一般孤児とは おもに戦災、戦争孤児であった

 小学生の両親といえば大半の年齢は30代〜40代である。片親が病死する場合があっても、働きざかりの両親がともに病死する確率は少ない。8万人の両親病死孤児は考えにくい。ほとんどの孤児が行方不明ではないかと思う。

 親の行方不明は3月10日の大空襲では遺体が黒こげになり、身元確認が不可能になった遺体が頭蓋骨から数えて105、400体ある。その他、川から海へ流失したり、川底の沈んだままになったり、灰になったり、防空壕で埋没した遺体もある。そのため親たちがどこで亡くなったか不明になった。死がわかっていても遺体も遺骨もない人が多いのが3月10日の空襲だった。
 東京空襲訴訟原告団では85%が遺体、遺骨がなく行方不明になっている。親家族と離れ、地方へ学童疎開していた子どもは「親や家族が死んだ」と聞かされても、空襲の体験もなく、死体の確認もされていない、家族全員が死ぬとは信じられない、どうしても受け入れられなかった子もいた。
 また親の死を知らされなかった子もいた。数年すぎてから「やっとあきらめた」という子もいる。このような子どもたちは親が戦災死でありながら「一般孤児」として扱われた。実にまぎらわしい不可解な一般孤児である。

 次の「孤児の種類別一覧表」を見ていただきたい。
この表は都府県別の戦災孤児数、一般孤児数、集団疎開児童数、空襲などの死者数である。
本州だけ(北海道、四国、九州を除く)にした。縁故疎開は調査はできなかった
◇ 戦災孤児と一般孤児は厚生省調査「全国孤児一斉調査」より
◇ 集団疎開児童数は疎開協調査、「集団疎開疎開の行き先」より引用した(この調査は昭和19年9月の調査で、再疎開した青森、岩手、秋田は昭和20年6月の人数である) 疎開児童数は縁故疎開した数を入れると、この数の約2倍になる。
◇ 空襲による死者数は「女たちの太平洋戦争3」朝日新聞社に収録されてた「各県犠牲者数」より山内幸夫さんが作成した。広島、長崎は昭和20年末の死者数である。