直線上に配置

バナー
      落ち込んだ人を元気にするお話を掲載しました。
    これを読んで元気になってください。
     ファイト!(次のジャンル別になってます、絵をクリックしてね)
       アイコン
家庭を元気にする話
      アイコン
サラリーマンを元気に
       アイコン
その他の人を元気に

直線上に配置         

家庭を元気にする話

直線上に配置

 心の持ちようと現実    

『<転んでもしめた>という生き方』
 多くの人は、事が上手くいかないとあわてふためきます。しかし、転んでもしめたという考え方を知っていると、そんな
ときでもうろたえずに、新しい事態に対応して積極的に生きることができるようになります。
 「私達が何かやろうとして上手く行かなかった場合、<転んだら大変、失敗したら大変>なんて思えるほど、未来のこ
とが見えるのか」というのが私の考えなのです。

 子供の頃、私はある公立中学の受験に失敗し、私立の中学に泣く泣く通学しました。
 しかし、今考えると、もしも公立中学に合格していたら、日頃から勉強もしていなかった私ですから、そこでは落ちこぼ
れになったに違いないと思います。
 その後も、私は色んな学校を受験するなど、何度も<人生の岐路>に立ちましたが、大人になるにつれて、「人生の
予想はそうそう予見できるものではない」と思うようになりました。
 私が落ちた中学に合格した人の中には、今度は私が合格した高等学校に不合格となった人もいます。
 多くの人々は、「一流会社に入るためには、一流大学に入ることが大切だ」などと言いますが、それは確率的にも怪
しいし、まして自分や自分のこどもの場合はどうかとなると全く怪しいと言わざるをえません。

 私は大学院を出て研究所に勤めて以後も、色々な岐路に立ったときがありますが、そんなときはほとんどいつも、「ど
んなによく考えても<どちらに決まった方がいいか>私にはわからない」というのが、結論になりました。
 いくら考えても先が見えないとなったら、偶然によつて決めてもらうのが一番です。そこで私は、「どちらに転んだら、そ
れがどんな良いことがあるか」ということを考えて事を選ぶことを覚えたのでした。
 私達は、ときとして「この場合は、こうなった方が良いに決まっている」などと思いがちです。しかし、よくよく考えて見る
と、なかなかそうではないようです。色々な条件を考えてみると、
たいていの場合<どっちに転んでもしめた>なのです。

『<心の持ち方>というもの』
 心の持ち方といっても、お腹が空いたとかの物質的な問題を心の持ち方で解決することは無理です。
 しかし、最低の物質的条件さえ整えば、心の持ち方一つで、幸せにも不幸にも思えることが少なくないようです。
 生き方の下手な人は、なんでも不幸と考える傾向があります。

 いや、なんでも不幸と考えたがる人のことを「生き方の下手な不幸な人」と言うのでしょう。 

以上は、板倉聖宣(いたくらきよのぶ)さんの「新哲学入門」という本からの抜粋です。
悟りに近いものがあり、若いうちは、受け入れにくいところもありますが、年を取るとなるほどと思います。
ある事に少しでも嫌なことがあると不幸と思う人もいます。周りから見ると、すごく恵まれた人なのにです。
すごく良い職場でも、一人の意地悪な人がいると不幸に感じるものです。
良いところ、幸せと思えることを見つめることが、幸せになる秘訣なんだと思います。 

直線上に配置
【福の神様をだまして、いい笑顔をつくろう

 ある老舗のお菓子屋では、女将の笑顔を慕ってやってくる客も多い。
 女将に会うだけで元気になる人もいる。
 いまでは押しも押されぬ女将だが、実家はサラリーマンの家だった。
 老舗の商家へ嫁いで色んなことに戸惑い、もう耐えられない実家に帰ろうかと迷っていた時、夫のお婆さまにこう言われたそうである。

 「そんな暗い顔をしていたら、寄ってくる福も逃げてしまいますよ。貴方のためにも店のためにも良くない。今、実家に
帰るのが悔しいのだったら、一年間だけ笑顔で頑張ってみたらどうか。自分の疲れた顔はかくして、本心なんて人には
絶対に見せないぞと、面だけでもつくってやってみなさい。 福の神様にも嘘をつくつもりで。 それでもだめだったら、
帰りなさい。」
 女将は、次の日から笑顔と挨拶だけは心がけてみた。
 すると、女将の評判は上がりだし、客も「いい人が来たわね」と話して行くと、お姑さんたちの機嫌も良くなり、店の人
たちの態度も変わってきた。

 「福の神様をだますつもりで商売用の笑顔を作ってきたつもりだつたけれど、今ではこれが地になつて、落ち込んで
いても、他人様の前では、落ち込んだ顔ができなくなってしまったことが難点ですわ」

 と今では女将が笑うようになり、まるで女将が福の神になってしまつたようだ。
 女将は、子供達に「何の縁があるかも知れないのだから、外に出たら、笑顔としゃっきりした姿でいなさい」と言ってい
るそうだ。
 笑顔は人のためならず、巡り巡って自分に返ってくる。
 だから、笑顔のいい人は元気なのだろう。

                  (斎藤茂太「あなたと会うと元気になる」より)








直線上に配置
サラリーマン
直線上に配置直線上に配置直線上に配置
人生に予選落ちは無い。(若い人は、立ち止まって考えない方がいい。)

僕は本当に悩みながら動き、ここまで仕事をしてきたのですが、現代の若い人たちは、人生や仕事に対して真剣に考えるが故に動けなくなるようです。
 自分のやりたいことが分からない、定まらないという時、どうしても次の一歩が踏み出せなくなってしまう。
 でも、「人生はゴルフとは違う。」と僕は思っています。
 ゴルフは、遠くにある穴に自分のボールをいかに少ない打数で入れるかを競う。
 一打目をあらぬ方向に売ったら、どんどん打数が増えて予選落ちです。
 けれど人生では「打数」を考える必要はない。

 第一打をとんでもない方向に打ったとしても、第二打、第三打と次々打って、ゴールに近づいて行けばよい。
 失敗を恐れてじっと立ち止まっているだけでは、経験値が少しも得られないのです。
 しかも人生はゴルフと違って、最終ゴールであるピンの位置が動くこともある。たとえ一打目が最初に目指していた
方向から大きく外れてたものであっても、あれこれと悪銭苦闘しているうちに、「案外、自分のやりたいことは、こっち
に近いかも知れない」と、ピンの位置がどんどん動いていくことが人生だと思うのです。
 僕の場合も著書「五体不満足」の出版がとんでもない第一打(笑い)。自分ではコントロールできない程、方向違いの
遠くに飛んでしまったが、必死になって動くことで、少しずつ進むべき道が見えてきた。
 動けば本当に視界が変わる。自分の経験からも、立ち止まるな、うずくまるなと言いたい。
 
 失望を重ねる機会を奪ってはならない。
 人生の中では、失敗する、傷つくということは、実は大切なのではないか、と思っています。
 でも現代は、周囲が子供の失望の機会を奪っているように思えてならない。先日、作家の重松清さんが「今は、小さ
な失望をさせないが故に、大きな絶望を与えてしまっている」とおっしゃつていました。これはとても意味の深い言葉だ
と思うのです。
 普通に小中学校時代を過ごしていれば、失望を重ねる機会は多くあります。今度こそ一番と必死に勉強しても、やっ
ぱりあいつにはかなわないとか。サッカーの練習量は誰にも負けないのにレギュラーにはなれないとか。容貌への失望
もありますね。運動会で保護者がこられない家庭があるから、お弁当をやめて給食にするなど、先回りして配慮してしま
う時代。
 僕は、子供をあえて傷つける行為は決して許せないけれど、ただ普通の生活の中で失望したり、傷ついたりする場面
まで先回りして排除ことには賛成できないのです。
 温室で育てても、社会に出たらそんな配慮はない。
 人格が形成される時期の小さな失望経験がないから、若い人は社会に出て受け止めきれない絶望の前に動けなくな
る。   
 失望するのは当たり前、と考えて欲しいのです。
 
 朝日新聞に掲載されていた、「乙武洋匡」さんの仕事に関する考えです。

直線上に配置
貴方に残された時間は、そんなに長くない。

「生きることをやめる土壇場になつて、本当に生きることを始めるのでは、時すでに遅いのではないか。」
  (セネカの言葉より)
 貴方が貴方のために生きるのは、人生の先が見え、気力もある50歳前後が良いのではないか。
 現在の仕事の成果にも満足ではないが、もう新しいことはできそうにない。世間的には今のままで勝負しかない。
 だが、まだ人生の手応えを何も掴んでいない。

 百億年以上におよぶ宇宙の歴史において、この二十世紀後半にいたって、やっと、それもたった一度だけ与えられ
た生命なのに、そして後は宇宙の終焉まで、いや永遠に何事かを感じたり考えたりするチャンスは与えられないであろ
うに、このままアクセク働いて死んでしまうのだとしたら、なんともったいないことであろうか。 
 だが、まだ時間は残されている。
 「自分がたまたまこの地上に生まれてきて、まもなく死んでしまわねばならない不条理」について、考える時間は残さ
れている。
 「人生とはなんなのだろう? そして、ほんとうに死んだらどうなるのだろう?」それを探求する時間は残されている。
 50歳ぐらいのほとんどの人は、出勤前にネクタイを締めながら、あるいはホロ酔い気分で我が家の明かりを実なが
ら、ふっと一瞬、こうした疑問に取り付かれるのではないか。
 そして、すぐに、そんな考えを「青臭い馬鹿げた考えだ」として、頭から払いのけている。
 
 (哲学的生き方のすすめ 「人生を半分降りる」より)
直線上に配置
「まわりと比較して卑屈になるなんてツマラナイ」

他人のしていることや、他人にどう思われているかが気になって仕方がことがある。
 自分の仕事に対する他人の評価が気になり、また、他人のしている仕事が羨ましくなる。
 「上司は私のことを認めているのだろうか」
 「自分は周りから出来ると思われているいるだろうか」
 こんなことばかり考えているのは、自分に自信が無いからだろう。
 「なぜ、あの仕事は自分ではなくて、涸れに任されたのか」
 「あの人のしている仕事は、私の仕事より面白そうだ」
 こんな考えに支配されて苦しむのは、会社でのポジションに不満が有るからだ。
 自分に自信が無ければ落ち込んでしまい、ますますやる気を無くしてしまう。
 さらには、「こんな企画を出しても、バカにされるだけだろうな」、「どうせこんな提案は通らないさ」
 と、自分の気持ちよりも他人の評価を優先して、行動を鈍らせてしまう。当然、自分のことは卑下して見ることになる。
 こうなると大変だが、解決方法は意外と簡単だ。

 まず、余計なことは考えずに、今やるべきこと、与えられていること、やりたいことをきちんとやることである。
 自分に対する評価は自分自身で下すものだと、自らを納得させることだ。
 自分で良いと思っていればいいじゃないかと、自分に対してほどよい居直りをする。
 人間というものは、他人のことばかり気にしているうちに、自分を見失ってしまうものである。
 自分のすべきこと、したいことが分からなくなってしまう。
 やがてそれが態度にも表れ、オドオドしたり、卑屈になつてしまうことになる。
 また、意味のない比較をしないことである。同期の出世の動向、他社との給料の比較など、他人のことは、どうだって
いいじゃないかと思うことが大事である。
 人に負けたくないという気持ちは、物事を成功に導くエネルギーともなる。しかし、そのエネルギーが「負ける恐怖」と
の戦いに振り向けられると、気持ちにゆとりがなくなり、緊張で疲れ果てる。
 人と比べて、自分の欠点をあげへつらっても仕方がない。人生を明るく生きるためには、自分を肯定的に見ることが
大切なのだ。
 自分を信じてリラックスしていれば、実力も発揮できる。
 現実を楽しもうと思う姿勢があれば、楽しみが見つかる。そうしているうちに、好きな仕事や自信を手に入れることが
できるものだ。
 人との競争にほどツマラナイものはない。人生に比較はいらないのである。

   (斎藤茂太「もういやだ!と思ったときに読む本」より)
直線上に配置
「単調な仕事を真面目にすることが大事なのです」

 上司から人望を得たいと思ったら、単調な仕事をコツコツと真面目にこなすことです。
 派手なファインプレーをするのではなく、ノーミスで仕事をすることが大事です。
 人は目立とうと思うと、派手なファインプレーをしようとしがちです。
 本当は、ファインプレーは危険と隣り合わせなのです。
 ファインプレーは技術的には難しいし、誰でもやりたいと考えています。
 けれど、実は、精神的には楽なのです。
 ファインプレーは、失敗しても責任を追及され難いのです。
 「今のは撮れなくて当たり前だよね」と、みんなが思ってくれます。
 ファインプレーには、勝ちか引き分けしかありません。
 ところが単調な仕事はできて当たり前です。
 引き分けしか負けしか存在しません。
 単調な仕事を我慢して、キチンと仕上げることで、信頼をえることができます。
 派手なことをやろうとすると、実は、信頼を失うのです。 
 派手なことは上司にやらせてあげるという、広い心が人望に繋がるのです。


        (中谷彰宏 「人脈より人望のある人が成功する」より)
直線上に配置

野村證券とトヨタ自動車の違い
 これは、AERAに掲載中のグッチーさんの日記ですが、さすが鋭いところを突いてます。
 これからの日本が進むべき参考になるかも。


 プラザ合意(1985年)以降、日本はバブルに突き進んだ。
 円高で景気が悪くなるとういのは嘘だ。
 ドル円が1ドル250円から120円に突っ込んでいく過程でバブル景気(一般には1986年12月から1991年3月
あたりまでを指す)を迎えていることだけでもわかるだろう。
 さて、その最中。
 1988年に野村證券は経常利益日本一宣言を出すこととなった。このときの野村の経常が5000億円、トヨタも
5000億で、これからは金融の時代だ、だからトヨタを抜いて名実共に日本一、世界一をめざす、と高らかに宣言を
した。
 それはまさに「ライジングサン」の始まりであり、この後株価が急騰して行くにつれ、それを背景に野村證券はまさ
に世界制覇に乗り出すことになる。
 ニューヨークはもちろん、ロスアンジェルス、ヒューストンあたりまで駐在員を置き、シンガポールなど東南アジアを
筆頭に、更にインド、UAE,オマーンあたりまで総合商社並みのネットワークを作りあげることとなった。
 これだけ「金融の雄」が直接出てくれば当時既に中抜き商売が廃れ、「物流から金融へ」というシフトを完了してい
た総合商社から見ればこの野村の海外進出はとんでもない脅威に思われたし、事実開発途上国以外でのファイナ
ンスはことごとく野村が奪っていった。

 1991年は日本の時価総額を背景にした海外買収が相次ぎ、東京23区の土地総額でカリフォルニアが買える、
などと言ってはしゃいでいたのははこの頃である。三菱地所がロックフェラーセンターを買ったのもこの頃だ。
 野村以外の金融機関も同様で、勢いづく日本勢に押しつぶされる様に収益を悪化させていたアメリカの金融機関
は青息吐息、野村一社の時価総額はシティー、メリル、モルガンの3社を足して追いつくのがやっとだった・・・せめて
シティーだけでも買っておけば、今頃日本は世界の金融大国だった・・・・とつくづく思うのだ。

 もちろん製造業のトップ、トヨタもバブル景気に乗って絶好調だった。
 しかしバブル崩壊ですべてが一変する事となった訳だが、現在この両者はどうなっているのだろうか。
 トヨタは経常で2兆3000億円、時価総額は堂々の2160億ドルで世界第7位。
 一方の野村證券は経常5000億、時価総額は370億ドルで世界ランクでは100位にも入っていない。日本はバ
ブルですべてを失ったといわれるが、その意味では野村はすべてを失って、確かに経常は1988年に戻ってしまっ
た。
 しかしバブル崩壊後、しかもあれだけの円高の最中、実際円の最高値は95年4月、79円75銭をつけている訳
だが、、一番苦しい時期があったにも係わらずトヨタはここまで成長を続けたのだ。一体何がこの2社の命運を分け
たのだろうか?
 バブル崩壊直後、野村はこれはいかんとばかりに大転換をする。
 世界制覇の野望を捨て、本業回帰だ、まだ基盤の残っている日本の市場に資源を集中するしかない・・・とあれだ
けの海外ネットワークと投資と人材をすべて引き払い日本国内に集中した。しかも一番強い個人営業を強化すると
言い出したのだ。
 今思い出しても残念でならない。本業集中とばかりにせっかく芽を出しはじめた投資銀行業務、ボーダレスのM&A
などの部隊をすべて国内に引き戻し、彼らを支店で自転車に乗せ株の注文をとれ!! とどやしつけた。どれだけ
優秀な国際金融マンが野村を去ったか、言うまでもない。

  一方トヨタは歯をくいしばって海外の生産拠点を維持し、かつそれを拡大する戦略に出た。円高だから、やむを
えない戦略だったのだとしばしば理解されるが、今当時のトヨタのメンバーから話を聞くと内実はそんな消極的な話
ではなく、やむをえない戦略どころか今後10年20年を見据えた極めて勇気ある選択だったのだ。
 トヨタが考えたこと。
それはバブルの崩壊で国内のパイを争ってみても仕方がない。日本国内の需要は人口減で遅かれ早かれ飽和す
るのだ。
 これからの生命線は海外にある、ということで中南米などの人口増加地域への進出はもちろん、一定の基盤があ
った北米市場の強化、更にはそれまで基盤の弱かった、あるいはメルセデスに未来永劫勝てないだろうと思われて
いた高級車分野の欧州生産にまで一気に走ることになる。 現在のトヨタの指導層はみなこの頃の海外ネットワーク
のトップを経験しているというのは偶然ではないだろう。

 まさにこの海外戦略の違いにこそこの2社、野村とトヨタに象徴される金融業の凋落と製造業の興隆の原因があっ
た、ということを忘れてはいけない。 いや、金融業はとても海外で仕事になるような環境じゃなかったし、あれだけの株
価や不動産の下落を見たらだれも日本の資産など買う分けないだろう、という人が多いのだがばかも休み休み言って
欲しい。

 円高なのだ。現金ですら、10%以上の利回りでまわるのだ。
 ・・・・だから、この時期こそ海外で大いにPRをして海外の資金を寄ってたかって引っ張ってきて東京に持ち込むチ
ャンスが十分にあったのだ。その証拠にこの時期にモルガン、ゴールドマンなどの外資系が東京市場で一気にシェ
アーを奪ってしまった。
 日本の証券会社がどぶいた個人営業で自転車であちこち回っているうちに、大切な投資銀行、債券、株式にいた
るまで法人営業という法人営業がすべて食われてしまった。野村不在の証券業など赤子の手を捻るがごとく、「法人の
山一」が潰れてしまったのは偶然ではない。 
 海外からの円資金の流入があれだけあったにも係わらず、野村は野村で国内株に集中といいながら、一体だれ
が海外の投資家向けに株式銘柄の分析を提供していたのか。だれが企業を連れてIRをやったのか。すべて外資だ。
日本の証券会社は円高による海外資金の流入という千載一遇のビジネスをミスミス見逃していたのだ。

実際私はその時期に既に外資系にいたわけだが、海外の円資産への引き合いはものすごい勢いで、株式、日本国債
はもちろん、投資銀行業務など大量のビジネスがその辺に転がっていた。

よく思い出すのは当時BOEが、「JGB(日本国債)を買いたい、できれば日本一の野村證券とやりたいが、彼らはあ
まり積極的にセールスに来ないし、2000億円の国債は仕切れない(一回の取引ですべてを決めること)と言ってい
るので、あなた方(モルガンスタンレー)は仕切るというから仕方なく発注するよ」
 と言ってきたことだ。BOEから見れば日本の国債を日本の証券会社が仕切らない、というのだから面食らった事
だろう。世界中で国債を買っているBOEはびっくりしたに違いない。
 野村にしてみればそんなものを2000億も仕切って損をするより、国内の郵貯、簡保などにしがみ付いていればシェ
アーは守れるし、余計なことはしたくない、という事だったのだろう。しかし、これにしたって現在の国債の引き受けラン
キングを見て欲しい。上位を独占しているのが外資系ばかりではないか。

危機に際して世界に活路を求めたトヨタとうちに引きこもった野村。
まさに日本の製造業と金融業の今の姿を現しているということだ。ではこれから日本の金融業は何をするべきなのだろ
うか?      


  


    その他人を元気にする話      


「いい人は、本当は弱い人なのではないか」

 「いい人」「悪い人」という白黒の世界ないしは二分法で人間を考えることは、いささか単純化しすぎている。
 当然「いい人」であることが望ましいとしても、その中身は極めて複雑であり、「いい人」「悪い人」で人を見る二分法
は、用心しなければならない。
 よく観察すると分かるが、「いい人」であることとをもって、「私は弱いから、私を攻撃しないでください。」と身を潜め、
それがかえって自分を苦しめる原因となる。
 そういう人には、「いい人」だからこそ、人の役に立つことをし、そして自分の幸福にも役立つことができるというたくま
しさや生きる技術を身につけて欲しいと願うものです。
 それによって、「いい人」つまりは「弱い人」ということから離れて行かねばならないと考えるのです。

      (田沢静夫 「なぜ「いい人」は病むのか」より)
直線上に配置
「いい人は、正しいことを貫ける強い人」

 ある大学病院の著名な精神科教授が医局員を引き連れて回診をする際、自殺未遂をした若い女性患者に対し「君
はなぜ自殺したんだ」と、無神経に聞いたそうです。
 その患者は、みんなの前でそれを聞かれたことに腹を立てて、教授が謝るまで部屋を出さないとドアの前に立ちふさ
がった。
 教授も困り果て、担当医師を呼び「この患者がこれ以上荒れては困る。すぐに退院させろ。」と命じた。
 担当医師は、しかたなく女性患者を説得して退院させたが、彼女の主張がもっともであり、教授は精神科医として、こ
の問題にきちんと対応しなかったことに怒りを感じ、結局、その大学病院を辞めた。
 このような場合、いい人は誰で、悪い人は誰かということは分かるだろう。
 しかし、世間では「いい人」が必ずしもうまく生きられないことを誰でも知っている。
 しかし、一人でも強い信念を持って「正しい」と思うことを貫ける人が増えることが、世の中を良くすることは確かである。
 おそらくこんな例は、世の中に山とあるに違いない。
 そして、表面だけで人を操作するうまさ、媚びをうるうまさ、上にはぺこぺこし、下にはきつい嫌な上司、そうした人が
沢山いることは誰でも知っている。実力が無いのに出世していくのは大体そんなタイプの人だ。
 しかし、本当に上に立つ人は、このような戦略だけで上にたって欲しくないものだ。
 本当に人の心がわかり、そしてしかも実力のある人が上に立たない限り、私達の社会の効率は、きわめて悪いもの
になり、また、モラルも秩序も崩れてしまうものと考えられます。

           (田沢静夫 「なぜ「いい人」は心を病むのか」より)  
直線上に配置

直線上に配置