「全国孤児一斉調査」の考察を終えて

       国から棄てられた孤児 

 これまで、だれに話しても「まさか…?」と信じてもらえなかった。123.511人の孤児数も同様だった。厚生省の「孤児一斉調査」により、解明されたことは
1、小学生の孤児が突出して多い(全数の約8割)
2、一般孤児はすべて戦争孤児であった。学童疎開中の孤児が大半であった。 
3、国は孤児施設をつくらなかった。9割以上の孤児を、個人家庭に無料で押しつけた。
そのため大人に利用されたり、虐待をうけ、浮浪児になったり、凄惨な人生を歩んできた。
 
  日本政府は、戦争によって孤児にされた自国民の子どもを棄てたのである。
 戦争直後、孤児救済は緊急の事態であったにもかかわらず、政府は戦後の復興事業を最優先させた。孤児は置き去りにされ、救済されなかった。国は負の遺産を残したくなかったらしい。歴史からも孤児を抹殺した。教科書にも載っていない。日本に戦争孤児がいなかった扱いである。これでは戦争を知らない世代が、全く日本の戦争孤児の存在を知らないのも無理がない。
 戦争孤児には孤児年金も援護も一切なかった。国は軍人、軍属には毎年約1兆円を国家予算から支出している。恩給はじめ、戦没者遺族年金は三等親(ひ孫、甥)まで支給されている。 昭和22年12月制定された児童保護法は、一般の母子家庭などの子どもを対象にしたもので、届け出る大人のいない民間の戦争孤児は放置され、救済されなかった。
 
孤児たちは小さな身体に、何重もの「苦」を背負わされた。
 戦争がなかったなら、苦を背負うこともなく、ごく普通の子として、暖かい親やきょうだいたちと、愛情あふれた生活ができたであろう子どもたちである。一部の幸運だった孤児(約1割)を除き、孤独と絶望の中で、地獄を這って生きてきたのだつた。
 死んだ孤児も多くいる。「おかぁちゃん!」と呼びながら、餓死、凍死、病死、自殺した孤児たち。この世に生きた証もなく、死んだ証もなく、ひっそりと死んだ孤児。闇から闇に葬られた孤児たちである。死んだ戦争孤児の追悼碑もない。まだ、孤児たちの霊は地上をさまよい、浮かばれていないと思う。現在「少子化で未来が危ない」と騒がれているが、このように粗末にされた、子どもの怨霊が取り憑いていると思っている。
 戦争で一番犠牲になるのは子どもなのだ。戦後60年すぎて、ようやく最後に戦争孤児が出てきた。従軍慰安婦、中国残留孤児より遅く、それほど重い体験を語ることができなかったのだ。人生の終末を迎え、孫たちが戦争への道を進まないため、戦争の残酷さを、自分たちが生きているうちに、伝えようとする孤児たちが、少数ながら出てきた。
 
 65年目にして唯一の生データ「孤児一斉調査」を考察したが、これで終わったわけでない。まだ入り口に過ぎないのではないか。孤児問題は簡単には片付けられない。日本の未来に関わる非常に大きな社会的問題を孕んでいのではないか。と思っている。