8、「戦争孤児を記録する会」をつくった経緯と目的

 私は疎開協に入会して、はじめて疎開中に孤児になったものが大勢いることを知りました。複数の人が孤児の追跡調査をしようとしたそうですが、「孤児施設をたずねてもダメで、孤児を見つけても心を開いてくれない」といわれ、それなら私自身が孤児だから、なんとか調査してみようと思うようになりました。
 孤児を捜し出し、40名にアンケート調査を依頼しましたが、あまりの激しい拒絶反応に驚きました。それでも22名から回答が寄せられ、それをまとめて疎開協で発表しました。このアンケートから、私の想像を絶する苦労があったことを知りました。
 1995年3月10日(戦後50年)、孤児15人がはじめて集まり、各自の自己紹介は感動的でした。それがきっかけになり、その後に見つかった孤児をふくめ「戦争孤児を記録する会」をつくり、孤児14人の証言集、「焼け跡の子どもたち」が出版できました。
 戦争の全体を知るには、被害国中国、韓国などの被害と同時に、加害国日本の被害もすべてを網羅しなければ、戦争の全体像が見えません。戦争で犠牲になるのは弱者です。イラク、アフガンの魂の抜け殻になった孤児の姿に、私たち子どもの時と同じ姿が重なります。世界の被害者同士と戦争に反対する市民が、しっかり手を結ばなければ、この地球上から戦争はなくならないと思っています。
 子や孫たちに私たちと同じ目に遭わせないようにと、ようやく孤児たちが語りはじめました。私たちが語らなければ、日本に孤児はいなかったことになります。日本に孤児が12万人余いましたが、歴史には残っていません。