堺国際ツーデーマーチ                平成22年5月29日(土)・30日(日)









近畿マーチングリーグのひとつで、長浜ツーデーに続くウオーキングマーチです。

初日は20kmとします、朝が早すぎて40kmはパスです。

南宗寺、利休井は知っていますが、サッカーのナショナルセンターは初めてです、立派なトレーニング場です、

堺市はそんなに財政豊かとは思いませんでしたが、以前埋め立てして売却していた土地を大阪ガスから借り受けたのだそうです。

でも交通の便で長居公園に負ける以上将来性は少ないですね、新交通システムもうまく計画どうりとなっていないようですから、

もっと大変です。

例によって鉄砲鍛冶屋敷や山口家住宅の家の前では、皆ほとんど止まりません。皆必死で歩いている感じです。

そう今回いい企画をしていました、南宗寺・千利休屋敷跡・河口慧海碑・鉄砲鍛冶屋敷・山口家住宅・妙国寺では観光ボランティア

の方が話をしてくれていました。皆きいて下さいよ、そう下を向いて前を追いかけて歩くのでは、堺に来た甲斐が無いでしょうに。

それでは日本全国どこを歩いていても同じですよ、自分の家の周りでも歩いていれば金もかからずもっと効率的ですよ。

と思うのは私だけなのでしょうか。

もののはじまり皆堺といいます、線香、三味線、堺更紗、銀座、千家、謡曲、煙草包丁、堺緞通、木造様式灯台、自転車、私鉄、紙箱、

スコップとシャベル、チベット探検者、機械縫製足袋、セルロイド工場、足踏み脱穀機、学生相撲、まだ他にもありますよ。



第1日目    20km    

大仙公園(スタート) − 南宗寺 − 利休井跡 − 月洲神社 − サッカーナショナルセンター − 大和川橋南詰 − 
   8:05          8:35-40     8:55       9:30        10:10-15             11:00                   


鉄砲鍛冶屋敷 − 山口家住宅  − 本願寺別院 − 方違神社 − 反正天皇陵 −紅谷庵 − 天王水道 −  
  11:15         11:25        11:30        11:45      11:50      12:00     12:00        


大仙公園(ゴール) 
  12:25


スタートですが、デジカメを設定間違いしてシャッター音を消してしまい、
シャッターを押しても音なしの頼りない中、一日を過ごしました。
南宗寺でした、ここには千利休一族の方の供養塔があります。また家康公終焉の地
の碑もあります(関西財界人による)。
本堂の天井には狩野何某の八方睨みの龍の墨絵があります。
ここは千利休の屋敷跡で、今井戸だけあります、いつもは中に入れないのですが。
月洲神社です、堺で最大の楠木があるとか。
堺サッカーナショナルトレーニングセンターです、立派です。
対岸に見えるのはシャープさんの工場です。
ナショナルトレーニングセンターは歩道も立派です。
長居公園に並ぶ施設とのことですが、交通の便が長居には絶対勝てません。
大和川の堺側の土手の上の歩道を上流へ、長い堤防道です。
鉄砲鍛冶屋敷です、観光ボランティアの話を聞いているのは数人だけ、
皆何かにとりつかれたように歩き去ります。
築400年の山口家住宅
妙国寺では土佐藩士の悲劇がありました、フランスに追及された明治新政府は
警備担当の土佐藩士の中から紙縒りのくじ引きで切腹者を決めここでフランス側
立会いの下切腹が行われたといいます、あまりの惨状に途中でフランス側が居たたまれず席を立ったため11人の切腹で終わったと云われています。(堺事件です)
墓は隣の今幼稚園の宝殊院にフランス兵の供養塔と共にあります。
敷地の大ソテツは信長公に夜な夜な堺に帰りたいと訴えて、ついに返されたとか。
本願寺別院、ここは明治時代堺県の時代の県庁となっていたところです。
方違神社です、歴史は古く神功皇后さんの時代からです。
平安時代となって方位が占われるようになって盛んになったようです。
天皇貯水池、明治43年から50年間水道に使われたとか。


初日は早く終わりましたので、二日目は一寸頑張って35kmとしました。

スタート時間には遅れましたが、初日のような受付けもありませんので、着いてそのままスタートします。

先ずは浜寺公園へ、スタートが遅れていますので、一行には追いつけません。やっと大鳥大社で数人に追いつきます。

荒山公園は梅の季節に一度きて大混雑だったことを覚えています、ここでも数人を追い越します。

泉北は緑地が多いです、荒山公園から大蓮公園までずっと緑地道です、その後も槙塚公園、かもしか公園、天野街道と

緑地道が続きます。西高野街道となって民家の中の道となります、この西高野街道は延々と直線です。

このまま白鷺公園まで続きます、ここで小休止の後、府立大学前の道で間違ってしまって直進しすぎぎに気づいて、

数人の間違った人とともに土地の人に聞いて引き返します、あと、百舌八幡神社、そして御廊古墳を経由していたすけ古墳へ、

いたすけ古墳で「たぬきくん」のお出迎えを受けた後、スタートの大仙公園でゴールです。


第2日目     35km

大仙公園(スタート)  − 浜寺公園 − 大鳥大社 − 荒山公園 − (泉北緑地) − 大蓮公園 − 槙塚公園 −
  7:15            8:10-20      8:40     9:45-50                         10:30-35   

天野街道合流 − (天野街道) − (西高野街道) − 福田信号交差点 − 白鷺公園 − ニサンザイ古墳 −
  11:00                                  11:50       12:25-30        12:55     

百舌八幡神社 − 御廓山古墳 − いたすけ古墳 − 大仙公園(ゴール)
  13:05-10      13:20        13:25         13:35                       

浜寺公園は今も松が元気です、明治時代にこの松に伐採の危機があったのです、この伐採の話を聞いた大久保利通公が、百人一首の「音にきく高師の浜のあだ波はかけじや袖の濡れもこそすれ」をもじり「音にきく高師の浜の浜松
も世のあだ波はのがれざりけり」と時の堺県令に忠告、直ちに中止されたと。
浜寺公園駅です、木造の明治時代の珍しい駅舎です。
設計者は東京駅設計者と同じ人とか
大鳥大社、日本武尊が伊勢で亡くなった後、魂が白鳥となってこの地に
降り立ったことからとのこと。
泉北の緑地道です、ずっとこんな道が天野街道との合流点まで続きます
天野街道も緑地道です。
天野街道からは西高野街道へ
ニサンザイ古墳です
百舌八幡神社です、見えるのが樹齢800年の大楠です
御廓山古墳
いたすけ古墳にいた「たぬきくん」です