アンケート調査

 
 私は1993年、22名の孤児にアンケート調査をした。(この結果は「学童疎開の記録」1卷に掲載。40名の内22が回答)その内1名は信心深いおじ夫婦に育てられ、もう1名は兄が復員して、一緒に生活をともにして、さほどの苦労はなかったようだ。(ただし両親家族を失った悲しみは一生続くと)。しかし苦労した孤児は非常に多い。他20名は親を失った悲しみと、さらに親戚、知人、養子先で、心理的虐待を受けていた。自殺を考えた子は18名もいた。
 
     差別された子どもの心理的虐待
  孤児たちに浴びせられた言葉。親類や近所の子どもたちから
 
「お前は親と一緒に死んでくれたらよかったのに。まつたく迷惑だ」
「疫病神!。早く出ていけ!。お前がいると困るんだよ」
「役立たずのカスだけが残って。親戚中から棄てられ、俺が拾ってやったんだ」
「お前が早く逃げたから、親が死んだんだよ」(お前のせいで親が死んだと)
「だれのおかげで食べさせてもらっているんだ。さっさと仕事しろ。ゴクつぶし」
「置いてもらえるだけありがたく思え。だれも親なし子の面倒などみないんだからな」
「野良犬やーい。みなし子やーい」
「お前は赤ん坊の子守だ。赤ちゃんが大きくなったら追い出されるんだ」
「親のいうことを聴かないと、あの子のように 孤児になってしまうんだよ」
「お前が盗んだにきまっている。親なし子だからな」
心に突き刺す数々の暴言、さらに暴力をうけた子も多くいた。早く死ねといわんばかりの大人の態度、食べ物が与えられなかった子もおり、食事、おやつは実子との差別がひどく、義務教育の小学、中学へも通えなかった子も多くいた。
 暴言を浴びせられても、かばってくれる人がいない。貧しくても、たった1本のさつまいもを半分に分けて食べさせてくれる優しい人がいない。「算数100点とつた」といってもほめてくれる人がない。
「ねえ、あれ買って」と親に甘える姿や、親子と手をつないで歩く姿、「転んで痛かったろう」と心配する親の姿を見るたび、どの孤児も甘え、抱きしめてくれた母を思い、母を恋い、涙があふれるのだった。
 
* 異物であった孤児
 当時は生めよ増やせの子だくさんだった。敗戦後の極端な食料難の時代に、口べらしがほしいとき、また厄介者を背負い込んだという大人の気持ちをうけて、育ちも環境も言葉もちがう異物であった孤児は、親戚の子どもたちからも、近所の子どもたちからも虐められた。夜になるとふとんをかぶって泣いた。滝のような涙がでた。
 
* 心を殺す生活
 孤児たちは親の死を悲しむゆとりもないく、これから先どうなるのか不安に怯えた。
孤児たちは働かなければ食べさせてもらえない。早朝から夜まで、こき使われ、食事の支度、フロたき、せんたくなど、当時は電化製品のない時代で重労働だった。子守り、畑仕事、開墾、牛の世話などコマネズミのように働き、自由な時間は持てなかった。
 その上、親戚の実子との衣食住において極端な差別をうけ、たえず大人の顔色を窺い、遠慮ばかりして、針のムシロに座らされているような状態、居場所のない生活であった。子どもらしい無邪気な笑顔を忘れた、孤立無援の生活。これは心理的虐待であり、心を殺す生活とは自分を棄てること。まるで屍であった。それが子どもにとって、どれほど苛酷な生活であったか、それは経験した人でないと理解できないと思う。大人であれば知恵を働かせることもできたであろう。甘えたい年代の小学生であった。私のアンケート調査では、心を殺した生活が一番辛かったと答えた人が14名。孤児たちは口を揃え「親戚より孤児院へ入りたかった。同じ境遇の子どもたちと方寄せ合って生きていけたから」というが、孤児施設は絶対数が不足。さらに孤児施設も住みよい場所でなかった。(施設は後述)
 
* 自殺を願う
 自分はこの世に必要のない人間なのだ。邪魔な存在だから早く消えた方がよい。生きている値打ちがないと、死を願った。私の調査した中で、
◇ 小学1年(男)のとき、親の空襲死、そのあと、おじから殴る蹴るの暴力をうけ、死 のうと、橋のたもとで毎日泣いて佇んでいたそうだ。小学1年までの学歴でカタカナし か習っておらず、アンケートは友人に読んでもらって書いたと、電話がかかってきた。
◇ 小4女は三回自殺をはかったが死にきれなかった。今も残る腕の包丁の傷あとを見る たび、当時を思い起こす。心の傷は今も疼く。
◇ 小3弟は自殺した。小6男の自分も自殺しようと青酸カリを手に入れ、いつか死のう と持ち歩いていた。
◇ 小4男は生きていても苦しいことばかり。親と一緒に死んだ方がよかった。早く親の いるところへ逝きたかった
◇ 小4女は生きることは死より辛い。余りに辛すぎて発作的に電車に飛び込もうとした。
◇ 小3女は病死すれば母のところへいける。早く病死させてと、祈った。
 
 22名の孤児の内、18名の小学生の孤児が自殺を思い詰めた。と答えているのは、どれほど過酷な生活であったか、孤独と絶望に支配された生活であったか、が浮かんでくる。
 
現在まで生きてきた孤児たちに「生きてきてよかったか」と聞いたら、「さぁ?。」と首を傾げる。私はあの当時の苦しみが蘇り、「母と一緒に死んだ方が幸せだった」と、今でも生きていてよかったと思えないのである。