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水に浮く話
お風呂の入浴剤に「花王のバブ」という製品がある。
これを入れると、お風呂から出た後も体がポカポカして気持ちが良い。
小さな石けんのような固形物で、お風呂に入れるとジュワーと泡を出して
少しづつ溶けていく。
このジュワーと出るのが炭酸ガスらしく、体を温める効果があるらしい。
不思議なのはこのバブ、はじめはお湯の底に沈んでいるが、段々溶けて小
さくなると水面に浮かんでくるのです。
小さくなると比重が変わるとも思えないのですが、どうして浮くのでしょう。
周りを空気で囲むから、それが持ち上げるのでしょうかねぇ。
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僕らの自由
オフコースの「さよなら」という歌に「僕らは自由だね、何時かそう話したね」というフレーズがあります
が、考えてみれば自由って、一体何なんでしょう。
モーゼス・ヘスは、資本主義社会は、「自由意志で自分の自由を売らなければならない」社会だと言っ
ています。つまり、強制的に働かされ、自由を失うのではなく、「自らすすんで自由を失って行く」のです。
→ ね、実に悲しいでしょう。 本来は価値のない貨幣の前に膝まずき、自ら進んで自由と人間らしさ
を失ってい くのです。
僕らは働くのが嫌なのではなく、企業のルールに縛られて働くのが嫌なだけなのですが、現代社会
では、そうするより、生きる術が無い。
現代社会は、拡大生産の結果として商品を使い捨てていく社会です。全ての物が新しく作り替え
られ、全てのものか゜古くなり、全てのものが捨てられていく経済社会にあっては、僕ら自身も、この
社会の中で古くなり、使い捨てられるという不安を何時も抱いて生きて行かざるを得ません。
→ つまり、自給自足で山に籠もって暮らす生活でもしないと、自由は味わえないのかもしれない。
奈良時代には、自由のため、山の中の草庵で一人暮らしをする僧が多かったようです。
まあ、本当は、その方が人間として幸せなのかもしれません。
僕らは、自由は、金銭や地位によっては手に入れられないことを知りながら、金銭や地位を
持たないと不自由だと感じるような、堕落した人間になってしまった。
だから、何時も不安感にとらわれて生きている。
→ このままでは、幸せと思える人間は殆どいなくなることを、僕たちは少しずつ気付き始めている。
結局、自然と個人、社会と個人、個人と個人がよりよい関係を築き、拡大生産を止めない限り、
僕らに自由は来ないのです。
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哲学のお話 観念論の起源 = アニミズム
今回は、哲学のお話です。
ナニワ金融道」の作者・青木雄二が、唯物論で物事を考えないと、まともな人生は歩め
ないと書いていたので、哲学の書を紐解いてみた。
すると、世の中には、唯物論ではなく観念論が渦巻いていると書いてある。
そもそも観念論の起源は、アニミズムにあるそうです。
【以下、その内容】
アニミズムは、霊魂の不死という、霊魂を特別なものと考えたところが発端。
原始人は、人間が必ず死ぬということを知らなかったようです。
そんなアホなと思うかもしれませんが、原始時代では人口が少なく、少数のグループで生活
していたことや、老衰で死ぬのではなく、怪我や病気で死んでいくから、そういうことがなければ
いつまでも生きられると考えたそうです。
そのため、眠っていることや気絶していることと死との区別がつかず、夢の中で色んな人に会
ったり、あちこち遊びに行くことは、霊魂のせいであると考えたようです。
つまり、我々が目覚めているときは霊魂は体の中にいて、眠っているときは霊魂が体から出て、
あちこち遊びに行くと考えたわけです。
→ 人間は、霊魂が中にいるから動けるのであって、霊魂がいなくなったのが死である。
そして、肉体は死んでも、霊魂は死なないと考えた。
肉体は死んでも、霊魂は死なず、あちこちを永遠にうろつき、悪いこともすると恐れられた。
この困った霊魂を鎮め、あがめることが宗教となつたそうです。
ふむふむ、かなり納得できますねぇ
次に、我々が意識していると思うのは、霊魂が意識しているのであり、それは絶対的なもので
あって、これが観念論に通じるようです。
むむ難しい。 → 本来、我々は自分の手とか足とか、お腹の調子は感じることができるが、
脳の存在は意識できない。だから、脳が考えているのではなくて、霊魂が考えていると考えたの
でしょうね。
→ やっぱり、唯物論が正しいような気がする。
我考える故に我ありというのは、なんか変ですものね。だって、考えなくなったって、我は
朽ち果てるまで存在しますものね。
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高速道路の渋滞 
今日は1月3日、 山陽自動車道を走ったら、Uターンラッシュのピークらしく、あちら
こちらで渋滞が生じている。
しかし、この渋滞のしかたが分からない。
トンネルの入り口とか、なんてことのない所で渋滞が生じている。
トンネルのところで、道路が2車線から1車線になるのなら分かるが、トンネルも2車線だし、
なぜあの辺で渋滞が生じるのだろう。
道路公団の渋滞情報を調べると、毎年渋滞するところは同じ場所のようだ。
でも、その場所を見てみると、普通の2車線の道路であり、原因が分からない。
道路というのは、一度渋滞が発生すると、なかなか回復しないものなのうだろうか。
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おんぶバッタ 私の家の庭では、小さなバッタを背負ったバッタをよく見る。 まるで、親亀の背中に子亀を乗せているような風景なのです。 たぶん、これは夫婦のバッタで、下の大きい方がメス、上の小さいのがオスなのではないかと想像しています。 だって、だいたい動物、特に昆虫は、夫婦の営みのときにオスが上に乗っている????? 問題は、なんで何時までも乗っている必要があるのかということ。 用が済んだら、降りればよいのに何時までも乗っている。 大きさが違うとはいえ、結構重いでしょうに。 ただし、そもそも私は、バッタが夫婦の営みをどのように行うのか知らないから、いい加減なことを言っているのかもしれません。 そこで、知っている人がいたら教えて欲しいのです。 次のコトを知っている人がいたら、是非、掲示板に書き込んで教えてください、お願いします。 @おんぶバッタは、夫婦なのか。 Aどうして、背中に乗っているのか。 Bバッタの夫婦の営みは、どのようにして行うのか。 |
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不思議なスイカ
畑に勝手に生えたスイカらしきもの。
グングン育つので、水をやつたり世話をしていたら、大きなスイカが5個も実った。
そこで、収穫して、切ってみると見かけはスイカなのに、とても食べれそうにない。
切り口の匂いが、なんとなくカンピョウに似ている気がする。
スイカの台木には、ゆうがお(カンピョウ)を使うらしいから、カンピョウとスイカの雑種
ができたのだろうか。
一体これは何なのか、誰か教えてほしいものです。
知っている人がいたら、掲示板に書き込んでください。お願いします。
ひょつとして、効能あらたかな成分を含んだ新種だったらうれしいなあ。
下の写真は、そのスイカもどきと、半分に切ったもの。それと葉っぱです。
ね、誰だって、スイカと思うでしょう。
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ホモ・フロレシエンシス
以前から、不思議に思っていることがある。
ジャワ原人などの原人が滅び、ネアンデルタール人などの旧人が滅び、クロマニョン人などの新人だけ
が、なぜ生き残ったのだろうかということである。
最近では、新人の発生は、10万年前からサハラ砂漠以南にいた旧人の一派が進化し、約5万年前に
アフリカから中近東に出て、やがて世界に広がったと言われている。
そうすると、新人は旧人と戦い、皆殺しにしていったのだろうか。
新人は、弓矢などの戦闘用の武器をもつていたと言われるが、それで戦い旧人を殺したのだろうか。
旧人と共存することはできなかったのだろうか。
もし、共存できなかったのだとすると、我々の中から超新人が発生したとき、我々は地上から姿を消す
運命となっているのだろうか。
人類の進歩は、そうならざるを得ないものなのだろうか。
最近、インドネシアのフローレンス島で、ジャワ原人から分かれた新種原人が発見された。
この新種原人は、「ホモ・フロレシエンシス」と名付けられ、少なくても1万8千年前までは生存していた
らしい。
原人といえば、150万年前に誕生し、20万年前に絶滅したと言われているのにだ。
フローレンス島が大陸と隔てられていたため、ホモ・フロレシエンシスは体を小型化(身長1〜1.5m)して、
発達、生き延びてきたらしい。
これは、いずれ時代遅れの人種となる我々現世人類も、ひょつとしたら超人類が発生した後も生き残れる
のではないかと、淡い期待を持たせてくれるような気がした。
優しいネアンデルタール人の二の舞にならなくて済むように、切に願う。
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男と女はどうして必要なのか?
できれば、「人生を空虚にしないための神様の思し召し」とロマンチックに考えたいのですが、どうも
生物学的にはチョツト違うみたいですね。
結論を先に言ってしまうと、進化のためのようです。
男の女の営み、つまり有性生殖は、新たな遺伝子の導入のためであり →進化につながります。
優れた遺伝子とそうでない遺伝子(それなりの遺伝子と申しましょうか?)が合わさると、優れた遺伝
子の部分だけが発現し、優れた個体として生き残れるのだと思います。
−−でも、貴男、じゃあ有性生殖を沢山した方が勝ちだなんて、変な考えに走らないでくださいね−−
これに対して、有性生殖は若返りのためだという説があります。無性的に細胞分裂を繰り返すと、細胞
活性が著しく低下するため、それを防ぐためためだと言う説です。
だけど、アメーバーのように、永遠に分裂を繰り返すことが出来る生命もあるのだから、遺伝子の本来
の目的である種族保存のためには、有性生殖ではなく無性生殖の方が合理的なのです。
結局、有性生殖に動物がなったのは、進化のためだということに落ち着くのです。
だが、有性生殖には悲しい結果が待っています。
それは、死ななければならないということです。
その証拠に、ゾウリムシは分裂により増えていきますが、接合(有性生殖)も行います。
つまり性があるということですね。このゾウリムシは一定の分裂を繰り返すと死んでしまうのです。
一方、接合を行わず、分裂だけで増えるアメーバーは、永遠に分裂を繰り返すことができます。
たぶん、有性生殖により進化していくためには、その親であるものはじゃまになるのでしょう。
進化した個体と、進化していない個体が混ざり合うと、先祖返りを起こしかねませんからね。
残念ながら、生命は進化をするために、死ななければならない運命を背負ったのです。
だから、永遠の生命を求めることは、神の摂理に反することかもしれません。
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人類の出発
人類はアフリカで生まれ、世界に広がったという説と、人類は各地域でそれぞれに進化したという説
があるが。DNA解析の結果などもあり、現在では出アフリカ説が優勢になっている。
われわれ東アジアの新人は、ジャワ原人だという説があったが、国立科学博物館などがインドネシア
と共同で行った結果、ぼくたち新人とは別の、独自の進化を遂げたことが解明された。
これで東アジアのホモ・サピエンスも、ルーツをジャワ原人ではなく、アフリカに求めることになる。
そのジャワ原人も、およそ200万年前にアフリカで進化したホモ・エレクトス。
そう、出アフリカはただ一度ではなく、少なくとも旧人時代のホモ・エレクトスとぼくたち新人であるホ
モ・サピエンスの二度は行われている。
昨年は出アフリカ説にも転機があった。脳の小さい原人の化石が旧ソ連のグルジア共和国で見つ
かったことで、大脳が発達して知能を得てからアフリカを出たという説が揺らいだのだ。
700万年前のトゥーマイ猿人の化石も、人類発祥の地から2500キロも離れた地で見つかっている。
なんだか人類はみな、発祥の地を離れるのに駆け足だった様子。出アフリカも、何度も繰り返され
たかもしれない。
それにしてもなぜ、人類はアフリカを離れたのか。人類学のウィリアム・レナード博士は、肉食を始
めたことで、草食と比べ広い縄張りが必要になり、活動範囲を広げたと推測している。なるほど、そう
なのかもしれない。
ただ、アフリカからの遠い道を思うとき、ふと、理由などない、外を目指すことは、ぼくたちが生きて行
くことと同義じゃないかと、そんなことも思う。
そしてきっとぼくたちは再び立ち上がり、宇宙へ向かうのだろうと。
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人類を進化させたモノ
人の細胞には核があるが、核の起源はウィルスとする説もある。
人間のように、真核生物のDNAはタンパク質でくるまれている。これはウィルスに共通する特徴だ。
原核生物がウィルスに感染し、真核生物となったのかもしれない。
ウィルスというとインフルエンザウィルスなど悪役のイメージだけれど、どうやら進化の過程で大きな
役割を果たしてきたらしい。
ウィルスは絶えず複製し変異を起こしている。多様な遺伝子を生んでいるわけだ。そしてウィルスは
宿主を渡り歩く。インフルエンザウィルスならトリやブタやヒトと種を超えて。
このとき、有益な遺伝子は宿主のゲノムに取り込まれることがある。生物の変化のゆったりしたこと
を思えば、ウィルスが進化に及ぼした影響はあなどれない。
ウィルスは生命ではないとされる。タンパク質を合成するなど増殖に必要な過程をすべて宿主に頼っ
ていることなどが理由だ。
これまでその存在は、生命とは何かという議論を活発化させてきた。
生命を定義するなら、誕生から死亡までの期間とするのがまずは無難で、つまり死があるからこそ生
きているという、ある種の哲学論になってしまう。
そして今、ウィルスは進化とは何かと問いかけている。生物の進化が、ウィルスという非生物に多く拠
っていたという考え方は刺激的だ。
同じ構造を文明にあてはめるなら、文明を進化させてきたのは果たして人類という主体だけであった
かという問いにもなる。
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世界最古のハガネ ![]()
トルコのカマン・カレホック遺跡で発見された鉄片は、紀元前20〜18世紀に造られた最古のハガネ
だそうだ。
鉄よりも強靱なハガネを造り出すには、高度な製鉄技術が必要らしい。
メソポタミア文明の影響を強く受けたため、金属の製錬技術が発達した。
紀元前20世紀といえば、中国の殷もまだ発生しておらず、日本では石器時代だ。
世界の三大文明の発生というのは、比較的時代が近いだけに、文明相互の交流があったような気
がする。
だけど、あの地理的距離というのは、歩いて行けるような距離なのだろうか。
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子供の頃、私は、海のそばに住んでいた。
あの頃は、魚も豊富で、サザエもアワビ、ウニもいっぱい採れたんだ。
取れたてのウニを割って、海水で洗って食べると、甘くて....ネ。
あれを食べると、寿司屋のウニは食べれなくなってしまう。
話が脱線したが、そんな私がある日、いつもの釣り場に行ってみると、生憎、大潮で潮が岸辺まで
来ていた。
波は穏やかで、海の底まで良く見えた。
だが、海の底をよく見ると、いつもとは雰囲気が違うのだ。
なんだか、海底がキラリキラリとしている。
じっと目を凝らしていると、不思議な光景が見えてきた。
海の底には、ウナギの姿に似た体長30センチメールぐらいの透明な魚が無数に漂っているのだ。
体は透明だが、目だけは黒く、ヒレはゆっくりと水をかいている。
たぶん、何千匹もいたのではないかと思う。
棒でつつくと、魚の体は簡単にちぎれてしまった。
まるでクラゲが魚になったような感じだった。
それ以来、その魚を見ることはなかった。
あの魚は何だったのだろう。
もう一回見て、確認してみたい。
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中学生の頃から、私が屋外で遊んでいると、白い羽ねに少し黄色い模様の入った珍しいモンシロ
チョウがまとわりつくことがあった。
何回か追い払っても、逃げないのだ。
不思議な蝶だなと、あまり気にも留めなかったのだが、ある日、だれかの本で、「亡くなった人が、
蝶に乗り移ってときどき現れることがある。」ということを読んだことがある。
実は、私の父は、私が小5の時に他界したのであるが、どうも、それから珍しい蝶が現れるように
なった気がする。
たぶん、父とすれば、私たち3人の幼い子供を残して逝くことが、すご心残りであったとだろう。
あの蝶は、父が時々訪ねてきてくれるのだと思うこともある。
そんな馬鹿なことがあるかと思う気もあるが、その蝶は私の人生の節目の時に、どこからともなく
飛んで来て、そして去って行く。
学校の卒業の時、就職試験の時、そして長男が遠くの大学に行くために家を出発する日などに、
思いがけず現れ、近くをしばらく飛び回った後、こころ惜しそうに飛び去って行くのだ。
この話は、たぶんだれも信用してくれないだろうから、話したことはないのだが、人生には、不思
議な出来事がある。
単なる偶然かもしれないが、あれは紛れもなく父なのだとも思えるのだ。
そういえば、あの珍しいモンシロチョウは、私が大人になるにつれてだんだん現れる回数が減って
きたような気がする。
父も安心したのだろうか?
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時間の始まり 
先日、時間展なるものを見学にいつた。
宇宙飛行士の毛利さんの講演があつたりして、楽しかった。
時間展の展示物に、時間の本質のようなものがあり、妙に納得してしまったので紹介
@ 時間の始まり
時間は、宇宙の性質である。星は天上をめぐり、太陽は明け暮れを繰り返し、人を待たず歳月
はひたすらに過ぎてゆく。
宇宙はビッグバンが150億年前に起こって、始まり、すさまじい勢いで膨張している。
時間が宇宙の性質ならば、宇宙がなかったビッグバン以前には時間もなかった。
時間は宇宙の誕生とともに生まれ、いずれ、宇宙が消え去るときには消え失せる。
A 時間は逆転しないのか?
時間が逆転しないということを説明するために、よくエントロピー増大の法則が持ち出さ
れる。
世界は多数の粒子から出来ていて、それは秩序から無秩序へとしか変化しない。
部屋は散らかったら、汚れていくだけで、掃除をしない限り綺麗にはならない。これがエントロピ
ー増大の法則である。
だから時間は、過去から未来へとしか流れていかないという。
でもそれは確率的なことだから、極端に少ない確率ではあるが、時間が未来から過去に流れる
ことがあるかもしれない。
B 時間のたつ速さ
時間の経過に関する認識は、記憶した出来事の数に比例している。
記憶に残ることが沢山あった時間は、後から振り返ると、時間がゆっくりと流れていたと感じ、な
にも記憶すべきことが無かった時間は、あっという間に過ぎ去ったように感じる。
記憶は印象の深さや感動の強さによって蓄積される量が変わる。
だから小さいことにも感動を感じる子供の時は、ゆっくりと時間が過ぎ、なにも感動することなく過
ごしている大人の時間は、矢のように過ぎ去って行く。
だから、何事にも好奇心を失わず、新しいことに挑戦し、感動する気持ちが、貴方の人生を素晴
らしいものにする。
C 名人の間
歌舞伎や落語の上手・下手は、しゃべらない時間、間の取り方にあるという。
人の心に感動を与えるのは、言葉と言葉の間の不思議な魔力にある。
芸人は、この間の習得のため、不断の稽古を積み重ねる。
音楽を聴いて受ける感動も同じかも知れない。
なぜ、セリフの間の時間が人を陶酔させるのだろうか。
人間の呼吸や心臓のリズムとの関連で解き明かそうとする研究者もいる。
D 遺伝子に残る時間
気の遠くなるような昔、地球に生命が産まれ、それがDNAにより自己複製能力を取得したとき、
生命は自己を記録する方法を手に入りれた。
進化に成功した生命が、遺伝子に成功した記録を残していった。
そのとき、なにも新しい遺伝子ばかりを利用したわけけではない。
自分の持っている遺伝子をコピーして、そのコピーをちょっと変えて、別の目的によく利用した。
使わなくなった遺伝子をそのまま捨てずに、DNAを長くしていった。だから、我々の遺伝子は、D
NAの鎖の中では、わずか2〜3%しか占めていない。後は使わなくなった遺伝子や、ただの穴埋
めのDNAである。
絶滅した生命の失敗の歴史は見ることができないけれど、DNAの中には、生命が今までたどっ
てきた進化の歴史が書き記されている。
吉田拓郎の歌に、「明日になれば明日がくるのか、そいつは誰にも解らない。」 というフレーズがあり
ましたが、時間というものは不思議です。
私の明日と、貴方の明日は、全く次元の違う時間かも知れません。
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世の中の人は、宝くじの確率を信じていないのか![]()