10、本訴に踏み切った理由

 私は挫折のくりかえしで疲れはて、国や都に何をいってもムダだと思っていたのですが、憲法を改正して戦争のできる国にしようとしている動きが、活発になってきました。
戦争の裏を知らない若者は、兵士の勇ましい姿に、「お国のために。家族を護るために」と美しい行為だと賛美し、子どもは「カッコイイ!」と叫びます。
 有事法や国民保護法もでき、その122条には「死者を火葬しないで埋めることができる」という特例を政令で定められることになっており、また、民間人は穴を掘り、埋めてしまい、氏名も判明しない、行方不明になる。という同じことが起きるのです。
 国民保護法160条の損害補償では「国から要請を受けて協力をした者に補償を行う」とあり、一般民間人には補償すると、一言も書いてありませんから、これも、これまでの法律となんら変わりません。有事のさいには、民間人が殺されても、重傷を負っても、孤児にされても、何ひとつ救済しない、補償もないのです。この私たちと同じです。
 子や孫たちに二度と私たちのような凄惨な体験をさせないために、それを語れるのは私たちしかいません。私たちがこの世からいなくなれば、「戦争で何事もなかった。孤児はいなかった」ことになってしまいます。

決意
 原告になるには、国へ納める印紙代だけでも大金です。敗訴になれば、さらに大きな負担金がかかります。そのため100人以上の遺族が辞退しました。細々と暮らす孤児たちは訴えられませんでした。
 しかし、この困難な訴訟に、孤児50人が参加しているのを知り、私も覚悟を決め、戦争を知らない人たちに伝え、残さなければいけない。提訴できなかった孤児たち、語れない孤児たち、死んだ親、家族の無念をはらすために、また未来の子どもたちのためにも、訴えなければと思いました。それには、最後の手段として、「司法へ訴える以外に方法がない」と、原告になる決意をしました。