信楽街道 家康伊賀越えの道               平成21年9月5日(土)





1582年6月2日、信長の本能寺の変の時、家康は堺にいました。

急遽三河へ向います、でも本道は帰れません、そこでこの宇治田原(うじたわら)町を通って伊賀へ抜けたとされています。

今日はその道の一部を歩きます。

1800(イチハチマルマル)全市町村ウオーク、全国の全市町村1800をこの2年半の内に歩こうと云うことのようです、

この9月、全国最初のウオークが、ここ京都府の第1回目ウオークの宇治田原町です。

京阪宇治駅からバスで20分、出発地点の宇治田原町の総合文化センターに集まります。

町長さんの挨拶があり、家康の伊賀越えの説明を聞いた後、いつものように体操をしてスタートします。

宇治田原町は、近年工業団地を誘致して人口も一万人を超えています。元気な町長さんです。

郷の口の山口城跡へ、家康伊賀越えの道ですが、城ではなく居宅であったところとか、平地で案内板以外今はなにもありません。

贄田(ねだ)と云う変った地名のところを通って立川区公民館で小休止します、ここのトイレは靴を脱がねば入れません。

町指定の史跡「信西入道塚」へ、平安末期の学者で僧侶の信西(しんぜい)入道、俗名藤原通憲(ふじわらみちのり)、

少納言にもなった人で、平清盛の熊野詣でのさ中、平治の乱が起り、源氏方に追われてここで亡くなった云われる人で、

近くに首洗池があるとか。平家に味方したせいでしょうか、あまり有名な話にはなっていません。

この先、家康伊賀越え道といわれる山道を湯屋谷(ゆやだに)へ、家康はここで伊賀から迎えの者(伊賀忍者)と奥山田から信楽へ

逃れたとか、吾々はそこから煎茶の発明者、永谷宗円生家へ、この宗円の煎茶を引き受けて販売したのは、今の海苔の山本山さんとか、

そしてこの宗円の子孫の一人が永谷園の創始者とのことです。それにしても、ここは随分と山の奥です。

ここでゆっくり昼食をして、冷茶を頂き木陰で小休止します。煎茶の製法をビデオで紹介しています。九州の田舎で見聞きしたのと同じです。

昼食後はまた、湯屋谷へ戻って、岩山地区を経てスタート地点の総合文化センターがゴールです。

バスで京阪宇治駅まで送って貰いました。

9月とは云え快晴の炎天下、途中でうずくまる人もいました。本日参加者 235名。



コース    14km    時間

京阪「宇治」駅 =(バス)= 宇治田原文化センター(スタート) − 山口城跡 − 立川区民公民館 − 湯屋谷会館 −
  8:55-9:20            9:45-10:25                            11:10-25        12:15       

永谷宗円生家(昼食) ー 宇治田原文化センター(ゴール) =(バス)= 京阪「宇治」駅 
  12:25-13:15         14:15-45                         15:15    


京阪「宇治」駅でバスを待ちます
宇治田原町 総合文化センター ここからスタートです
山口城跡、ここから家康の伊賀越えが始まります
250名の列です
茶畑は平地でなく、傾斜地です
立川区公民館
長い列(1)
長い列(2)
大道寺
信西入道碑
茶畑は傾斜地です
永谷宗円の生家
永谷園はここの係累の人です
田舎です
湯屋谷の分岐点
長い列(3)
スタート・ゴールの文化センター