東京大空襲訴訟について
 東京大空襲訴訟は、空襲による民間の被害者、孤児、障害者、遺族等が、戦後はじめて、国を相手に集団で訴訟を起こしました。平均年齢77歳です。
 これまでに、国は1952年に「戦没者遺族援護法」が制定され、その後「軍人、軍属の恩給法」も復活。年間、約1兆円、現在まで50兆円が軍人等に支給されてきました。
ところが、戦争中にはあった民間人の「戦時災害保護法」はとうとう復活することなく、家族全員が空襲で殺され、孤児にされても、親や子を一挙に何人も空襲で殺された遺族、空爆のため盲目になったり、足や手をもぎ取られた人などの空襲被害者には、60年以上も一切の援助も補償もありませんでした。
 私たち空襲被害者遺族は、戦争で人生を狂わされたのであるから「援護、救済して欲しい」と訴えつづけてきました。1980年代には、東京戦災遺族会(溝口会長)や全国傷害者団体(杉山千佐子会長)や全国各地の戦災遺族会とも手を組み、国会議員や各政党に陳情して回り、運動してきました。しかし、国会(自民党政権時代)は「空襲被害者援護法」を、14回も廃案にしてしまい、そのたびに遺族は無念の涙を流し、空襲時30代、40だった人たちは、怨念を残して他界していきました。現在95歳になる杉山さんは、目も見えず、耳も聞こえないのですが、「神さま、お見捨てになるのですか」といって、今も活動をつづけています。
 東京の空襲被害者は、最後の手段として、司法に判断をゆだねたいと、戦後63年目の2007年3月9日、131名(内、孤児50名)が、116名の弁護団の指導と援護をうけ、国に対し、謝罪と損害賠償を求め提訴しました。(裁判中に原告7名が死亡)
 第一審の判決は、2009年12月14日にありました。「主文、原告の請求を棄却する。裁判費用は原告の負担とする」といういった30秒の判決に呆然となりました。
 原告113名が控訴し、第二審は2010年7月23日第一回口頭弁論があり、次回は来年1月ごろの予定です。現在、継続中ですが、この裁判へ「陳述書」を提出します。

 
「全国空襲連絡協議会」の発足
 2010年3月10日、国会議員と全国空襲被害者の懇談会が持たれ、国会議員22名、議員秘書40名が参加。大阪、名古屋、他支援者など144名が参集、懇談しました。
8月14日には空襲被害者全国集会を行い、東京、大阪、名古屋、長崎、九州、沖縄、千葉などから駆けつけ「全国空襲被害者連絡協議会」を発足させる運びになりました。

 
「戦争孤児の会」よりお知らせ
10月24日午後2時 山田氏が浮浪児の話
    大阪経済法科大学2F(地下鉄、神谷町駅一番出口 TEL:03−5545−7789)
12月2日午後6時より、12月3日1時より 「みなし子」の舞台
    江戸東京博物館(両国)
1月〜3月末 「戦争孤児の展示」すみだ郷土資料館にて展示、開催。(墨田区)