年齢別について

  小学生(学童疎開)の孤児が大多数だった


* 1歳(満0歳)〜7歳(満5歳) 14、486人 主に乳幼児
‐親と一緒に逃げたが、猛火に水に浸した毛布をすっぽりかぶせられ、ひとり残された。
‐空襲の炎の下で親とはぐれてしまった。 ‐壕が崩れる瞬間に子どもだけ押し出された。
‐空襲当日だけ親と別の場所にいた。   ‐疎開していた。(保育園の集団疎開もあった)
‐アメリカ兵との間に子どもが出来、棄てられた(サンダースホーム)など

* 8歳(満6歳)〜14歳(満12歳) 57.736人 主に小学生
戦争中は都市の小学生は学童疎開していた。都市が空襲をうけ家族が全滅して、疎開中に子どもだけ残され、孤児になった子が多くいた。

* 15歳(満13歳)〜20歳(満18歳) 51.294人
中学生は ‐勤労動員などで他の場所にいた。  −弟、妹と疎開していた。
‐都市にいて空襲下を逃げまどい、もっとも身が軽い年代だったせいか、一人だけ生き残された者がいた。など。

    考察 
小学生の孤児が突出している
 しかし、この年齢調査には落とし穴がある。孤児というのは何歳のときに孤児になったかが重要である。調査時期が3月10日東京大空襲で孤児になった日より、2年9ヶ月を経過していること。まず念頭に入れなければならない。すると孤児になった年齢が違ってくる。また、数え年になっていること。現在は数え年は使わない。
 当時、小学5、6年生のとき孤児になったものは、2年9ヶ月を加えると、この調査時点のときは、数え年17歳〜18歳(満15、6歳)になっていたはず。この表の数字を見る限り、普通は中学生以上の孤児と思うものだが、51、294人の中に、小学生の孤児が相当数、食い込んでいると考えられる。
 さらに孤児数に算入されていない浮浪児が3、5万人(「朝日年鑑」)〜4万人(朝日新聞)10歳前後がもっとも多かったといわれている。また養子に出された孤児は、親も家もあるということで孤児数に入っていない。それらを考慮すると、小学生の戦争孤児が、約8万人〜10万人という異常な数字がでてくる。恐ろしい数字である。
 私はこの突出した小学生(当時は国民学校と呼んでいた)の孤児に気が付き、なぜなのか考えてみた。それは学童疎開と決して無関係ではない。私の孤児調査でも学童疎開中に空襲で家族が全滅して、孤児になったものが非常に多く、東京空襲訴訟原告団の弧児も疎開中がもっとも多いことても、学童疎開と孤児は密接な関係がある。
 学童疎開を調査せずに孤児は語れないだろう。「学童疎開とは何か」を述べていきたい。