「蟻通」の紀貫之の話。紀貫之がここを通りかかったところ、馬が倒れて冠は池に落ちました。
ここに蟻通神社があるのに馬に乗ったまま通り過ぎようとしたから、神の祟りだ聞かされた紀貫之は、「かき曇り
あやめも知らぬ 大空にありとほしとはおもうべしやは」(ここの蟻通神社があるとは知りませんでした)の意です。
と詠み奉納したところ、たちまち馬も元気になったという謡曲の舞台となった場所です。
ただし、ここは元の場所から移転をしているとのことです。ちなみに蟻通神社は他所にもあるそうです。
あとは、熊野街道の籾井王子跡、樫井の大阪夏の陣の古戦場跡、そのときの塙団右衛門(ばんだんえもん)の墓もあります。
この人豪傑でしたが少し出しゃばりだったようで、己の先陣争いのため、味方の陣形が整う前に戦端が開かれ、
そのため豊臣方の大敗北となり、ここで大阪夏の陣で豊臣方は2万とも4万ともいわれる死者を出したとか。
厩戸王子跡から、聖徳太子が建てた海会寺(法隆寺と同じ様式で7世紀中ごろの寺)の跡にある一岡神社へ、
熊野街道の信達本陣跡を見てアジサイ満開の長慶寺、信達王子跡から泉南で有名な藤、一本の幹から3万5千以上
の房をつけるとのことで、シーズンには4万から5万人が訪れるところとのこと、前回も今回も藤はとっくに終わっていました。
後、岡中の大楠、根元幹周り12メートルとかで、でかい木です、そしてJR和泉鳥取駅がゴールです。
JR和泉鳥取駅の近くにも「----王子跡」の碑がありました。熊野街道から熊野古道には熊野詣の九十九王子があったとか、
その跡が今回の各王子の跡です。
ムシ暑い一日でしたので、減量にはなったのですが、後での補充の量が多く翌日には元に戻っていました。
コース 15km 時間
JR日根野駅(スタート) − 蟻通神社 − 塙団右衛門の墓 − 籾井王子跡 − 淡輪六郎の墓 − 樫井の古戦場 −
9:45 10:15-40 11:00 11:05-10 11:15 11:25
厩戸王子跡 − 一岡神社(海会寺跡)(昼食) − 信達宿本陣 − 長慶寺 − 藤の木 − 岡中の大楠 − JR和泉鳥取(ゴール)
11:45 11:50-12:40 13:00 13:05-20 13:30 14:05-10 14:35