国栖奏を学ぶ                     令和2年2月7日(金)






好奇心だけで、参加しました。

以前古代史を勉強中に聞いた一言が気になって、自分で実際を見学したくて参加です。

日本書紀の応神天皇の条でのことです、吉野へ行幸した折に、國栖の人が舞を舞って歓待

したことが元になって、宮中で度々「国栖奏」を舞ったそうです。

今回初めて実際を見ることが出来ました。

場所は吉野村の「浄見原神社」です、吉野川岸の岩陰に造られた拝殿で見学しました。

本殿には上がれませんでしたが、本殿は小さな神社で、前に神官が座ると一杯になる

くらいの狭さのようです。

通常は下の拝殿から拝するようです。そこを舞殿として私たちの20名位の外村人が見学、

観客は総勢7~80名くらいではなかったかと思われます。

その拝殿も一方は吉野川の崖となって奥は本殿方向ですので、二方向からの見学

となります、それも小生は頭越の見学でした。

それでも、約1時間見学できたのはよかったです。

私の感想ですが、元々この社は縄文時代頃から地元の人たちの祈りの場所だったのでは、

と思いました。その磐座が信仰の場所とされて現在に至っているのではないでしょうか。

地元の人の意見もこの神社は大昔から場所は変わっていないと思うとのことです。

謡も踊りも特に変わったものではないようですが、素朴な感じがしました。

こんなところまで、応神天皇が来てご覧になられたと云うのが凄いことだと思いました。

また、昔聞いたある先生の言葉が思い出されます。「今の人は都が文化進んでいて、

鄙は遅れていると思っているが、大昔から各地の先進文化が都に集まっていたわけではなく、

都と云えども文化が進んでいたとは限らない、特に当時の最新科学は渡来人が保有していたので、

その人たちから都の人も教えて貰っていたのですよ」と云っていました。

なにでも自分の先入観で考えては駄目ですね。

当日は大和上市からバスで国栖まで移動、朝日カルチャーの企画イベントでした。

青谷寺で、昼食を頂いての見学でした、寒かったですが天気も良くラッキーでした。

今年一年はいいことがあるでしょう。

こんな写真だけでごめん

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