戦争孤児の資料について

 私が孤児調査にかかわりはじめたのは20年前、全国学童疎開連絡協議会(以下疎開協と呼ぶ)へ入会してから、学童疎開中に大勢が孤児になったと知ったときからでした。

 先の太平洋戦争で日本で戦争孤児がどのくらい発生したか、その孤児たちはその後どのように生きてきたか、その実態はあまり知られていきせん。
 平成2年創価学会婦人平和委員会が「孤児たちの長い時間」を出版した際、国会図書館はじめ、あらゆるところを調査したそうですが、孤児の基礎資料が何もなかったと嘆いていました。
 またある人たちは、孤児たちの追跡調査をしようと試み、孤児施設等を尋ねても、施設を出た人たちの住所が判明せず、結局断念してしまったと複数の人から聞きました。
 
 そんなおり知人のIさんより、「横浜図書館へ行けば<戦災孤児>の資料があるよ」と教えられ埼玉から横浜までいき「戦災孤児」で検索したり、図書館員に頼んで調べましたがありません。しかたなく駅まで帰り、ハッとしてまた図書館へ戻り、今度は
「全国戦災史実調査報告書 昭和57年度 戦災孤児」で検索するとありました。これでは一般の人たちの目に触れることはないでしょう。
 この「戦災孤児」は全国戦災遺族会が大変な労苦の末、生データを集められたもので、唯一の孤児基礎資料です。その中に厚生省調査「全国一斉孤児調査」がありました。当時大人であった戦災遺族は昭和22年末の「全国一斉孤児調査」を知っていたはずですから、収録できたのでしょう。
 私は戦災死者の調査もしない国が、なぜ孤児調査をしたのか不思議でしたが、それは戦後、アメリカ占領軍のフラナガン神父が孤児調査のため来日して、「孤児の実態調査をしなければ、孤児対策はたてられない」といわれ、仕方なく厚生省が調査したようです。
 しかし、その調査結果は生かされることなく、表に出ることもなく過ぎ、35年経過後、戦災遺族会によって、昭和58年に発表され、ようやく日の目をみることになりました。
 この戦災遺族会編「戦災孤児」には、厚生省や文部省が予算をつけず、実施しなかった机上の空論などの資料も掲載され、あたかも実施されたかのような書き方もありましたが、唯一の基礎資料であり、戦災遺族会の皆さまに敬意を表します。もしこの「戦災孤児」がなかったなら孤児の実態は闇に葬られるところでした。なお、最近国会図書館に「全国戦災史害報告書 昭和57年度 戦災孤児」があるのがわかりました。このコードはGB531-129だそうです。
 
 孤児は学童疎開中に孤児になったものが多くいましたが、学童疎開中の孤児資料は、ほとんどありません。集団疎開は学校ごとの疎開ですから、各学校で罹災児童や孤児の調査をした形跡があります。
 また疎開終了時にも「戦災遺児ノ身分、財産、親戚縁故関係等能フ限リ詳細ナル調査ヲナシ置キ」とありますが、その調査資料が一つもありません。消却されたとも聞きましたが、予算がつかず実行されなかった資料だけが残されていました。ひどい話です。要するに孤児資料が何も無くなっているという事です。