11、国に謝罪と追悼施設、資料館の建設を求める理由

 孤児、傷害者、遺族たちはアウシュビッツの生き残りのように、大きな負荷を抱えて生きてきました。精神医学の野田正彰先生はPTSDをはるかに超えたトラウマをもっているといわれました。戦災遺族は兵士が戦地で敵を殺すのとは全く違います。親、家族が目の前で殺された極限状態の恐怖、それは終生、刻印されたままです。一方遺体のない遺族も蛇の生殺しのような状態におかれ、心の整理もつかないまま、一生心から離れません。
 さらに高齢化するに従い、昔に戻るといわれていますが、あの苛酷な体験が突然現れ、パニックを起こしたり、うつ状態になったりします。夜も夢にうなされます。心の傷が現在まで継続し、さらに大きくなっています。私たちにとっては、決して昔の出来事でなく、昨日の出来事なのです。国のこれまでの冷遇が、なお、苦しみを倍増させてきました。
 戦争で親を奪われ、塗炭の苦しみの中で生きてきた孤児たちに謝罪を要求します。遺族や、傷害者も同じです。

追悼碑
 また、遺族の8割が家族の遺体が不明です。軍により公園などに直ちに埋められたり、川から海へ流失したり、ガレキになったからです。大虐殺され、非業の最期を遂げた死者の追悼施設がなく、孤児たちは親の墓を持っていない人が多く、手を合わせ、語りかける場、死者を悼むところがどこにもありません。一家全滅はだれからも供養されていません。
 死者数や死者氏名の調査もなく、「生きた証も、死んだ証」もなく、追悼碑もない。
65年間も放置されてきた死者、まだ浮かばれてない死者たちの怨霊が渦巻いているのを感じるのです。追悼施設は遺族、孤児たちの悲願です。沖縄、広島のような碑を、総理大臣はじめ、一般の人たちが追悼できるような碑が建立されれば、遺族、孤児たちの心は癒され、安眠できます。国に道義上の責任があると思います。
 
12、本訴提起後の活動

2008年9月=戦争孤児の会で「はじめての戦争孤児のイベント」を開催しました。
  孤児たちの証言、朗読など行い、約200人が参集しました。

2009年5月=「イベント記録集」を作成しました。
2010年3月=ホームページ「戦争孤児(日本)」を作成、「第一章 戦争と孤児」、
 「第二章 空襲死者の遺体処理」、「第三章 隠蔽された空襲」まで現在作成。
 「第四章 孤児たちの戦後」と「第五章 空襲死者の追悼」(仮題)をこれから書く予定です。

 また、原告として、さまざまな活動のお手伝いなどをしています。