コラム

塾長によるコラムです。
ただ今は「いじめは無くすものではなく、解決するもの」シリーズをお届けしています。

 ◇「いじめは無くすものではなく、解決するもの」シリーズ
●第1回「いじめって何?」2007.01

●第2回「いじめをするなって言っても」2007.02

●第3回「いじめは解決するもの」2007.03

 ◇「成長する子ども、成長しない大人」シリーズ
●第1回「成長を求める子ども」2006.10

●第2回「子どもを説得させられない大人」2006.11

●第3回「親の甘茶が毒となる」2006.12

 ◇「英語学習」シリーズ
●第1回「習慣化の学習」2006.6

●第2回「国語力の充実」2006.7

●第3回「役に立つ英語へ」2006.8

 ◇「学習論」シリーズ
●第1回「基礎が大事」 2006.3

●第2回「問題を解くときの意識付けが大切」 2006.4

●第3回「目的を明確にする」 2006.5

 ◇「保護者の役割」シリーズ
…保護者の方に担ってもらいたいと、蒼翔塾が考えている役割について
●第1回「学習環境を整える」 2005.12

●第2回「生活リズムを整える」 2006.1

●第3回「しつけ」 2006.2

 ◇「成績の上がりやすい生徒」シリーズ
 …成績の上がりやすい生徒の特徴について。全3回

●第1回「人の話を素直に聞いて、理解できる子」 2005.9

●第2回「向上心を持った子」 2005.10

●第3回「目標を掲げた子」 2005.11


コラム 第1回 「人の話を素直に聞いて、理解できる子」

 成績が上がりやすい塾生の1つの典型として、「人の話を素直に聞いて、理解できる子」というのがあります。

「人の話を素直に聞いて、理解できる子」とは、具体的にどのような子なのかというと、「塾が示す学習方法をとりあえずしっかりとやってみる」ことができる子のことです。
 例えば、塾に入ろうと考える場合、今までの勉強のやり方では成績が伸びなかったり、自分の中で勉強の方法が分からずに何をしていいのか迷っていて成績が下がってしまったりと、「これまでの学習方法では成績が上がらない」という状況であることが一般的です。
そこで、蒼翔塾で今までとは異なった学習方法を指導してもらって成績を上げたいと考えて、生徒は入塾すると思います。
 しかし、入塾したばかりの生徒は、蒼翔塾で指導してもらった学習方法で成績を上げたいと期待していると同時に、本当に成績が上がるのかどうか不安にも感じているはずです。実際に、指導された通りに学習をして成績が上がるまでは、たとえ周囲の友達が成績を上げていても、自分も同じように成績が上がるだろうかと考えてしまいがちです。

 蒼翔塾では、そういった塾生の不安を取り除くためにも、指導する学習方法の意味や目的をきちんと説明して指導を行っています。この塾からの説明の部分で、「人の話を素直に聞いて、理解できる子」かどうかが判断できます。

 人の話を素直に聞いて、理解できる子の場合、今までのやり方では成績が上がっていないし、講師の説明も正しいように思えるので、とりあえず塾の指導どおりに勉強してみようと素直に考えます。そして、実際に指導通りに一生懸命に勉強をしていると、自分に実力が付いてくるのが実感できて、その勉強方法の正しさを理解するようになります。そして、学校での定期テストなどを受けた時に、はっきりと成績上昇が確認できて、ますますやる気になり、自信を持つようになります。

 逆に、人の話を素直に聞けない場合は、塾で示した指導方法を聞いても、自分にあっているのかどうか分からない、もしくは自分にはもともと力が無いから何をやってもダメと、表面上はともかく、心の中でこのように考えてしまっている事が少なくありません。こういった気持ちのままですと、同じように勉強をしているつもりでも、真剣さが違いますし、集中力も違うので、実力がなかなか身につきません。そして、そういう状況で定期テストを受けると、思った程の結果が出せません。そして、こういった生徒は、自分自身がまずは反省してみて、新しい勉強方法で真剣にやるというった道を選ばなかった事が、成績が思うように上がらない一番の原因であると理解できずに、自分と塾は合わないだとか、自分自身はもともと勉強なんてできないんだと、考えてしまって、ますます成績が上がる道から遠ざかってしまいます。

 蒼翔塾では、後者の状況に陥いらないように塾生には指導していますが、塾に入る以前に、すでにこのような状況に陥っている場合には、その状況から塾生を脱出させる所から指導を始めなければならないため、指導から結果が出るまでに時間がかかってしまいます。

 「人の話を素直に聞いて、理解できる子」とは、「しっかりと反省できる子」とも言えると思います。誰しもが失敗の中から学ぶことで成長していきます。これが勉強面で活かされると成績が上がっていくのだと思います。

 さて、成績が上がりやすい生徒の典型の1つを説明しましたが、保護者の方の中には、どのようにすれば「人の話を素直に聞いて、理解できる子」に育てられるのだろうかと疑問をお持ちになる方もいると思います。様々な要因が、お子様の成長に影響するので、これだけが要因だと決め付ける訳には行かないのですが、人の話を素直に聞けるかどうかは、保護者の方の「子供の叱り方」が大きく影響してくると思います。
 そこで、人の話を素直に聞いて、理解できる子に育てるための良い叱り方と悪い叱り方について説明したいと思います。  

悪い叱り方とは、子供に対して理由を説明せずに、「ダメなものはダメ」とだけ叱る行為です。もちろん、してはいけない事をしたのですから、時には厳しく注意する必要もありますが、その場合であっても理由を説明しないのは悪い叱り方だと言えます。良い叱り方とは、なぜその行為をしてはいけないのかをきちんと説明しながら叱る行為です。

 要するに、叱る理由をきちんと説明するか、しないかという点が大切です。

 説明をあまりされずに叱られてきた子供は、単に上から押さえつけられることによって、自分のしてはいけない行為というのを学んでいきます。それに対して、説明をされながら叱られてきた子供は、なぜしてはいけないのかを自らが考えながら、してはいけない行為について学んでいきます。
 この両方の環境で成長した子供が、塾へ来て、勉強しようとすると、次のような状況になります。宿題をする目的を説明しながら、宿題をするように塾から指示を出したとします。説明を受けずに叱られてきた子供は、実際に宿題をせずにいて、塾の講師から叱られて始めて宿題をしなければ叱られてしまう。だから、宿題をしようという考え方に陥りやすくなります。一方、説明を受けて叱られてきた子供は、なぜ宿題をしなければならないのかという説明を聞いていますので、宿題をすることの意味を理解して、きちんと実行してくるようになります。  つまり、説明を受けながら叱られてきた子供というのは、知らず知らずのうちに、しっかりとした判断力が身につくようになるのです。そして、その判断力が、「人の話を素直に聞いて、理解できる子」へとつながっていきます。

 今回のコラムで、私が訴えたいことは次の2点です。
「人の話を素直に聞いて、理解できる子」は成績が上がりやすい。
「人の話を素直に聞いて、理解できる子」に育てるためには、「なぜ、叱られるのかと言う理由を説明しながら叱る」ようにする。

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コラム 第2回 「向上心のある子」

 成績が上がりやすい塾生の1つの典型として、「向上心を持った子」というのがあります。

向上心とは「良い点数が取りたい、成績を上げたい。」という気持ちになっている子のことです。全ての生徒が少なからずこういった気持ちを持っているのだから、全ての生徒の成績が上がるのではないかと、指摘する方もいるかもしれませんが、ここではっきりと認識してもらいたいことがあります。

 それは、「良い点数が取れればいいなぁ、成績が上がればいいなぁ。」と「良い点数が取りたい、成績を上げたい。」は異なる気持ちだということです。前者の気持ちは、全ての生徒が持っているもので、全く努力をせずに結果を出したい、努力はしても最小の努力で大きな結果を得たいという気持ちを表した言葉です。後者の気持ちは、最大限に努力をして、ほんの少しでもいいから前進したいという気持ちを表していて、後者の気持ちを私は「向上心」と呼びたいと考えています。

 上記のような定義づけをすれば、「向上心」を持っている生徒はそれほど多くありません。むしろ、塾に入ってきたばかりの生徒は、ほとんどが前者の気持ちを持っていると言っても過言ではありません。塾に入っていれば何とかなるという気持ちを持っているからです。

 蒼翔塾では、前者の気持ちで勉強を始めた塾生に対して、様々な指導の中で、向上心を持ってもらえるように指導をしていきます。個人個人の性格などもあるので、全ての塾生に最適の指導方法というのはありませんが、全ての塾生に対して、明確に伝えていることがあります。

 それは、「努力すれば必ず報われる。」という言葉です。
努力すれば何でも実現できる訳ではないかもしれませんが、努力によって何らかの成果は出ますし、その成果によって必ず報われると伝えます。もっと分かりやすく言えば、勉強をすれば成績の上がる可能性は大きくなるが、勉強しなければ絶対に成績は上がらないという、当たり前の考え方を、塾生に話しています。

 もちろん、話だけでは、効果が薄いので、実際に報われる体験を塾生にさせる指導も必要になりますが、それはまた別のコラムで話したいと思います。

 つまり、「良い点数を取りたい、成績を上げたい」という気持ちの塾生は、そうなりたいがために、手を抜いた勉強ではなく、真剣に勉強をします。そして、それが結果となって必ず現れてきます。

 さて、向上心を持つように自分の子供を育てたいと考えている保護者の方もいらっしゃると思いますので、いくつかの方法を提示したいと思います。万人に通用するとまで、保証することはできませんが、一般的なことなので、多くの場合に適応できると思います。

 まず、基本原則となるのが、「頑張れば必ず報われる」と保護者の方、自らが信じることです。自分自身が信じていないことを、相手に信じさせよとしても通用しませんし、もし、自分で信じていないことを、相手に信じさせようとすれば、嘘を付いていることにもなってしまいます。

 次に、子供に対して課題を与えて、その課題に対する結果を見たときに、必ず褒めてから、注意すべきことを注意するという手順を守ってもらいたいと言うことです。(注意:塾での塾生への指導方法と保護者のお子様への指導方法は、状況だけでなく、子供との関係から考えても、大きく異なります。共通して効果を上げる指導方法もあれば、全く異なる指導方法もありますので、ここで提示した方法を、塾として指導している訳ではない点はご了解ください。)

 子供に対して課題を与えて、何らかの結果が出た時に、全て完璧であることはほとんどありません。その不完全な結果から、何らかの反省点を見出して、さらに頑張ってもらいたいと考えるのが保護者の方の心情だと思います。ですが、頑張ったら報われるという事を体験させるために、結果を出した後に褒められる事が大切になってきます。そして、褒めた後に、この部分をもっと良くすればと、注意を促せば、次の課題に対しても前向きに進むことができるようになります。子供にとって、物ではなく、保護者からの褒め言葉の方が、素晴らしい報酬に感じることは良くあることです。ですから、まずは結果に対する褒め、そして、次の課題への反省という順番での、指導や注意を心がけてもらいたいと思います。

 第3に、競争することの正しさや意味をしっかりと説明することです。行き過ぎた競争は、子供の成長を妨げると良く言われることはありますが、ルールを守っているという条件さえ満たせば、どんな場面でも競争は、子供の成長を促進していき、向上心を育ててくれるものです。良い例が、テストを受けた時のことです。

 テストを受ければ得点が出ます。しかし、その点数が良かったのか、悪かったのかは、平均点や他の生徒の結果と比べてみなければ分かりません。つまり、他人の結果と比べることによってのみ、結果を出した生徒の褒められる部分、反省すべき部分が見えてくるのです。褒められることで向上心が育ち、反省することでさらに成長するのですから、その基準となる競争がなければならないのです。
 競争することについては悪い面がクローズアップされやすいのは、競争がルールを逸脱している場面があるからだと思います。ここで私が主張したいルールとは、それぞれの競争に応じたやり方や評価基準を示すルールではなく、「競争した結果は、競争した内容、競争した範囲に限定して評価する」という根本的なルールです。
 勉強面でこのルールを当てはめると、学校のテストの結果は、各教科の能力を示すだけで、テストを受けた人間の人格まで現している訳ではないということです。もっと分かりやすく言えば、数学のテストで点数が高い子を「できる子」、点数が低い子を「できない子」と評価することが、ルールを逸脱している事になります。

 要するに、数学のテストをやったのですから、「数学ができる、できない」という判断をするのは当然ですが、それを元にして、全般的に良い子、悪い子などという判断をしてはいけないと言うことです。

 このルールは、子供が守るべきと言うよりも、子供を評価しようとする大人側が守るべきことですが、とても大切なことです。「今回の数学はできなかったけど、原因をはっきりさせて、次は点数を取ろう」と言われる子供と、「数学がこんなに悪いなんて、あなたはダメね。次からちゃんと点数取りなさい」と言われる子供の、どちらが前向きに勉強に取り組むだろうかと考えれば、このルールを大人側が守ることの大切さが分かると思います。

 少し長くなりましたが、まとめますと、「競争とは、人間の優劣を決めるためにするのではなくて、自分がどれだけ頑張ったかを理解するために行うもので、成長にもつながることだから、競争して頑張ることは良いことなんだよ。ただ、競争によって、人間の全ての価値が決まるわけじゃないから、テストで点数が悪いことをバカにするような事は言ってはいけないし、自分は人間として優れているのだと勘違いしてもいけない。」というように、競争について説明することが、向上心を育てる事につながっていくのだと思います。


 今回のコラムで、私が訴えたいことは次の2点です。
「向上心を持った子」は成績が上がりやすい。
「向上心を持った子」に育てるためには、
  @「頑張ったら必ず報われる」と保護者の方が信じる。
  A結果が出たとき、「褒めることが先、反省させるのが後」の順番を守る。
  B正しい競争についての説明をしっかりとする。

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コラム 第3回 「目標を掲げた子」

 成績が上がりやすい塾生の1つの典型として、「目標を掲げた子」というのがあります。

 目標を掲げるとは、高校受験においては、志望高校を持つという事になりますが、「行けたらいいなぁ。」という程度の気持ちでは、目標を掲げたことになりません。現時点での学力の高い、低いに関係なく、「その高校へ行ってみたい。」という気持ちを持つことが、目標を掲げたことになります。そして、何よりも大切なことは、「目標を掲げ続けること」です。

 塾での進路指導の中でも、塾生に目標を掲げてもらう指導というのは、重要なテーマの1つでもあります。特に最初の目標を持ち続けてもらうように指導するのはとても難しいです。学力に関係なく、「自分の行きたい高校へ行く」という強い気持ちを一時的に持ったとしても、あるテストで、成績が思った以上に取れなければ、高校受験への不安から弱気になり、志望校を変更しようかなと考えてしまう塾生もいるからです。
 実際に、蒼翔塾では、長期的な学習指導の中で、着実に成績アップを目指して指導しています。その中で、1回のテストの結果だけで不安にならないようにと、事前に指導してはいますが、それでもやはり、不安を完全には打ち消せない事があり、後に個々に対応する事もあります。

 さて、「目標を掲げること」が、どれだけ成績を上げやすくなるのかを、学習指導面から説明をしたいと思います。

 成績を上げるための勉強は、「基礎知識を徹底して習得すること」と「問題を解くテクニックを学ぶこと」の2つに大きく分けられますが、中学3年間の学習範囲全てから出題される高校入試のテストにおいては、「基礎知識を徹底して習得すること」がとても大切になります。受験テクニックを学んだとしても、幅広い基礎知識が習得できていなければ、問題は解けないからです。
 成績上昇を実現するためには、「基礎知識の徹底学習」が絶対に必要です。そして、これには充実した家庭学習を実行できるかどうかが、大きなポイントとなります。基礎知識の徹底学習とは、「分かっている内容を繰り返し学習して忘れなくする。」というものですから、すでに塾で学習して理解していることを、家庭で繰り返し復習することが、最も効率的な方法になります。

 つまり、成績を大きく上げる一番の要素は、塾生が自分自身の意思で、どれだけ多くの時間を、真剣な家庭学習に当てることができるかになります。塾での学習であれば、講師が傍らにいて指導することも励ますこともできますが、家庭での自主的な学習になると、自分自身の意思で全てを行わなければならなくなります。
 こんな時、明確な目標がある塾生は、家庭学習をする際に、高い意欲を持って学習に取り組むことができますし、困難を感じたり、不安を感じたりすることがあっても、目標のためにそれを乗り越えるのだと、自分自身への甘えを捨て去って、非常に前向きに学習に取り組んでいます。
 個々の塾生によって、もちろん成績の上がり方は異なりますが、これまで指導した中で、明確な目標を持った塾生は全て、蒼翔塾のサポートを最大限に活かして、成績を上昇させて志望校合格を手にしています。
目標を持てば、家庭での基礎学習時間が十分に確保され、塾での受験テクニックの指導を効果的に習得して、その相乗効果で成績が上昇していきます。

 さて、お子様が高校受験において、自分自身の目標を持ち、それに向かって懸命に頑張ってもらいたいと、全ての保護者の方は考えていると思います。この高校受験の志望校は、将来の進路や職業にも影響してくるため、単に目前の高校受験の合格だけという目標にはならず、将来の夢と同じものだとも言えます。
 目標を掲げる子に育てると言うことは、将来の夢を持つ子に育てると言い換えてもいいかもしれません。とすると、ここでは、塾生に将来の夢を持ってもらうようにするには、どのような指導を保護者の方が行えばよいのかと、私は説明しなければなりませんが、これは非常に難しいことです。

 保護者の方も学生時代に夢を持っていたと思います。その夢について、次のような質問をさせていただきたいと考えます。

「その夢は常に1つでしたか?」

「その夢は実現しましたか?」

「学生時代の夢が実現しなかった今、自分自身を不幸だと考えますか?」

 これらの問いに対して、それぞれの保護者の方が様々な答えを持っているだろうことは、保護者の方も容易に想像できるかと思います。つまり、それぞれの将来の夢と言うのは、まさに千差万別です。そのため、型通りの指導によって、夢を持たせることはできないと考えます。
 では、塾生が将来の夢を持つように、保護者の方々は何もできないのか、というと決してそうではありません。塾生が実際に歩んでいく夢という道に保護者の方がレールを引くことはできません。ですが、ご自身が歩んでこられた夢という道や、生き方、考え方を話し、見せることはできると思います。そういった多くの大人の生き方や夢を知り、それについて考えることで、自らの夢や将来について、生徒たちは考えるようになると思います。

 つまり、生きた見本として、自分自身の学生時代の夢や、その夢に向かって取り組んだことなどを、積極的に話をすることが、唯一の支援方法であり、指導だと言えると思います。

 「夢を持った方がいい。」「夢を持つように懸命に考えなければいけない。」と、子供に指導するのではなく、「学生時代こんな夢を持っていて楽しかった。」「夢は実現しなかったけど、それに向かって頑張っている時は充実感があった。」「大人になった今でも、こんな夢を持っていて、毎週少しずつこんな取り組みをしている。」というような、実体験を伝えることが、夢や目標を持つことの素晴らしさを伝えることになると思います。

 塾生の中には、何のために勉強するのだろうと1人で考えていたり、直接講師に質問をぶつけたりする者もいます。そんな時、私は自分が学生時代に持っていた様々な夢を語り、その中の1つが今も残っていて、その夢に向かって、今も頑張っていると塾生に話をしています。もちろん、それが10年後、20年後に実現するのかどうかは、誰にも分かりませんが、少しずつでもいいから一歩ずつ近づいていくことが大切なのだという私自身考えていますので、そのまま塾生には自分の考えを伝えています。

 そして、私は塾講師として、最後にこのように話を締めくくります。

「皆が持っている夢であれば、どのような夢でも実現するために、サポートしたいと考えています。ただ、どのような夢を実現するにしても、学習することが大切です。学習せずに簡単に達成してしまう夢は、実は夢とは言えません。だから、夢を実現するための学習を、塾の講師として私は応援したいと考えています。そして、もう1つ皆に知っておいてもらいたいことは、どのような夢を実現するにしても、その夢の実現には成長することが欠かせないはずです。この人間が成長することは、様々な知識を習得する事だとも言えます。だから、今学校や塾で勉強している知識を習得すること、様々な問題に対応できる知恵を身につけることに、手を抜いて欲しくないのです。特に、自分の夢がまだ決まっていない。見えてこないという塾生は、目標が無いからという理由で、無気力になってはだめです。目標が無くても、常に全力で様々な課題をクリアしていってもらいたいのです。なぜなら、目標が無くても、常に全力が出せるようになれば、目標を持った時、とてつもない力を発揮することができるようになるからです。夢が見つからない時間と言うのは、夢が見つかった時、全力以上で突き進むことができるように、準備をする時間なのです。だから、夢を持ってない人こそ、今、全力で何でも取り組もうと考えてもらいたいのです。その中で、主に勉強面で支援をするのが塾の役割なので、勉強で分からないところがあれば、何でも塾に相談するように。」と。

 今回のコラムで、私が訴えたいことは次の2点です。

「目標を掲げた子」は成績が上がりやすい。
「目標を掲げる子(夢を持っている子)」に育てるためには、
@自分自身の夢や学生時代の話をする。
A夢を持っていない時にこそ、夢を見つけた時のために頑張ろうと励ます。

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コラムA 第1回 「学習環境を整える」


蒼翔塾の使命は、塾生の志望校合格を実現するために、成績を上げることです。だからこそ、成績上昇のために指導方法を日夜研究しています。

その中で、塾生の成績上昇には、「塾生」、「保護者」、「蒼翔塾」の3者の協力が必要であると考えています。

 塾なのだから、塾が責任を持って、塾生の成績を上げる努力をしています。しかし、最初に塾生に対してしなければならないことは、学習環境を整えることです。良い学習環境の中にいるからこそ塾生の成績は上がっていきます。その学習環境を整えると言う意味で、家庭の役割は非常に大きいと言えます。

 成績を上げるためには、成績が上がらない問題点(理由)を1つ1つ取り除いていかなければなりませんが、その問題点が、家庭や保護者の方にあることが少なくありません。

 そこで、ここでは、保護者の方々に担ってもらいたいと、蒼翔塾が考えている役割について、書かせてもらおうと思います。

 まず、保護者の方の一番大切な役割としてあるのが、お子様を良く知ることです。「そんな当たり前の事」と思われるかもしれませんが、本当にお子様のことを知っているのですかと質問されたら、どれだけ答えられるでしょうか。また、保護者の方が学生だった頃、ご自身のご両親は保護者の方のことを何でも知っていましたか。何でもご両親に話をしてきましたか。と質問されれば、多くの保護者の方が、実際に自分はそれほどお子様の事を知っていないのではないかと、思い当たることがあると思います。

 実際に、このような事例があります。成績が下がっているので入塾した塾生が、塾の授業で説明している時に、ホワイトボードを見にくそうにしているので、「眼鏡かコンタクトを忘れたのか」と質問したところ、「持っていない」と答えたのです。そこで、今度は「保護者の方は、視力が悪いことを知っているの?」と質問すると、「知らない」と答えました。  結局、この生徒の成績が下がったのは、視力が下がり、学校で黒板が見えなくなり、学校の授業が分からなくなってしまったのが原因でした。つまり、保護者の方が、視力の低下を知り、眼鏡やコンタクトをさせていれば、この塾生は成績が下がらずに済んだのかもしれません。

 他にも、深夜になると保護者の方に隠れて、友達の家に遊びに行って、毎日睡眠不足となり、学校での勉強に身が入らずに、成績が大きく下がってしまって、塾に来た時に、そういった深夜の外出が分かったというケースもあります。もし、深夜に遊び歩くようなことをさせないように注意できていれば、成績が下がらずに済んだと思います。

 さらに、お子様に対して、保護者の方が、過剰な期待をかけたり、他の優秀な兄弟を褒めすぎたりしたために、自分はダメだと思い込んでしまって、学習意欲を完全に失い、成績が下がってから、塾へ入ってくるケースもありました。保護者の方が、お子様のためを思ってした行動が、成績面ではマイナスに働くということもあります。

 これらの他にも、数え上げればキリがないというくらい、保護者の方がお子様のことを良く知らずにいることが原因で、成績が下がってしまうことがあります。  

 保護者の方は、塾生の行動に対して、多くの決定権を持っています。そのため、塾生に対する影響力はとても大きいものです。しかし、保護者が塾生のためにと決断したことが、必ずしも、塾生にプラスになるとは限りません。それは、何事もやってみなければ分からないというものではなく、お子様を良く知っていないために、間違った決定をしてしまうからです。
 塾一つ選ぶにしても、お子様にあった塾を選択すれば成績がぐんぐん上がりますが、周りの勧めや評判だけを頼りに、とりあえず塾へ入れた方が良いとの判断だけで、お子様との相性も考えずに塾へ入れてしまった場合には、塾へ入れたものの成績がほとんど上がらない、それどころか、逆に下がってしまうこともあります。
 つまり、保護者の方は、塾生のために何かを決定する際に、塾生のことを良く知っていなければ、適切な決定をすることができないのです。

 ただし、すでに書いてありますように、お子様だからと言って、その全てを知ることは実際には不可能です。ですが、常にお子様は成長していて変化している。だから、常にお子様を知ろうとする努力が大切であるとの認識や、全てを知ることはできないのだから、保護者だけの判断で物事を決めるのではなくて、お子様の意見を必ず聞いてみてから決定するという姿勢を持っていれば、より多くのことを知ることができると思います。
 そして、より多くのことを知った上で、適切な判断をすることが大切です。

 蒼翔塾は、保護者の方に選んでいただいた学習環境の中の1つとして、最高のものを提供しようと日々努力を続けていますが、お子様に与える学習環境を選ぶのは保護者の方であると考えています。
 つまり、お子様の学習環境を整えるのは、保護者の方の役割であって、塾はその中で、塾生のために何ができるのかを考えながら、成績上昇のための指導を行う役割を担っているのだと考えます。
 だから、塾で成績を上げるためには、保護者の方が、自分のお子様に合った塾であるかどうかの判断をまず行うことが重要であり、そのためには、現在のお子様の状況をより正確に知ることが、必要になってくると思います。

 保護者の方の大切な一番最初の役割が、お子様を良く知ることです。そして、その上で、適切な塾選びができるかどうかが、塾へお子様を送り出す、保護者の方の大切な役割だと蒼翔塾では考えています。

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コラムA 第2回 「生活リズムを整える」


 毎朝6時に起きて、朝ごはんを食べて、学校へ行き、部活動を終えて、帰宅してから晩御飯を食べて午後11時に寝る。といった、規則正しい生活を毎日送れるかどうかが、成績に大きく影響すると言われたら、どれくらいの方が、無条件でうなずいてくれるでしょうか。多くの方がうなずいてくれるかもしれませんが、何となく良さそうだと考えるだけで、論理的に規則正しい生活の大切さを知っている方は少ないかもしれません。

 まず、早起きが成績向上に大きく役立つ理由から説明します。起床3時間後から、人間の脳の活動は活発になると言われています。学校の授業が9時から始まるのであれば、6時に起きることが、学校の授業を最大限に活かすことになります。

 次に、少量であっても、朝食を毎日取ることの大切さを説明します。体内にある糖分の4分の1を脳が消費しています。朝食を取らないということは、午前中ずっと脳の栄養分が不足している状態でいるとことと同じで、学習の効率に大きく関わってきます。お腹いっぱいに食べる必要はありませんが、糖分を中心とした栄養のある軽めの食事は、必ず食べるようにしてもらいたいと思います。

 第3に理想的な睡眠時間といわれている6時間または7時間30分を実現するために、ほぼ同じ時間に寝て、同じ時間に起きる生活のリズムを身につけることは、1日の活動を積極的に送れるかどうかに影響します。1時間30分周期の睡眠のリズムを上手に活用すれば、頭がすっきりした状態で朝を迎えることもできますし、寝すぎによる倦怠感を持つこともなくなります。何より、睡眠不足や日中の強烈な眠気など、学習する上でマイナスになる要素を未然に防ぐことが可能です。

 これらのように、生活のリズムが一定であることは、成績が下がる要素を排除しているともいえますので、成績を上げるためには重要な要素となります。そして、生徒の生活のリズムを作り出したり、大きな影響を与えるのが家庭である以上、保護者の方には、仕事などの事情を考慮したとしても、お子様の生活リズムをどのようにして整えるかを考えてもらいたいと思います。

 成長期のお子様は、心身ともに周りの環境の影響を受け入れやすく、その環境に適応しながら成長していきます。しかし、生活のリズムが常に不安定ですと、その生活のリズムに適応するのに、力を費やしてしまって、肉体的な成長、精神的な成長、学力的な成長に、全力で取り組めなくなってしまいます。どんなに勉強ができるといわれる生徒であっても、あまりにも空腹なとき、睡眠不足で頭がボーっとしているときに、集中力を維持して、学習に取り組むことはできません。ここまで極端ではないにしても、毎日少しずつの差が積み重なっていけば、1年後、2年後には大きな差になっていきます。

 成績を上げるのは塾の仕事です。そして、成績が伸びやすい生活のリズムをお子様に提供するのは、保護者の方の仕事だと思います。毎日の生活のリズムを一定にすることが、そんなに簡単ではないことは分かっています。しかし、それでも保護者の方には、お子様に対して、生活環境を提供できるのは、自分しかいないと考えて、様々な場面で配慮してもらいたいと思います。蒼翔塾では、これが保護者の方の大切な役割だと考えています。

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コラムA 第3回 「しつけ」


 子どもをしつけるのが親の役割。そんな当たり前のことと思う方は多いでしょう。ですが、しつけとは何をすることですか。と質問されたら、こうする事だとはっきりと保護者の方の中から答えが出てくるでしょうか。
 しつけだから、悪いことをしたら注意する。悪いことをしないように事前に説明する。と言った答えが出てくると思いますが、しつけとは、お子様に対して、厳しく接するというのではなく、保護者の方自身が、自分に対して厳しくすることだと考えます。

 例えば、遅刻ばかりするわが子を叱ったとしても、保護者の方自身がいつも遅刻ばかりしていたら、叱ったとしてもその効果はほとんどないはずです。お子様をしつけるとは、基本的には保護者の方が手本を示して、その真似をさせるところから始まるので、まず保護者の方が自分自身の行動をコントロールして、手本となるように行動しなければなりません。だからこそ、しつけとは自分に対して厳しくすることだと考えます。

 そして、自分に対して厳しくするというのは、自分自身が手本となるだけではなく、もう1つの意味があります。

 時々、保護者の方はしっかりとしていて、お子様の手本となるような行動をしているのに、全く塾生がしつけられていない事があります。そういった塾生と保護者の方の関係を見ると、保護者の方が注意はしても、根気強くしかも厳しく注意できていないという状況が多いです。

 自分自身に対して厳しくするというのは、お子様にどんなに嫌な顔をされても、反抗的な態度を取られたとしても、お子様が反省するまで、許さないという姿勢をとり続けることも含むのです。もちろん、お子様が反省すれば、それを許し、保護者の方が愛情を注ぐのは必要なことですが、お子様が反省する前に、保護者の方が一方的に許してしまってはいけないのです。

 誰かを叱ったり、注意したりすることは、される側も不快感を持ちますが、する方はもっと不快感を持ちます。まして、注意する相手が、自分の愛している対象であればあるほど、嫌われたくないという気持ちがあるため、叱ることがとても嫌な事に思えてくると思います。その嫌な気持ちに打ち勝って、厳しく注意すべきことは注意し、本人が反省するまで、相手の反省を促すように注意し続けることが、できるかどうかが、しつけにとって最も大切なことなのです。

 お子様にそれほど深く反省させなくても、軽い言葉で、それは駄目だと注意すれば良いのではないかと考えている保護者の方もいると思います。もちろん、内容によっては、そういった軽めの注意の方が適切である事は少なくありません。しかし、いつもそうしてしまっていると、そのお子様は悪いことをしても、すぐに保護者の方に許してもらえると勘違いして、悪い方向に成長していく可能性すら芽生えてきてしまいます。

 確かに、親子が日々楽しく、何の不安も心配もなく、仲良く暮らすことができれば、どんなに良いことでしょう。しかし、親子が日々暮らしていく中には、様々な問題が発生し、様々な困難を乗り越えなければならないはずです。その時、お互いに嫌な気持ちになりながらも、成長するという1つの方向に進むことができれば、一時の辛さも喜びや達成感に変わるのではないかと思います。

 しつけとは、わずか3文字の言葉に過ぎませんが、お子様の将来に大きく作用することでもあります。そして、お子さんにとっても、保護者の方にとっても、好ましくない言葉なのかもしれません。ですが、だからこそ、その好ましくないことを、親子そろって乗り越えていくことがとても大切なのだと思います。どちらか片方だけで、乗り越えたり、問題を解決したりすることはできないのだと思います。

 しつけとは、お子様に対して、厳しく接すると同時に、保護者の方が自分自身に対して、厳しい選択を自らに迫ることだと思います。

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コラムB 第1回 「基礎が大事」



 蒼翔塾では、「基礎知識の徹底した定着」を最も大切なこととして、学習指導を行っています。塾に入ろうとする保護者の方と面談をする時に、「うちの子は応用問題が解けないので点数が上がりません。その辺の指導をよろしくお願いします。」と依頼を受けることが良くあります。

 成績上昇によって志望校合格をサポートするのが、蒼翔塾の使命なので、もちろん応用問題が解けるように指導もするのですが、保護者の方が学習に関して勘違いなさっているので、必ず次のような説明をします。

 基本問題というのは、基本知識について1つだけ知っていれば解ける問題のことです。そして、応用問題というのは3つの基礎知識を組み合わせると解くことができる問題のことです。だから、応用問題を解くために、特別な知識が必要なわけではないのです。

 では、基本問題は解けるのに、どうして応用問題が解けないのかと言うと、基礎知識が完全に定着していないからです。3つの基礎知識のうち、1つでも忘れてしまったり、少しでもあいまいな状況では、その応用問題は解けないことになります。

 つまり、応用問題が解けるようになるためには、基礎知識を「いつでも、どこでも。」自分の頭の中から引き出せるように、しっかりと定着させる必要があるのです。そして、その定着させる方法は、繰り返し書いたり、読んだりすることによる練習しかありません。

 ところが、多くの生徒が、基礎知識に関して、誰かに説明された時だけは分かるけれども、時間が経つと忘れてしまいます。そして、実際に応用問題を解こうとする時になって、必要な基礎知識を思い出すことができずに、応用問題に対して何をしていいのか分からない状況になります。

 だから、蒼翔塾では、「基礎知識の徹底した定着」を指導方針の1つとして掲げています。どんなに勉強ができると言われている生徒であっても、繰り返し練習をする事なしに、基礎を完璧に定着させる事はできないからです。そして、基礎知識を完璧に身につけることができれば、自然に応用問題も解けるようになります。

 塾生の中にも、基本はできるんだけど応用問題が苦手だと発言する者がいます。このような塾生の場合、「基本ができる」ことを勘違いしているので、次のような説明をします。

 塾の授業の中で、説明を受けて、基本問題が解けるようになるのが、第一歩だけれども。大切なことは、同じ問題が来週にも、来月にもできる事です。説明された時にできただけでは、基本知識が身についたとは言えません。来週になっても、来月になっても、3ヶ月後になっても、基本問題がすらすら解けるようにならなければ、基本知識は身についていないのです。

 例えば、3ヶ月前のテストをもう一度実施した時に、点数が低ければ、その時に勉強したことを忘れてしまっていると言うことです。3ヶ月前のテストであっても、忘れずにいつでもできるようになって初めて、基礎知識が身についたと言え、応用問題が解けるようになるのです。

 基礎知識をいつでもどこでもできるようにするには、塾での学習、家庭での学習、学校での学習の中で、繰り返し練習して覚えてしまうことが必要です。だから、応用問題が解けないのではなくて、基礎知識が定着していないのだと考えて、覚え切れていない部分をしっかり復習することが大切です。

 これまでの説明の中にもあるように、基礎の大切さとは、「基礎知識がいつでもどこでも頭の中から取り出せて、過去に実施した基本問題がいつでもどこでもできる。」事を意味しています。授業の中で基本問題が解けた。1回のテストの中で基本問題が解けたというのでは、本当の意味で、基本が身についているとは言えません。また、応用問題が解けない原因の90%以上が、基本知識が欠けていることを考えると、それぞれのテストの時に基本問題は解けても、応用問題までは解けないのは、今まで勉強してきた基礎知識を忘れてしまっている事を意味していると思います。

 「基礎が大切」と単なる一言で何もかも理解している気分になっていては、応用問題が解けるようにはなりません。いつでも、どこでも基本問題が解けることができるようになる事の大切さという、本当の「基礎の大切さ」について、これを読んだ方々には理解してもらいたいと思います。

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コラムB 第2回 「問題を解くときの意識付けが大切」



 蒼翔塾では、「基礎知識の徹底した定着」を最も大切なこととして、学習指導を行っています。しかし、これだけの指導をしている訳ではありません。基礎知識をしっかりと覚えた後は、その基礎知識を使って、様々な問題が解けるように指導を行います。

 その指導とは、「問題を解くときの意識付け」です。意識付けとは、どのような場面や、どのような問題で、どんな考え方をして、どの基礎知識を使えばいいのかを導き出すための、思考する過程を言います。

 この基礎知識を使って、この問題を解いてくださいと言うのが、第一歩目の指導方法ですが、実際のテスト(高校入試)では、いきなり問題が出ているだけで、どの基礎知識を使えばいいのかという説明などが書いてあるわけではありません。

 つまり、基礎知識をしっかりと覚えた後のステップとして、身につけなければならないことは、ある問題を見た時に、自分自身の力で、どの基礎知識を使えば良いのかとの判断をすばやくできるようにする事です。

 この判断をすばやく行うためには、問題演習が必要です。しかし、単に問題を解いているだけでは、練習としての効果は低いものになってしまいます。問題演習をする際に大切なことは、何に気づけば問題が解けるのか、どんな意識で問題を解こうと考えていれば良いのかとの、問題演習をする際の目的をしっかりと持っているかどうかなのです。

 同じ問題が解けるという場合であっても、問題を見ていて何となく解き方に気づいたというのと、問題を見て、問題の意図を読み取って、その意図に沿って答えるように工夫をしたから、解き方に気づいたとは違います。なぜなら、問題演習とは、本番のテストで点数が取れるように、本番のテストでどのような問題が出ても対応できるように練習する事だからです。問題演習において、一番大切なのは「問題の解き方を気づけるような意識を持ちながら問題を解く」ことの練習をするかどうかなのです。


 蒼翔塾では、「覚えるべきことは覚える」という徹底した基礎知識を定着させる指導を行っていますが、それと同時に、問題を解くときの意識付けという指導も行っています。そして、この意識付けの指導こそ、基礎知識と応用問題を密接に結びつけるキーワードであり、高得点への避けては通れない道筋なのです。


 ここで注意してもらいたいことは、基本問題と応用問題ができているからと言って、意識付けが行われているとは言えない生徒がいることを理解してもらいたいと思います。生徒の中には、特に意識しなくても、問題を見ると解き方がぱっと浮かんでくるという者も、少ないですが確かにいます。そして、こういった生徒は、成績が良い生徒として、本人も保護者も認識しています。

 しかし、学年が上がり、学習内容が高度になってくると、問題をぱっと見ただけで、解き方が分かるという問題が減ってきてしまいます。もし、ぱっと見るだけで問題が解けていた生徒が、問題を解くときに特に意識付けをしていなかった場合、ぱっと見ただけで解けない問題が出てくると一気に点数が下がってしまいます。

 一方、ぱっと見ただけで問題が解けるけれども、しっかりと問題を解くときのポイントを考えたり、塾の指導に従って意識付けを行って練習問題をしていた場合、その経験が活きてきます。つまり、今までに自分の中で見たことがないような問題に対してや、新しい範囲の問題に対しても、基礎知識を上手に組み合わせて、問題を解くことができるようになります。

 よく、ある時期を境に成績が急激に下がってしまったという生徒を塾でもお預かりすることがありますが、その成績が急激に下がった原因は、基礎知識を完璧に覚える努力を怠っていたか、問題を解くときに意識付けが全く行われていなかったのかどちらかであることがほとんどです。

 「基礎知識の徹底した定着」と「問題を解くときの意識付け」の双方が蒼翔塾の考える学習上の大切なことです。

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コラムB 第3回 「目的を明確にする」



 蒼翔塾では、「塾生のやる気を育てる事」の大切さを充分に理解していて、様々な塾生との触れないの中で育てようとしています。しかし、やる気というのは、他人が無理矢理に植え込むことのできるものではなく、あくまでも本人の自発的な意思によるものでなければなりません。

 他人からの強制的な働きかけが、本当のやる気を育てないというのであれば、蒼翔塾における「塾生のやる気を育てる事」とは何を指しているのかというと、塾生に対して、「高校受験において志望校合格」という目的を常に提示して、目的意識を植え付けることです。

 志望校合格という目標を塾生の絶対的な目的として、塾生に強く認識させることに対して、受験競争を必要以上に煽っているとか、勉強だけが人間を測る基準ではないとの批判を受ける可能性があることを理解していますが、そういった批判をする方々にこそ、これから書いてあることを読んでもらいたいと思います。


 受験勉強をすることが、自分自身の志望校合格という目的を実現するために行われているのであれば、それは自分自身の夢に対して、計画的にしかも継続的に、忍耐を持って困難に立ち向かうことを意味しています。

 夢や自分自身の目的のために努力することは、推奨されるべきことであり、結果がどうであっても、このような努力を重ねることが、人間としての成長を促すことにも間違いなくつながっていきます。

 つまり、受験勉強の行きつく先に、自分の夢の実現があれば、この受験勉強は単なる知識の詰め込みの作業ではなく、自分自身の人生を豊かにする訓練にさえなります。

 こういった受験勉強における目的の明確化を指導することで、塾生たちはどちらの方向に進んでいけばよいのかがはっきりと分かるようになります。いくら「頑張れ」「努力しろ」と励ましたところで、自分自身の行き着く先が分かっていなければ、頑張ることはできません。

「自分自身の志望校合格を実現して、自分自身の可能性を大きく広げるために、計画的に学習して、学習上の様々な困難を乗り越えることができれば、それは、単に勉強だけでなく、人生においても大きな経験となり、いつか必ず役に立ちます。そして、志望校合格とは、受験した高校が、周囲の人間が、皆の努力を認めてくれた証となります。だから、志望校合格のために全力で取り組まなければならないのです。」

 こういった生徒への説明をした上で、受験勉強に取り組むことで、受験勉強の意味が受験生にとって大きく変わっていくと思います。

 そして、受験勉強を単なる知識の詰め込みにせずに、人生における意味をしっかりと持たせる事が、教師と呼ばれる人間が生徒に対してなさなければならない教育であると思います。

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コラムC 第1回 「習慣化の学習」


 小学生の授業内容に英語が組み込まれることになり、英語の指導教員のいない学校教育現場では困惑をしているとの報道がなされている中、英語教育について、多くの方に知っておいてもらいたいことがあります。

 それは、英語という教科は、本来学問ではなく、ただの言語だということです。日本では難しい教科の1つだと考えられている英語も、英語を日常生活で使用している地域では、学問としてではなく、生活に必要不可欠な言語として、日常の中で学んでいくことであり、そういった地域で生活していれば、5歳になる子どもでも、日本で言うところの英会話はできるようになっています。

 つまり、英語という教科は、学ぶというよりも、慣れる教科であり、慣れてしまえば誰にでもできる教科です。そして、慣れるためには、ある一定以上の学習時間と継続的な指導と、日常生活の中での必要性の3点が同時に成立していなければなりません。

 小学校での英語教育の実施について批判が聞こえたり、幼少の頃からの英会話の学習効果があまり高くはないと、様々な教育批評家から意見が出されるのは、上記にある3点を満たしていないからです。

 例えば、小学校や英会話教室で英語を学習するといっても、週に2、3時間であることが多いと思います。明らかに、慣れることによって身につけるには、時間が少なすぎます。そもそも、週に2,3時間で英語を身につけることができるとすれば、中学校の教育で週に3時間以上英語を勉強している日本人は、全員が英語を身につけることができるはずです。しかし、実際にはそうなっていません。

 また、習慣的に学ぶというのであれば、英語に毎日触れる機会が無ければ身につけることはできません。特に、英語を初めて学ぶという段階においては、それまで英語にまったく触れる機会が無かったわけですから、それこそ毎日英語の読み書きを実施しなければ、到底慣れることによって身につけるというレベルに達することはできません。

 そして、現在の日本においては、英語を勉強する時間以外に使わなければならない場面が全くないので、学習する子どもたちが、英語学習の必要性を感じる場面が全くありません。

 さらに、最も嘆かわしいことは、英語が習慣化によって身につくことのできる科目であることを、ほとんどの方が理解せずに、小学校での英語教育の導入の是非を論じていることです。子どもたちの学習環境を整える際には、より科学的に、目的を明確にして、指導をしなければならないと思います。

 蒼翔塾では、小学校6年生の6月から、中学生英語の予習学習を取り入れます。これは英会話ではなく、完全に中学生になってから学習すべきことを先取りして、中学校に入った時点で英語が得意と思えるようにするためという明確な必要性があり、また、会話やネイティブな発音についての指導は一切行いませんので、勉強時間の確保も、勉強の習慣性も、単語練習などの書く宿題でカバーすることが可能となっています。

 つまり、目的を中学生英語の導入部分で、つまずかないようにして、得意教科になりやすいようにするという一点に絞ることによって、適切な小学生英語の指導ができるようにしています。

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コラムC 第2回 「国語力の充実」


 小学生に英語を学ばせるぐらいなら、もっと国語の勉強をさせた方が良いとの意見はまさに正論です。英語が言語である以上、英語を使う唯一の目的は他者とのコミュニケーションを取ることに他なりません。

 そして、コミュニケーションの基本は、自分の意見や考えを相手に伝えることです。自分の意見や考えがはっきりとしていないと、相手に何を伝えたいのかが分からず、どのような言語も、その機能を発揮することができません。

 小さな頃から、英語を習わせて、英語の発音が上手になり、身の回りにある品々を英語で言えるようになったと喜んでいる保護者の方がいますが、それは英単語を上手に読めるというだけであって、英語で自分の考えを発表している訳ではありませんので、英会話には程遠いものです。また、簡単な日常会話の英語を言えるようになったことで、英会話ができるようになったと錯覚する保護者の方もいます。日本語で、「おはよう」、「こんにちは」、「こんばんは」、だけの会話が成立しない以上、単なるあいさつの英語も実際には英会話とは言えません。

 今日学校であったできごとや、社会で起こっている事件に関して、自分の意見を英語で述べることができるようになって初めて、英会話ができるようになったと言えるのです。

 そこで、考えてもらいたいことは、今の子どもが、学校であったできごとを適切に分かりやすく話をすることができ、学校や社会で起こっている問題について、自分の意見を持ち、会話の中でより良い意見を導き出せるだけの、日本語の力すなわち国語力を持っているだろうか、ということです。

 学校で発生した問題について、親子が会話する中で、このように解決をすれば良いのではないかというアドバイスができるような場面を何度経験したことがあるでしょうか。と質問をされたら、何人の大人が、覚えていないぐらい多くの経験があると答えられるでしょうか。中には、そんな話をしたことはないと答える方や、子どもから学校の様子を聞こうとしても、あまり良く分からないという方もいると思います。

 現時点で多くの子どもが、自分の意見や考え方を会話の中で表明することが少ないだけでなく、状況を他者に正確に伝えることができないという現実があります。つまり、言語として国語を使いこなせていない上に、コミュニケーション能力も未発達であるのが、現状の日本における国語教育なのです。

 であれば、日常使わない言語である英語で、自分の意見を述べたり、正確に状況を伝えることが可能であるはずがありません。少なくとも、英語を言語として学び、マスターしたいというのであれば、まず国語力を充実させて、日本語のコミュニケーション能力を高めなければならないと思います。

 その点を置き去りにしたまま、英語教育を進めることは、「百害あって一利なし」という慣用句が示す意味のままになってしまうと考えます。

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コラムC 第3回 「役に立つ英語へ」


 小学校6年生の後半で、中学英語の準備学習を始める。

 中学3年間は、高校受験のための受験英語を読み書き中心で勉強する。

 高校3年間では、大学受験のための受験英語を文法や細かい熟語表現を中心として勉強する。

 大学生や社会人になってから、必要に応じて、英語の学習を深めていって、英会話能力を身につける。

 この従来どおりの英語教育が、日本における英語教育のあり方として最も良いと考えています。

 なぜなら、自分自身の考えを英語で話すことができるようになるレベルの英会話能力を身につけるには、少なくとも高校生以上の日本語のコミュニケーション能力が必要になってくるからです。本格的な英会話は、高校卒業後に学習しても、勉強時間、習慣性、必要性の3点が満たされれば、十分に身につけることができます。逆に、日本語の能力が低いままでは、英会話の能力は身につきません。

 中学生、高校生のうちは、受験を目的とした英語の勉強だけで十分です。本格的に英会話が必要であれば、卒業後に勉強すれば良いのです。また、本格的な英会話が必要でないにしても、現在の世の中に氾濫する英語に対して、読み取る能力ぐらいはないととかんが得ているようでしたら、まさに英文の読み取りを重要視する受験勉強のための英語がぴったりです。

 英会話を必要とせずに生きていくのであれば、これまでの高校生の英語知識があれば、日常生活で困ることはありません。さらに、現在では携帯ゲームソフトの中に英会話をサポートするようなものもあり、高校生英語の知識を持っていれば、それらを適切に使いこなせることができるので、単に海外旅行などで英語を使わなければならないという程度であれば、何ら問題はありません。

 小学6年生の読み書きを中心とした英語の勉強は中学生の英語学習の役に立ちます。

 中学生、高校生の英語勉強はそれぞれの進学受験と日常で触れる英語の理解に役に立ちます。

 そして、自分の意見をしっかりと持つことができるようになった大学生以上からの英会話の勉強こそが、コミュニケーションという最も重要な目的を達成できる英語を身につけることができ、その時になって初めて、英会話が役に立ちます。

 「日本で生きていくから英語は必要ない」という子どもたちの正論に対して、「高校受験で必要です。高校に行くつもりなら英語を勉強しなさい。インターネットや様々な分野で英単語が氾濫しているから、英会話ができなくても、英単語を知っていた方が、役に立つよ。」という正論でしか、子どもを納得されることができないと思います。

 役に立つから学ぶ必要がある。学んだことが役に立ったから学んだ喜びにつながる。この学問というものの根底に立ち返り、もう一度多くの方々に、なぜ英語を勉強するのかを考え直してもらいたいと思います。

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コラムD 第1回 成長を求める子ども


 生まれたその日から、赤ん坊は成長していきます。仮に成長したくないという気持ちが赤ん坊にあったとしても、体は大きくなり、様々なことを吸収して成長していきます。この成長は、急激な肉体的な成長が続く18歳前後までは、確実に全ての子どもに訪れるものです。そして、この急激な肉体的成長が続く間、子ども達は無意識的に成長を求めています。

 しかし、子ども達が成長を求めたとしても、吸収することがなければ成長はできません。肉体的な成長にしても、食事を取らなければ成長できません。さらに、適切な栄養バランスを満たした食事を取り続けなければ、健康的に肉体的な成長をすることは難しいのものです。

 食事をすれば自然に成長するという肉体的成長においても、子どもが与えられる周囲の環境が大きいのですから、知識的な成長や精神的な成長において、子どもが与えられる周囲の環境の影響力はとても大きいといえます。

 子どもは肉体的にも、知識的にも、精神的にも成長していきますが、その成長のためには全てにおいて栄養となるものが必要です。肉体的な成長には食事、知識的な成長には学習、精神的な成長には会話(交流)が、それぞれの栄養となります。そして、その大切な栄養を子どもは選ぶことができません。

 子ども達は常に成長しています。成長のために栄養を必要としています。そして、幼少期は、家庭(保護者)が与えてくれる栄養を無条件で吸収していきます。だから、保護者が与える栄養の種類が大切ではあるのですが、ここでは栄養の種類ではなくて、栄養の質と量について話をしたいと思います。

 様々な人間がいるのですから、子どもに与える栄養が「この種類でなくてはダメ」ということはないと思います。しかし、赤ん坊が母乳から離乳食へ、離乳食から通常食へと、食事を変えていくように、学習や会話といった栄養も、質と量を変えていかなければ、子どもの適切な成長は得られません。

 つまり、大人は子ども達が日々成長している事を考慮して、その時々に相応しい食事と学習と会話(交流)の3つの栄養素を与えなければならないのです。しかし、実際にはどうでしょうか。

 子どもの学力レベルを正確に理解して、子どもに適切な学習が与えられるような学習環境をどれだけの保護者の方が整えているでしょうか。子どもの精神的な成長に応じて、会話の中身や子どもへの接し方を変化させ、子どもに対する視点をより大人に近いものに変化させている保護者の方はどれだけいるのでしょうか。

 親にとって子どもはいつまでも子どもという考え方は当然です。しかし、それは子どもを見守っていたいという親の気持ちを現した言葉でしかありません。子どもの成長を願っているのでしたら、子どもの成長に応じて、適切な栄養を与えることが可能となるだけの知識を親自身も身につける必要があります。そして、それを実践していく行動力を身につけるという成長を、大人もまたしなければならないのです。

 日々子どもの成長を見守る私たち大人は、大人としての成長を志し、本当に成長しているのでしょうか。

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コラムD 第2回 子どもを説得させられない大人


 子どもの成長にとって、食事、学習、会話(交流)の3つが大切な栄養素であると考えた場合、食事と学習に関しては、保護者以外の大人の助力を借りることで、より適切な栄養を与えることが可能です。しかし、会話(交流)だけは、保護者の方自身がしっかりと子どもに与えるという心構えを持っていなければならないと思います。

 なぜなら、子どもにとって最初の会話(交流)は、保護者の方との会話(交流)に決まっていますし、保護者の方との会話(交流)の中で最初に会話の方法を学んでいくからです。つまり、保護者以外の他者と子どもが会話をする時には、すでに子どもの中には一番身近にいる保護者の方から学んだ会話の方法が定着していて、それが元になって、他者との会話を行わなければならないのです。

 また、会話する絶対的な量も、保護者の方との時間が最も多いため、親子の会話がどれだけ充実しているかどうかで、単に会話する能力だけでなく、語彙力や文章読解力にまで影響を与えます。

 親子の会話の中で特に大切な時期があります。それは、子どもがなぜという疑問を持ち始めて、大人に対して、「なぜ」という問いかけを頻繁にしてくる時期です。この時に、「なぜ」という問いかけに対して、きちんと説明しながら、明確な答えを示すことができるかどうかがとても大切です。「世の中はそうなっているのだから。」という一言で説明も答えも終わりというのはしてはいけないことです。

 説明をして、明確な答えを示した結果、小さな子どもがその答えを理解できないとしても、この段階では問題はありません。この時期の会話時に大切なことは、保護者の方が、自分のお子さんが何を考えて、どのように思考するのかを知る絶好の機会と考えて、しっかりと接する事なのです。そして、次のステップのために、子どもの考え方や、どのような説明の仕方が理解しやすいかという情報を、経験と共に保護者の方は身につける必要があります。

 そして、さらに子どもが成長してきた時に、事の善悪や、した方が良い事、してはいけない事を、保護者の方からのしつけとして、子どもに言い聞かせなければならない場面が出てきます。この時に、これまでの保護者の方と子どもの間で行われた会話の経験が、プラスに働いてきます。

 保護者の方がしっかりと子どもを納得させることができる会話術を、身につけていれば、子どもに対して、「なぜ悪いことなのか」「なぜしてはいけないのか。」「なぜ良いことなのか」「なぜした方がいいのか」をしっかりと説明した上で、子どもの理解を深め、子どもの成長を促すことができます。

 逆に、そういった子どもを納得させることができる会話術を身につけていなければ、子どもは納得できないのですから、保護者の方の言葉に対して、疑問を持ったままになります。そして、それがいずれ保護者に対する反抗へとつながっていきます。

 よく子どもが反抗期なので、親の言うことを聞いてくれないと言う保護者の方がいますが、年齢的なものや自我の芽生えの中で、仕方ない部分があるにしても、子どもが反抗的な態度を取るのは、子どもを納得させることができないからであり、そういった技能を保護者の方が身につけてこなかった事が、最大の原因となっています。

 子どもの成長に合わせて、大人が成長する。特に、子どもの成長に合わせて、会話の内容、質、そして、大人側の会話の技量が成長していかなければ、子どもに適切なアドバイスを与えるどころか、きちんとした会話が成立することすら難しくなってしまいます。

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コラムD 第3回 親の甘茶が毒となる


 生まれたばかりの赤ちゃんにとって、保護者から受ける「守られているという愛情」は生きていく上でも必要不可欠ですし、幼少期の精神状態に与える影響上も欠かせないものです。

 だからと言って、いつまでも子どもが保護者の方に守られているという愛情を必要とするわけではありません。子どもは保護者の方とは全く異なる速さで成長しているからです。赤ちゃんに必要だった哺乳瓶も、1歳の誕生日には必要ではなくなっています。自分で歩くことができなかった時に必要だった乳母車も、5歳にもなれば不必要なものとして、物置小屋に片付けてしまっているはずです。

 このように、子どもが成長に応じて必要とするものが変化するように、保護者の方が子どもに向ける愛情も成長に応じて変化していかなければならないのです。保護から共同生活へ、共同生活から社会性の獲得へ、社会性の獲得から自立へというように、子どもの生きるスタイルに合わせた愛情が必要になってきます。

 つまり、保護から共同生活へと生活スタイルが変わるときには、何でも保護するという愛情から、何でも子どもにさせてみて、失敗してもじっと見守り、最後の最後で手助けするという我慢にも似た愛情へと変化させなければなりません。

 共同生活から社会性の獲得へと生活スタイルが変わるときには、事前に社会〔学校〕などで起こりうる問題を想定した対処方法を事前説明したり、実際に子どもが抱える問題を探り出して、様々な手法を使って解決方法をアドバイスして、それを実行させるという、保護者の方が直接関われない状況下で、子どもに対して間接的なアドバイスを与えるという遠まわしな情況の中で、愛情を示さなければならないというもどかしさにも似た愛情へと変化させなければなりません。

 そして、社会性の獲得から自立へと子どもが向かっていくとき、保護者の方は、自分の元から子どもを切り離さなければならず、自分自身がまず寂しさに耐え、子どもが助けを求めてきたときのみに手助けするという愛情へと変化させなければなりません。

 「親の甘茶が毒となる。」という諺があります。親の甘やかしすぎは、子どもにとって害となる可能性があることを意味している諺です。そして、教育の上でとても重要な諺だと思います。

 「親の甘茶は毒である。」と言い切っているのではなく、「毒となる。」という表現もまたとても重要だと思います。保護者が子どもを無条件に受け入れることは絶対に必要です。特に幼少期や、子どもが自分では解決できない本当の困難に押しつぶされそうになった時には、必要不可欠なものです。しかしながら、それ以外の場面では、やはり毒となってしまうと思います。

 甘やかしすぎて共同生活ができない、社会性が身につかない、自立ができない。という結果、どのような子どもが育っているかは、現在の日本社会が証明していると思います。

 保護者の方は全員、子どもの成長は早いと感じていると思います。であるならば、保護者の方は子どもへの対応をその早さに合わせて変化〔成長〕させなければ、子どもにとっての毒となってしまう可能性すらあるのです。

 子どもの成長にとって最も影響力を与えるのが保護者であるという認識を持つのであれば、同時に子どもにとって最大の栄養源であり、また最悪の毒素となるのが、保護者という存在であることもぜひ認識してもらいたいと思います。

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コラムE 第1回 いじめって何?


 「いじめ」という言葉が独り歩きするようになってから、多くの年月が経ちました。また、多くの場面で、「いじめ」が問題となっている話を聞いています。

 ここで1つの疑問について、皆さんに考えてもらいたいことがあります。そもそも「いじめ」とは何でしょうか?

 例えば、2人の男の子が教室の後ろでプロレスごっこをしています。1人は体の大きい子で、もう1人は体の小さい子だとします。この状況で、体の大きい子が頻繁にプロレスの技をかけていて、体の小さい子が痛さの余り泣き出しました。という状況があった場合、これはいじめになるのでしょうか?

 おそらく、これだけの状況では「いじめ」かどうか分からないと多くの方が答えると思いますし、実際にそうだと思います。2人がプロレスごっこを始めた経緯から、なぜ泣いたのか、そして、2人の素直な気持ちを聞き出して始めて、これらの一連の行為が「いじめ」なのか、単に遊んでいる2人のうち1人が泣き出してしまったのかが分かるようになると思います。

 しかし、体の小さい子と大きい子が同意の上でプロレスごっこをいていたとしても、体格的な条件から、いつも大きい子が技をかけて、小さい子を痛めつけている状況が多ければ、2人の気持ちに関わらず、これはいじめという行為になってしまうとも限りません。また、この2人が別の理由で喧嘩をして、体の小さい子が体の大きい子を悪者にしたいがために、「僕はプロレスごっこなんかしたくなかった。」と発言したら、確実に周囲にいる大人たちは、小さい子の言い分を否定せずに、「いじめ」があったと断定する事になると思います。

 このように、「いじめ」とは、特定の定義によって決まっているわけではなく、状況によって変わってしまいます。

 さらに、集団の中で、嘘ばかり言って、皆に嫌われている人間が、その集団の中で相手にされなくなったり、無視されるようになった場合、それは「いじめ」になるのでしょうか、それともならないのでしょうか。


 「いじめ」という言葉は、一方に悪者がいて、もう一方に被害者がいるという状況を思い浮かべやすい言葉でもありますが、「いじめ」と断定するには、当事者の心情も含めて、何もかも総合的に判断しなければなりませんし、それを究極的に実施することはとても困難だと思います。

 世の中で認知される「いじめ」という行為のうち、確かに「悪」として断罪しなければならない行為があるのは事実ですが、そのほとんどが「人間同士の間に起こりうる摩擦」という、お互いに解決すべき問題である行為ではないかと私は考えています。

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コラムE 第2回 いじめをするなって言っても


 明らかに悪意に満ちた「いじめ」という行為はしてはいけないでしょうし、した場合には断罪されるべきだと思います。しかし、「いじめ」が起こった時、いきなり悪意に満ちた「いじめ」が始まるのかというと、そうではないと思います。

 「いじめ」が発生した原因を追究していくと、最初はとても小さな人間関係の問題が発生したに過ぎないという場合が少なくありません。そして、その小さな人間関係の問題が解決されずに大きくなっていくと、「いじめ」という行為につながっていき、それがさらに放置されると、「いじめ」に大きな悪意が加わっていくようになります。

 「いじめ」という定義は難しいので、言語的な定義論争はせずに、実際に「いじめ」を無くすための具体的な方法論を軸に、文章を書いていきたいと思います。

 「いじめ」の発端が小さな人間関係の問題だとして、その小さな人間関係の問題も「いじめ」に含めるものと仮定した場合、「いじめをするな」=「人間関係を作ろうとするな(他人と関わるな)」という事になってしまいます。皆さんも体験しているから分かると思いますが、人間が2人いれば、そこには何らかの摩擦が発生しますし、本当に小さなものまで含めれば、問題の無い人間関係などは存在しません。

 つまり、人間同士がお互いに接することを前提に、社会が成り立っている以上、大なり、小なり、悪意があるなり、ないなり、「いじめ」という行為や現象は、必ず現れてくるものです。

 であれば、「いじめ」をするなという教育上の指導がいかに無意味であるかわかると思います。むしろ、「いじめ」=「悪」という認識を植えつけてしまったために、十分に解決できる段階の人間関係の問題が、「いじめ」だからという理由で、当事者たちの間で隠し事とされ、より大きな問題や修正不可能な結末を迎えるまで、誰も気づかないという状況になってしまっていると思います。

 「いじめ」の被害者となっている生徒の、担任や保護者が、「いじめ」があるなんて知らなかったと主張している報道を多く見かけますが、それは担任や保護者が自分を庇護するための発言ではなく、本当に気づかなかったのだと思います。なぜなら、「いじめ」は悪いことで、してはいけないことだから、子どもたちは、それを大人には知らせたくないという気持ちを持っていて、隠そうとするからです。そして、隠された「いじめ」がエスカレートすることで、取り返しのつかない事態になってしまうのです。

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コラムE 第3回 いじめは解決するもの


 「いじめ」が人間関係の小さな問題から発生すると考えた場合、「いじめ」は決して無くなるものではありません。だから、「いじめ」をするなという指導は無意味だと思います。では、「いじめ」に関して何らかの指導をする場合、どうすれば良いのかと私なりの意見ですが、次のようにしてもらいたいと思います。

 まず、人間が生きていく中で、何らかの問題が発生するのは当然のことであり、些細な問題が発生するのだから、問題が発生したら皆で解決しようと訴えかけ、人間関係のトラブルを「いじめ」という言葉に置き換えずに、「小さな問題」だから皆で解決できるという印象と共に、人間関係の問題の初期状態での情報が、子どもから大人に集まるように指導していきます。

 次に、問題が起こった場合ですが、基本的に約束したとおり、皆で解決しようとする姿勢を打ち出すために、皆で状況を認識しあって、話し合いをするのが一番良いです。その際に、誰が悪い、良いという結論に導くのだけは避けましょう。お互いに悪いところが割り、良いところもある。人間が分かりあうためには、小さな摩擦をお互いに乗り越えていくことが大切であると訴えましょう。そして、この問題の当事者となった子どもたちには、お互いに今回の件で成長したのだから、同じ事で困っている仲間がいたら、手助けしてあげてという結論の持って行き方が理想だと言えます。

 小さな問題を報告して、解決のために、みんなの前で報告してくれたことを褒め、それが彼らにとっても、他の子どもにとっても有益であることを示さなければ、小さな問題を報告してくれる子どもがいなくなってしまうからです。問題の解決とは、誰が悪いかを決めるのではなく、その場にいる皆が成長できることであるとの認識が必要になってきます。

 このような形で、小さな問題を小さいうちに解決することで、個人としても、集団としても、子どもたちは成長することができるようになります。しかし、実際に何でもかんでも思い通りになるはずはありません。

 こういった指導を続けていても、知らないうちに悪質な「いじめ」へとエスカレートしている問題があるかもしれません。

 そこで、そういった可能性を考慮して、「いじめ」の始まりから「解決」までを子どもたちに体験させる授業を行ってみると良いと思います。これまでの経験から、題材には事欠きませんから、それを活用して、子どもたちに、それぞれの状況でどのような行動が適切かをアドバイスしていくのです。その中で、悪意が感じられる場合は、大人に絶対に報告すること、という事を強く訴えておくことが、取り返しのつかない事態に陥るの防いでくれると思います。

 「いじめ」は例えるなら「火事」と一緒で、人間が生きていく上で、決して無くなる事のないものだと思います。そして、「火事」と一緒で、消火の役目を担う人間がいることで、被害を最小限に食い止め、時には命を守ることもできます。

 「いじめ」はなくすものではなく、解決するものとして、この人間社会に存在する、人間同士のトラブルなのだと私は思います。

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