坂本龍馬シリーズ B 平成22年4月11日(日)
坂本龍馬暗殺事件
京都府ウオーキング協会主催の坂本龍馬シリーズ第3回で、第1回は2月の船宿寺田屋 第2回は3月のお龍と龍馬でした。
今回の暗殺事件で、この龍馬シリーズ3回は終わりです。
京都に於ける龍馬の足跡は歩きました。それにしても、狭い地域の中で追われながら、よく見つからず活動を続けたものです。
結局は暗殺されてしまいましたが、以下転載されていた「TAKEの京都散策案内」から抜粋しますので、その下手人の謎をご一読下さい。
現場 慶応3年11月15日 醤油商近江屋2階で龍馬、中岡とともに襲われる、龍馬はほぼ即死、中岡は2日後に絶命。
(江戸幕府の大政奉還は慶応3年12月9日)
1、新撰組隊士説
暗殺現場に残っていた刀と下駄、刀の鞘は元新撰組隊士が新撰組のものと証言、下駄は新撰組の出入りする瓢亭のもの。
2、幕府見回り隊士説
明治となってから、幕府の新撰組とは別の警察組織見回り隊士の二人から暗殺をしたと告白があり、具体的に供述がある。
3、薩摩藩説、黒幕は西郷?大久保?
徳川将軍が大政奉還をした同じ日に薩長は倒幕の密勅を得た、ここへ来て龍馬は倒幕しても徳川家は残す立場に転じたから、
薩長にとっては龍馬は裏切り者、政敵となった。
4、龍馬が死んで利益を得る人物、後藤象二郎
龍馬から聞いた「船中八策」を土佐藩前藩主に提言し、土佐から幕府に建白、これにより大政奉還が実現。土佐では150石から
1500石の土佐藩参政ポストに出世、ただ後藤象二郎は大政奉還が龍馬の提案であることを誰にも語っていない。
中岡が襲撃者から聞いたと言う「こなくそ」は四国地方の方言であることから土佐出身者ではないか。
今回コースは前2回で歩いたところをもう一度歩く感じでした。
コース 12km 時間
京都梅小路公園(スタート) − 西本願寺国宝唐門 − 三十三間堂横 − 五条坂 − 霊山護国神社 −
9:45-10:15 10:30 11:00
11:35
高台寺公園(昼食) − 円山公園 − 八坂神社 − 四条 − 土佐藩邸跡 − 酢屋 − 池田屋騒動跡 −木戸考允邸跡 −
11:40-55 12:10 12:15 12:30
12:35 12:40 12:50
京都市役所横 − 本能寺 − 近江屋(遭難の碑) − 阪急河原町駅(ゴール)
12:55 13:05 13:10 13:15