* 身売りされた孤児

「小島へ引き取られ奴隷の1年半 恐怖を語る星野少年」(昭和24年5月31日、朝日)
 3月10日の空襲で洋服店を営んでいた両親を失った星野君(10歳)は、2年ほど浮浪児をしていた。刈り込みで多摩少年院に入っていた昭和23年のとき、八丈島小島から2人の大人がきて本間君、小川君、磯君、星野君の4名の孤児が引き取られた。夜「この子は1万円だ」と話していたのを聞いたという。
 朝暗いうちから起こされ、牛を3頭ひっぱって山へいき草を食べさせ、帰ってから朝食がサツマ芋2、3本。それから岩ばかりの畑へいく。怠けているといってはいつも殴られ、コン棒でメチャクチャに打たれた。「小川は昨年8月に八丈島へ行き行方不明に。本間は1月に死んだ。4月に磯も死んだ。2人ともいじめられ、働かされて殺されたんだ」と語る星野君。この虐待、酷使の奴隷生活を1年半送った。新藤先生のおかげで八丈小島から脱出。奴隷の実態が明らかになったが、闇に葬られた子どもたちも多かっただろう。

5年間の奴隷生活
 Iさん(小4男)は学童疎開中に両親が死亡、親戚へ引き渡された。敗戦後、伯父が満州からかえってくると、伯父から「居候の顔を見るのも胸クソが悪い。どこかへ消え失せろ」と連日いわれ、殴る蹴る、水をぶっかけられ、家には入れてもらえなかった。従兄たちからもオートバイのチェーンで力いっぱい殴られたり、小便をかけられたり、ことごとくいじめの対象にされた。
 食べ物も与えられず、餓死寸前になり、とうとう動けなくなった。近所のTさんが澄まし汁をもってきて「一口でもいいから飲みなさい」といってくれたが、吸う気力がなかった。「もう最後かな」と思ったが2時間ほどしてようやく一口飲むことができ命をとりとめた。
 それからKさんに「うちの子にする。学校へも行かせます」といって引き取られたのだが、そのKさんに前金で身売りされた。騙されたのだった。その後の5年間は奴隷生活で、牛馬のごとく酷使され、束縛され、忍従の日々で一日として身も心も安まる日はなかった。勉強だけは誰にも負けなかったIさんが、義務教育もうけられず5年間の奴隷生活だった。


「身売り2500名 山形の子どもが各県に」(昭和24、1、18朝日)の記事があり、「身売りされたものは栃木だけで3000名に達し、調査が進むにつれてさらに中部地方にもひろがるものと見られている。これまでほとんど取締りをしていなかった農村方面にも断固労働基準法違反で司法処分する」(昭和24、2、2朝日)と掲載されていた。