@JR豊肥本線肥後大津駅 (各所の見学時間は含まれていません) |
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熊本、阿蘇、間の中間地点として、空港も近く利便性があり、菊池,山鹿、方面へバスが運行されている。駅周辺には、ビジネスホテルが増えてきつつあり、活気が高まっている。
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文明の頃(1469〜1487)に山伏が小庵をむすぶ。六地蔵、宝暦2年(1752)建立:苦患を救う六道毎の地蔵芭蕉句碑、芭蕉百年忌の寛政5年(1793)に建之, 合志三十三ケ所観音の16番札所である。 |
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上寺とも言われ、大山住職が営まれている。旧国道325線沿いにあり,
桜の季節になると、すだれ桜が見事に咲き通り行く人に感動を与える。 |
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承応2年(1653)古城萩の尾城主斉藤氏の末葉祐円が、熊本西光寺の末寺として建立,現在8月20日に毎年、子供の参勤交代徒歩の旅が、立ち寄り、お世話になっている、光尊寺橋:文化12年(1815)に下内田石工の作と石柱に刻銘してある。 |
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E御高札場跡(ごこうさつばあと) 光尊寺より徒歩約3分 |
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藩の掟書、会所の触書等を掲示、又,年中溜置罪人の晒場。米田監物鹿狩りの折は、矢開場に使用された。 |
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F大津手永会所跡(てながかいしょあと) 御高札場跡より徒歩約2分 |
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寛永年間より、明治3年に至るまで「大津手永」の政治を行う藩の会所(役所)が置かれていた。会所内(約1万u)には、行政、教育、武道、警察、御蔵、等の施設があり、藩の重役が泊まる「御客屋」と言う宿所があった。 |
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G馬繋石 (うまつなぎいし) 大津手永会所跡より徒歩約2分 |
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石の上部に丸く穴を開け馬を繋ぎやすくしたものと考えられます。 |
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正保元年(1644)上大津古宮の地に,近江の東坂本宮から分霊,勧請される。建社の由来は、国主の参勤交代の安全鎮護の為であった。 |
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I大津御倉跡 (おおづおくらあと) (旧)日吉神社より徒歩3分 |
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大小2つの倉と会所内に備倉、延宝8年(1680)に細川5代藩主綱利の命で建造。大は、横10間、長さ96間、約7万石(16万俵)以上を収納していた。 |
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J上大津簀戸口跡(かみおおづすどぐちあと) 大津御倉跡より徒歩約6分 |
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藩主が通行する前後の臨時の関所跡であり大きな役割をしていた所である。
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熊本城からここまで五里(20km)という目印です。豊後街道(参勤交代道)をつくった時、榎木を一里(4km)ごとに植えて旅人の便宜を図りました。昔はこの附近には見事な山桜が殿様や庶民を楽しませたと、長老から聞いております。 |
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ナイター施設があり野球やいろいろのスポーツが楽しめます。芝の面もあり子供連れて運動ができます。 |
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M水月寺(すいげつじ) 町民グランドより徒歩約15分 |
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藩主が参勤交代の途次,.中町本陣からこの庵寺に憩い風光を満喫されたが命名者は忠利公との伝説がある。合志三十三ケ所観音の十三番札所である。 |
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町の中心部にあり、大変利用しやすく便利です。何か知りたい時や、調べたいときは調べ物 コーナがあるようです。町内を移動図書館車、みらい号も巡回しているようです。 |
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上井手川より分水された水の恩恵で水車を動力とした製粉工場として、約90年前に建てられた建物で、
場内では今もなお水車が躍動し、ギャラリー等の芸術を堪能しながら、ゆっくりとくつろげる様にカフェも
併設してあります。営業時間12:00〜19:00 定休日火曜日 TEL096−293−2025 |
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Pオークス広場 (大津町町民交流施設) 水車物語より徒歩約2分 |
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大きな楠の木がシンボルとなっている。 各施設とも、利用日の3ヶ月前から受け付けられます。施設事務所に詳細はお聞き下さい。 ここまで来ると、最初の肥後大津駅は見えています。お疲れ様でした、又、回ってみて良かったと思えるコースを検討していきたいと、思います。 |
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